紅鮭後
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「僕を見くびるなよ百田解斗!」
電話口越しにそう強く怒鳴った。人にこんな風に声を荒げたのはたぶん人生で二度くらいしかないから、こうして熱を持って叫んでいる自分がどこか他人のことのように思えて不思議ですらあった。ちなみに一度目に怒鳴った相手も今回と同じく、彼だ。勝手を言うなよ、そう言ったらキミはなんでもないとでも言うかのように楽しげに笑ってみせたな。でも今度ばかりはそうはさせない。
通話終了ボタンを荒く押し、何事だ、とこっちに注目する人だかりを抜けて街を歩き出す。回線のむこうから聞こえてきた電車のアナウンスのおかげで彼のいる場所には目星がついていた。

事の発端は僕の察知だ。じゃあな、と言って通話を切ろうとした彼の、その言葉尻のかすかな沈殿に気がついてしまった。もしかして何かあったの?と尋ねれば少しだけその声が揺れる。そして、「なんでもねーよ」なんていう定型句が発せられた。悩みごとなら相談してほしい、だからなんでもねーって言ってんだろ。そんな押し問答をしばらくの間繰り返して、やがて彼は満を持して僕にこう言ったのだ。
「そもそもボスが助手に悩みなんか打ち明けるわけねーだろ」
その言葉は僕の導火線に火をつけるには充分すぎるもので、そうして気がつけばこの口で最初の言葉を叫んでいた。いつもそうだ、僕が友達として彼の前に立った瞬間、彼は口をかたく閉ざしてしまう。いつもはそれを受け入れられるけれど、今日ばかりは看過するわけにはいかなかった。そこに真実があるなら僕にだって勝機はあるんだ。ーー探偵を舐めるな!

夜の闇の下、目的地にたどりついた僕は彼の姿を探してあたりに目を凝らす。電話を掛けても案の定繋がらないけれど、少し先から聞こえてくる着信音は目当ての人物の存在を指し示してくれた。後ろ姿でも充分わかるその特徴的なシルエット、間違いなく百田くんだ。百田くん、と後ろからその名前を叫ぶように呼べば彼は一瞬肩を揺らす。そして次の瞬間、こっちに振り返ることもせずに走り出した。僕もまた勢いよく地を蹴る。
「百田くん、待ってよ!」
呼び掛けても彼は決して振り返らない。夜の街で追いかけっこなんてドラマでしか見たことがないな、頭の片隅でそんなことを考えている自分の思考がやたらに場違いで少し可笑しかった。百田くんは十字路を突っ切り、誰もいない公園の中へと入っていく。僕も彼に続いてそこへ踏み込んだ。百田くんが走っていく前方にあるのはおあつらえ向きの砂場だ。よし、と胸中で呟いてから、僕はひときわ強く足を踏み出して彼の背中にタックルもどきをお見舞いした。バランスを崩し、うおっ、と声を上げる百田くんの腰にしがみつく。結果二人揃って体を傾かせ、そのまま砂場のクッションに身を投げることになった。鈍い衝撃とともに百田くんの短い呻き声が聞こえる。
お互いかなり走ったせいで、しばらくはぜいぜいと息を整えるだけの時間が横たわった。周囲はいっそ気持ちいいほどの無音で、雑音は何も聞こえはしない。公園内に設置されているあまり明るくない外灯は僕らの背中をじっと照らしていた。百田くんは手元にある乳白色の砂を一握りすると、終一、と静かに僕を呼ぶ。
「テメー、こんなに力、強かったか?」
途切れ途切れにそう呟いて僕に振り向く彼の顔は外灯にほの明るく照らされていた。あまり見たことのないような表情を、まじめな様子で僕に向けている。深紫に沈むその目、もう止せ、とこっちに語りかけているようにも感じられた。でも今さら引き下がるつもりは毛頭ない。そもそも僕をこんなにしつこい探偵に成長させたのは他でもないキミなのだから。僕は上半身を起こし、背中に月を受けながら彼の目を強く見下ろした。
「トレーニングのおかげだよ。……キミを暴きに来た!」
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