育成計画軸
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あれは高校三年生の7月7日、少し蒸し暑い夜のことだ。急に屋上に呼び出された僕と春川さんが目にしたのは冗談かと思うほど大きな笹を持った百田くんの姿だった。目を丸くする僕らなんてお構いなしに彼は口角を吊り上げて楽しげに目を細めた。そして、色とりどりの紙束を僕らに勢いよく突きつける。
「オメーら、オレが言おうとしてることはわかるな?」
しばらくの間のあと、呆れたようにため息をついた春川さんの横で僕は苦笑した。百田くんの言いたいことは、ここまで証拠があれば十二分にわかった。彼のポケットから取り出された三本のマジックのうちの一本を受け取り、紙束を何枚か分けてもらう。願い事、といざ言われても意外に思いつかなくて困った。春川さんもさっきからずっと手が止まっている。そんな僕たちと対照的に百田くんは少しの迷いもなく筆を走らせていた。
「百田くんは何を書いたの?」
「オレか?オレはこれだ」
おら、と誇るように見せつけられた紫色の紙には「宇宙に行く!」と勢いのある字で大きく書いてあった。願い事というよりただ目標が書いてあるだけのような気がする。他の短冊も見せてもらうと「酒の味を知る」とか「新しい星に名前をつける」など、どの紙にも百田くんらしい字で百田くんらしいことが書かれていた。
「まあ、いくら書いても損はねーんだ。オメーらもなんでもいいから書け」
言われて、僕は未だまっさらな手元の紙に目を戻した。細長い青色のこの紙に僕は何を望んでいるんだろう。悩みながらなんとなく春川さんのほうに視線を遣ると、彼女は百田くんの横顔をじっと見つめていた。つられて百田くんを見れば、その上機嫌な目尻と綻ぶ口元と柔くぼやけた輪郭が月に照らされている。7月7日空には天の川、この瞬間はきっと永遠じゃない。先にマジックの蓋を開けたのは春川さんだった。僕もそれを追うように蓋を開け願い事をひとつ記す。
カラフルな短冊たちが風にひらひらと揺れている。(主に百田くんが)たくさん吊るしたおかげで笹はずいぶん華やかな印象を纏っていた。「一番大事な願いは宇宙からでも見えるように、出来るだけ高いところに吊るす」と言い出した百田くんに倣い頂上では特別な三枚が仲良くはためいている。百田くんの特別な短冊はもちろん「宇宙に行く」だったけど、春川さんの短冊の内容は見ていない。僕自身も二人には見せていなかった。


寝起きの頭をコーヒーでなだめながらテレビをつけると、そこには見知った顔が映っていた。テロップには『百田飛行士・○○科学館での映像』と書いてある。最近科学館の特別ゲストとして呼ばれたと言っていたから、そのときの映像だろう。宇宙から帰ってきたばかりなのに僕らのボスはなかなかに多忙だった。音量をいくらか上げると百田くんに質問をする子供の元気な声が部屋に響く。天の川のみずはきれいですか。そんな可愛い質問に百田くんは楽しそうに答えていた。画面の右上に表示されている日付は7月7日だ。ああ、もうそんな季節だったのか。
帰りに寄ったスーパーの店頭に、何本かの笹がバケツに入れて置いてあった。おひとりさま一本に限りご自由にお持ち帰りください、と温かみのある手書きの文字を見て持って帰るか少し迷う。しばらくそうして立ち尽くしていると、後ろから偶然スーパーに立ち寄ったという春川さんに声をかけられた。結局笹は持って帰らずに僕は春川さんと帰路を歩いている。
「あいつが持ってきたのはもっと大きかったよね」
不意に春川さんがそう言って、僕は急に呼び起こされた懐かしい思い出に笑ってしまう。確かにもっと大きかった。今思えばあんなのどこで買ってきたんだろうな。
「あいつ、ちゃんと願い事叶えてるね。宇宙に行ってお酒も飲んで、最近新しい星も見つけてたし」
「でも他にもいっぱい短冊があったから、叶えたのはまだほんの一部なんじゃないかな」
「子供より欲張りだね」
思わず吹き出すと春川さんも少し笑った。自分の知らないところでこんな話をされていると知ったら彼は少し怒るかもしれない。
今日は蒸し暑い夜で、雲が少ないから月がよく見えた。まるであの日の再現みたいだ。まとわりつく生ぬるい風を感じるたび、あの日自分が書いた短冊のことを思い出す。細長い青色のあの紙が僕に何を望んでいたのか、考えると少し鼻の奥がつんとした。そして、春川さんがあの短冊に何を書いたのか、そういえば僕は未だに知らなかった。
「春川さん」
「あのとき、何を書いたの?」
だいぶ言葉を省いてしまった。けれど春川さんは静かな目をして立ち止まったから、意味はきちんと通じたようだった。月が春川さんを照らしている。彼女は遠いものを眺めるような瞳で僕のことを見た。その春川さんは高校三年生の7月7日の顔をしていたし、きっと僕も同じ顔をしている。その日僕らは同じ色を見ていた。春川さんは少女の表情のまま、そっと口を開く。
「言うわけないじゃん」
「うん」
そうだよね、とだけ返した。僕だって言わない。
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