育成計画時空・卒業後
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訓練を終えて自分の家に帰ると、そこには王馬の野郎がいた。やっほー百田ちゃん、といつもどおりの鼻持ちならない笑顔をこっちに向けてくる。なんでオレの家を知ってんだとか、そのピッキングの技術をもっとべつの場所に活かせねえのかとかいろんなことを頭に過らせはしたが、それより何よりも重要な事実がここには存在した。王馬、と名前を呼べばそいつは目を細め小首を傾げる。
「オメー、やっぱり生きてやがったのか」
フ、と王馬は堪えそこねたかのような小さな笑いを漏らした。やけに楽しげにオレを見つめてくるその顔は、用意したサプライズを隠しきれない子供のそれに似ていた。
「ううん、ちゃんと死んだよ。だから今のオレは幽霊!」
どう、怖い?と目を輝かせながら問いかけてくるそいつの姿に、訓練終わりの疲れた頭が鈍く痛むのを感じた。

王馬が死んだという噂を最初にオレの耳に入れさせたのは終一だった。あいつは職業柄犯罪絡みの事情には詳しく、DICEの動向もそれなりに把握しているらしい。しかし近頃DICEの話をめっきり聞かなくなり、疑問に思って調べてみたところ浮上したのが総統ーー王馬の死亡説だったそうだ。もちろんオレ含め誰も王馬の死なんてもんを信じちゃいなかったが、終一ですら王馬の近状を探れないというのを気掛かりに感じていたのは確かだった。連絡ぐらい寄越しやがれ、とこの数ヶ月のうちに何度か思ったこともある。まあ、それも今日杞憂と化したが。
何が幽霊だ?こんなに活き活きとオレに絡んでくるやつが幽霊のはずがない。というか、何でわざわざこんな夜中にそんな話題を出されなくちゃならねーのか。『幽霊』という単語に武者震いを始めた自分の足を軽くいなしつつ王馬を睨む。
「冗談言ってる場合か?今回のテメーの嘘はいつも以上にタチがわりーぞ」
「はは! 嘘?」
「嘘以外のなんだっつーんだよ。終一もオメーを探して」
る、と言おうとして、言葉は視線によって遮られた。窓の前に立つ王馬が何も言わずにただオレを見つめつづける。その眼差しはあらゆる感情を含んでいたが、少なくとも好意的なもんではあまりなかった。煩わしさと、こっちを限界まで軽んじてやりたいという気概を感じる。意訳してやるとすればきっと、二度も言わせるな、という意味の視線だった。人をからかうための嘘をついているときのこいつの目はいつもならもっとわかりやすく歪んでいる。だが、今そこにはさほどの歪みはないように見える。窓から漏れる月明かりは王馬の輪郭をはっきりとは浮かび上がらせず、電気もつけず真っ暗な部屋の中は相手が地に足をつけているかどうかすら確認できない。
「最原ちゃん、やっぱりオレのこと探してくれてるんだ?いやー光栄だな、元超高校級の探偵の時間を無駄に使わせるなんてさ。死体の隠し場所、わかりにくいとこに指定してよかったなー」
「おい、王馬」
「どうしても信じられないなら確かめてみる?」
と、王馬が手をこっちに差し出す。意図が分からず警戒を強めながらただその手を見つめていると、「握ってよ」と奴は呟いた。
「絶対触れないと思うよ、透けてるからね。触れないって分かったら、さすがに幽霊だって信じられると思うけど?」
愉快そうに目を細めている。こっちの不快感を最大限に煽るための笑みだった。
ここで逃げを取るのも癪だと右手を上げ、王馬のそれに伸ばす。が、実際に握るまでには至らず、どうしてかオレの手は静止していた。王馬は口端を微かに吊る。そして今までの態度をまるっきり覆し、数年ぶりに再会した旧友にでも語りかけるかのような穏やかさで口を開いた。
「百田ちゃん、オレは生前とんでもない嘘つきだったけどさ。今から言うことは全部ホントだよ」
「幽霊ってさ、実は死ぬ直前の人間にしか見えないものなんだよね。百田ちゃんってもうすぐ宇宙に行くんじゃなかったっけ?多分そこだろうね」
「次の宇宙で百田ちゃんは死ぬよ。行かないほうがいいかもね、宇宙」
すべて言い終わった王馬の顔に笑みはなかった。大笑いしてやるのが正解なんだろうとは思ったが、口から出るのは喉の奥で引っ掛かりひきつった吐息だけだ。王馬の言うとおり、もうすぐオレは初めて宇宙へと踏み出す。遺書は書いていない。帰ってくるに決まっているからだ。だが、王馬の顔は歪まない。
ほとんど完ぺきな静寂の中で、不意にそれを電子音が勢いよく切り裂いた。オレの携帯が無機質に何度も鳴りつづけている。この着信音は終一に設定したものだった。
「鳴ってるよ。ワトソンくんからじゃない?」
やけに皮肉めいた物言いをする王馬は電話に出るよう促してくる。その目から視線を離さずポケットをまさぐり、通話ボタンを押した。直後に終一の声が鼓膜に響く。
『あっ、百田くん?僕だけど』
「……おう、どうした」
『週末の遊びのことなんだけど、その日仕事が入っちゃって……。今回は行けそうにないんだ。本当にごめん』
「そうか、まあ気にすんな。会おうと思えばいつだって会えるんだからよ」
ふ、と視線の先の顔が歪む。「そうとは限らないけどね!」
「うるせえよ」
『え?』
小声で言ったつもりだったが案外届いてしまったらしい、回線の向こうから怪訝な声が聞こえてきた。頭を掻きながら王馬を睨めば、けらけらと笑い声が転がる。百田くん、と助手は不安げにオレを呼んだ。その声を耳にしながら、今すべきことを考える。
終一はずっと王馬を探していた。そして今、王馬はオレの目の前にいる。ならどうすべきか、なんつーことは迷う必要もないことのはずだった。満を持して口を開いたオレを見守るかのような目が煩わしい。
「終一」
『え、何?』
「今……」
王馬がここにいる、ちゃんと生きてやがった。そう言えば終いだった。だが王馬の輪郭はやはり生者らしく光らず、朧気に暗い部屋と青白く調和していた。今さら気がついたが今日は満月だ。いつもよりやたら無遠慮な月がオレとオレの過去に向かい笑っている。その中に確かに、この男も存在していた。思考の末に、はあ、と長い息を吐く。
「……いや、なんでもねー。忙しいのはいいが無茶はすんなよ」
『うん、百田くんもね』
「またな」
通話を切り、携帯をポケットへと仕舞う。向かいの男は予想通りの言葉をオレに投げて寄越した。
「オレがここにいるって言わなくてよかったの?」
頭の後ろで腕を組み、にしし、とお決まりの笑い声だ。どうせ理由なんかわかっていやがるんだろうから、そんな言葉は無視する。
「王馬。オメーがなんでこんな嘘をつきに来たかは知らねーけどな、オレはそう簡単にはくたばらねーぞ」
「嘘じゃないんだけどなあ。どうしても信じてくれない?」
「仮にオメーの言ってることがマジだったとしても、死なずに帰ってくる可能性が欠片でもあるならオレは行く。宇宙は待っちゃくれねーんだよ。まあ、忠告だけは受け取ってやってもいい」
腰に両手を当てて王馬の野郎を見下ろす。そのままにやりと笑ってやればそいつはわずかに口端をひきつらせた。面白くない、と顔に書いてある。
「ふうん、忠告。オレも舐められたもんだよね」
短く嘆息した王馬はオレからすいと視線を外し、窓の外に振り返る。予想はしてたけどさ、という消え入るような呟きはオレに聞かせるためかそうじゃないのかは判断がつかなかった。しばらくの間オレたちは無言で、ただ夜が更けていくことだけを意識する。いくらか待ったあと王馬はまたオレのほうを向いた。
「さて!オレはそろそろ成仏するよ。百田ちゃんと話すのも飽きたしね」
飽きたとはなんだと苛ついたが突っ込めばまた長くなるだろうから何も言わなかった。奴はオレに微笑む。その表情、無理やりにでも記憶に残ってやろうという底意地のようなものを感じた。じゃあ百田ちゃん、と王馬の口が動く。
「また地獄で」
決定打のように静かに部屋に響いた声は、最後の最後でようやく冷たく光る。次に瞬きをしたときにはもうその姿はどこにもなかった。まるで最初からそこに何もいなかったかのように窓は閉じられ、カーテンは揺れもせず窓枠の傍で静止している。だがガラスの外には確かに満月が存在していた。深く息を吸い、その円を見つめる。本当にいるのかどうかはともかく、天国でも無でもなく地獄という地でオレを待つ王馬の姿は容易に想像できた。小石のピラミッドを作りながらオレに「遅かったね」と言って笑う、紫色の炎が頭の中に灯る。さて、どれくらい待ちくたびれさせてやろうか。そう考えながら窓を開け、なまぬるい夜風を浴びた。
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