「大英帝国へ向かえ」と五月蝿く喚き散らす頭の中の声に従い泥水を啜って件の場所にたどり着いた矢先、歯車を背にした男が貴公は誰だと問い掛けてきた。そんなことはオレが知りたい。いったいオレは誰だというのか。

混乱していた頭がこの世すべての雑音を拾う感覚をおぼえ、無数の点が網膜の裏に現れていた。やがてそれも一点へと収束し、みるみるうちに雑音はおさまっていく。開けた視界の先にあった物、蝋人形に成された父の顔をずいぶん懐かしく思った。父を一閃し法廷を後にする背後でかつての友人達がオレを見つめる気配を感じ取る。奴と彼女に今のオレはどう見えているのだろうか。オレを誰だと感じただろうか。

黒い手が無数に伸び、オレの背を強く押してくるような感覚があった。普段ならばきちんと働くはずの理性が擦りきれ、すべての思考を衝動に回している。何故か心臓は落ち着いていることが一等まずい気がした。目の前の男は何も言わずにオレを見つめている。刀に手をやり、ゆっくりと鞘から抜こうともその視線は変わらずなんの色もはらんではいなかった。自分が何者でもなくなっていくのがよくわかる。刀を振り上げた瞬間、その認識は如実な切っ先へと変わった。……さあ、オレはいったい誰だ!

「これ、返すよ」
そう言って成歩堂がオレに手渡そうとしてきたのは例の仮面だった。そういえばあの時法廷に落としたままだったか。拾っていたのか、と訊くと奴は頷いた。オレは顎に手を当て、しばらく思案した末に口を開く。
「それはキサマが持っていてくれ」
「えっ、どうして」
「それをキサマが持っていれば、オレという存在の証明になる気がする」
不思議そうに首を傾げる成歩堂に説明することはしなかった。伝わらなくても良いと感じたからだ。成歩堂、と友の名を呼べば奴は短く返事をする。
「オレが誰だか分かるか?」
そう言うと、友は先刻よりも強い困惑を表情に乗せながら、誰って、と呟いた。
「亜双義一真だろ?」
「……あっはっは!」
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