紅鮭
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「キス?」
自分の耳を疑った僕は気づけばほぼ反射的にモノクマにそう聞き返していた。いつものようにぬいぐるみとは思えないほど邪悪な笑みを浮かべているヤツは、そうだよ!と元気良くこっちに返事をする。
「本当に恋愛的に結ばれたのかどうか、最終審査としてみんなに証拠を見せてもらってるんだよ。ラブラブだっていうんならキスくらいは余裕でできるはずだもんね。うぷぷ」
モノクマの悪意のこもった笑い声を聴きながら、僕は正直かなり狼狽していた。額に汗が滲みはじめるのを感じながらゆっくりと隣を見やる。百田くんは眉間に皺を寄せ、何やらじっと考え込んでいるような様子でただそこに立っていた。
恋愛的に結ばれたという状態に今の僕と百田くんが達しているのかは、実のところまだよくわからない。僕は出来れば百田くんの一番近くにいたいと思っているし、彼も僕を一番傍に置いておきたいと思ってくれている。けれど、だからと言って恋人がするようなことをしたいかと訊かれると頭には大きな疑問符が浮かぶ現状だ。それでも一緒に出かけたりしているだけでモノクマが示す恋愛好感度は上がっていったので、けっこう判定はザルなのでは?と思っていたら最後の最後にこの仕打ち。この恋愛バラエティーを企画した運営の底意地の悪さがはっきりと窺える。
百田くんは未だ僕の隣でじっと沈黙を守っていた。キス、出来るのか?百田くんは。いや、まず僕自身は百田くんとキスが出来るのか?とりあえず行為を思い描いてみようと意識をフル稼働させてみるけれど、妄想が一定の場所にたどりつくと脳が勝手に思考を打ち切ってしまう。だってキスするということはつまり、今隣にいるこの百田くんが静かに僕に顔を寄せて、目を閉じて、唇を重ねてくるということだろう。行程を文章にするだけでもかなり気まずいのに、想像なんて厳しいにも程があった。もちろん百田くんのことが嫌だとかそういう気持ちはないけど、抵抗がまったくないと言えば嘘になる。ちら、と隣で思考を続ける静かな瞳を盗み見て、そこに映る感情をなんとか汲み取れないかと試みた。けれどこういう時に限って百田くんの考えていることは欠片もわからない。モノクマは小刻みに体を揺らしながら不気味なほど大人しく僕らを見守っていた。望みは薄いけど、他に審査の方法はないのか念のため確かめてみるか?それか必ずしも唇のキスでなくてもいいだとか、そういう抜け穴はないか探ってみるか。
「おい、モノクマ……」
「終一」
僕がモノクマを呼んだちょうどその時、声に被せるようにして百田くんが僕の名前を呼んだ。えっ、と呟きながら隣に顔を向けた瞬間、強い力で腕をぐいと引っ張られる。体勢を崩しかけて焦った瞬間に素早く後頭部を掴まれ、そして事は起こった。
唇が生まれて初めての感触を経験している。人の顔をこんなに近くで見るというのも初めての経験だった。百田くんの目は何故かばっちりと開いていて、僕の網膜はゼロ距離でその眼光に串刺しにされる。状況は理解しても感情は一ミリも追いついてこないまま、永遠のような一瞬の時が流れた。やがて、おお、とモノクマが呟いた頃、ようやく僕の唇は解放される。
「わりーな」
小声でそう僕に呟いたあと、百田くんは勢いよくモノクマのほうに顔を向けて握り拳を作った。その顔にはいつもの如く勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。
「どうだモノクマ、これでわかったろ!」
「はーい、合格でーす!最原クン・百田クンカップル、ご卒業おめでとうございまーす!」
モノクマがそう声を張り上げて、「おーし!」と百田くんが拳を天へ突き上げる。その光景はどこか遠い場所の出来事のように感じられた。僕は未だ唇に残る柔い感触についてすらまだ整理がついていない。やったな終一、と曇りひとつない快活な笑顔をこっちに向けられても、返事をする余裕すら確保できていないのだった。ぷるぷると震えだした手のひらを唇にあてがう中、百田くんの至近距離での視線を脳が勝手に反芻する。なんだかこれはもう、忘れたくても忘れられない記憶になってしまったような確信があった。
「百田くん」
名前を呼ぶと百田くんは笑顔のまま僕に振り向く。いろいろと、本当に言いたいことはたくさんあったのだけど、辛うじて絞り出せたのは我ながら悲しいほど乙女めいた一言だけだった。
「キスは目を閉じてするものだよ……」
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