龍スサ前提
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「ハオリさま、突然お訪ねして申し訳ございません。少し、お話を聞いていただいてもよろしいでしょうか」
もっとくだけた調子でお話してほしいとこの前言ったのに寿沙都ちゃんは相変わらずとても丁寧だ。でもそこは本題じゃなかった。珍しく視線を逡巡させながら組んだ指を忙しなく動かす寿沙都ちゃんは、あたしの顔をおそるおそる見やるとゆっくりと口を開いた。なんでも寿沙都ちゃんは明日、とある殿方とお出掛けをするらしい。二人きりでお出掛けというのは彼の仕事のお手伝いでよくしていたけれど、明日はなんだか違うそうなのだ。彼女は訥々と話し出す。
「普段なら何とも思わないのですが。どこかに行きませんか、とおっしゃったあの方、すごく緊張していらっしゃいました。……寿沙都にもきっと、その緊張がうつったのですね。昨日からとても、気忙しくて」
語尾を震わせる寿沙都ちゃんがすごく可愛らしくて、人が可愛らしくなる時はどういう時か、というのを通俗小説で知識として学んでいたあたしにはすぐにすべてが分かってしまった。
――寿沙都ちゃん、その方に恋をしているのね!

「……ハオリさま。これは少し違うのでは…」
「ああ、ごめんね、ちょっとだけだから!……はあ、龍太郎さま…」
鏡に映る『成歩堂龍太郎』にうっとりと頬を染めるあたしに寿沙都ちゃんは苦笑している。こんなことをしてる場合じゃないのは分かっているのだけど、少しでも目にできる機会があるのなら、と思ってしまうのは悲しい乙女の性なのかも知れない。何て思っていても仕方がないので、柔く結った髪をほどいてあたしはまた一から寿沙都ちゃんの結い上げを模索し始める。
明日は特別な日になるだろうから、髪型を変えて印象を違って見せるのはどうかな。なんて我ながら安易な提案だったかもしれないけど、寿沙都ちゃんは必死な顔で大きく頷いてくれた。こんなにいっぱいいっぱいな寿沙都ちゃんはなかなか多く見られるものじゃない。相手の殿方はどんなお方なのだろう、きっと龍太郎さまのように凛々しくて堂々としたご立派な方なんだわ。だって寿沙都ちゃんをこんなにしてしまう人なんだもの。何度か種類を変えて結ってみるけれど、どれも驚くほど可愛くなるので迷ってしまう。
「寿沙都ちゃんはどんな髪型でも似合うね。だって元がすごく可愛らしいんだもんね」
「そんな事は。ハオリさまのほうが可愛らしゅうございますよ」
「ふふ、今の格好いい」
鏡の中で寿沙都ちゃんが笑う。首の後ろで後れ毛が揺れた。寿沙都ちゃんは可愛いだけじゃなくて綺麗なのだ。相手の方はそういうことも全部知っているのだろうか。
「向こうは明日、どんな格好でいらっしゃるんだろうね」
「……いつもどおりではないかと思いますが、むしろいつもどおりでいていただかないと困ります。寝癖がハネているくらいで来ていただければ落ち着くのですが」
「うううん……そんなものなの?」
寿沙都ちゃんの髪があたしの手の動きに沿ってさらさらと流れる。このすてきな黒髪と細い肩の横に、明日誰かが並ぶのだ。男の方の広い背中の横に立つ寿沙都ちゃんの背中はとても華奢に見えるだろう。あたしと『龍太郎さま』じゃそんなに変わらないのにね。
もう一度だけ『龍太郎』の髪型を再現して、また寿沙都ちゃんを苦笑させてしまった。けれどもう鏡の中には明日を楽しみに待つ少女がいるばかりで、成歩堂龍太郎のお顔は二度とあたしの前に現れなかった。寂しいなんて思っちゃ困らせちゃうね、ごめんね。
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