成人後久々に会った設定
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「ギターまだ弾かれへんの?」
「弾かれへんよ」
「それやのにギター持ってるん?」
「職場のおっさんにもらったねん」
へえ、と少し眠そうに返事をする内海は、氷が溶けて水と混ざりまくったチューハイにダメ押しのように口をつけた。庶民的な居酒屋の木の目の荒いテーブルにグラスの水滴がぽとぽとと落ちる。それを眺めつつ密かに腕時計に視線をやった。内海は今日電車でここまで来たらしい。花金(死語かこれ?)の帰宅ラッシュ真っ盛りな満員電車の中でギューギューになりながらここまで来たと思うと何か妙にいじらしい感じがした。って言ったら気色悪がられると思うけど。
「いちおうたまーに練習してるんやけどどうしても天空を諦めて大地一本で行こうとしてまうねん。俺の意思の弱さが招く悲劇やな」
「未だに陸上生物生活してるのは驚きやけど自己分析できてるのはえらいわ」
「どうすればいいと思う?」
ふたつ隣の席の宴会っぽい集まりで起こった謎の大爆笑に声をかき消されそうになるが、それでも内海の耳には届いたらしい。いつもの鋭さを酒に弱らされた目が俺を見やる。
「教室とか行けばええやん」
「近くにないねん」
「ていうか職場のおっさんは?おっさんに教えてもらったらいいんちゃうん」
「おっさんもろくに弾かれへんらしい。親戚がもういらん言うて押し付けてきたんをまた俺に押し付けたんやって」
「厄介払いの例文みたいな経緯やな」
窓の外では別の居酒屋の灯りが数件、ちらほらと見えた。酔っ払いが友達らしき人に支えられながら覚束ない足取りで路地を歩いていく。手本のような千鳥足はうちの父親を連想させた。あそこまでにならないようにビールをほんの少しだけあおる。
「あとな、ネクタイもまだ結ばれへん」
「それは嘘やん、じゃあそれどうやって結んだねん。……彼女?」
「いや、オカン」
「お前いま一人暮らしやろ」
「わざわざ呼び寄せて毎日結んでもらってんねん」
「オカンになんのメリットがあんねん。彼女やろ」
「……ごめん嘘。彼女もおらんし」
「意図のわからん嘘つくのやめて」
ちょっと失敗したな。誤魔化すようにまたビールをあおると内海も酒の残りを全部飲み干した。カラン、と大きめに作られた氷がグラスの中ででかい音を立てる。オカンいわく男前の顔面の眉間には皺が寄っていた。壁にかけてある変なデザインの時計が忙しなく秒針を動かす。テーブルにまた滴が垂れて、木の色を濃く変色させていた。
「でもギター弾かれへんのはほんまやで」
内海のグラスを持つ手がちょっとだけ、ぴくりと反応した。俺はもう酒に手を伸ばさない。空になったグラスを机に置いたあと、その目は飼い主の様子をうかがう猫みたいに俺を見る。唇は何かを言うために開きかけていたが、すぐにまた閉じてしまった。
「また教えてくれへん?」
内海の真っ黒い目の奥の、俺にしかわからんような場所に星が散った。枝豆に伸ばしかけていた指が一瞬だけぴたりと止まったのを見逃すほど無計画ではない。かすかに息を呑んだ音ももちろん聞こえた。
さて、終電はもうない。なくなるように飲んでたから。そしてここから俺のアパートまでは、徒歩で5分もかからない。
「俺の部屋で教えて」
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