ふと気がつくと僕は見覚えのない列車に揺られていて、目の前には見知った顔がひとつ、意外なほど静かにそこに座っていた。「百田くん」と声を出すと頬杖をついて窓の外を見ていた彼はゆっくりと僕に振り返る。彼は特に言葉を発することもせず、少しだけ目もとと口もとを緩めて窓の外を指さした。その指先に従って目を向けると、ぽっかりと広がる孔のような藍色が絵のように窓の中に存在している。たまに青や赤や白の光が控えめにちらちらと見えた。明らかに地上ではないその光景には馴染みなんてひとつもなくて、僕は言葉を忘れてじっと外を見つめてしまう。車体が細かく揺れるたびに光が後ろに流れていく。川のような光の連なりや小さく燃える炎を見て思わず感嘆の息を溢す間も、向かいの百田くんは静かに座っているだけだった。
「終一。離れんなよ」
ふと彼がそう呟くように言って、僕は視線を窓から離す。百田くんの青紫に光る目が静謐にこっちを見ていた。べつに離れる気なんてなかった僕にその言葉の意図をうまくはかることは出来ず、うん、と曖昧に頷く。
「一緒にいるよ」
言ったら彼はなぜか一瞬だけ眉間にぐっと皺を寄せて、けれどすぐにその表情をほどいた。また頬杖をついて窓の外を眺めはじめ、苦笑まじりにふっと笑う。
「ハルマキはどうだ」
「春川さん?」
「怒ってんじゃねーか」
その言葉の真意はよくわからなかった。なぜ百田くんがこんなことを言うのか、思い出そうとしても頭の中がぐにゃぐにゃと滲んでよく思い出せない。それなのに、百田くんのその一言に僕はなぜだか強い悲しみを抱いていた。心臓をぐっと掴まれたような、内側からせり上がってくる悲しみに溺れそうになった。そうして気がつけば自分の意思の外から言葉を絞り出している。「怒ってたよ」と、僕が言ったら彼は短く笑った。
「謝れねーなあ」
困ったようにそう言うので、僕はなんだかもうどう手を尽くしても言い表すことのできないような、嵐のような感情に襲われた。そして、それを誤魔化すためにまた外を見た。鷺や雁や鶴がほの明るくうすぐらい外を横切っていく。
列車がひときわ大きく揺れて、窓の景色がピタリと止まった。ああ停車したのだな、と理解した瞬間、目の前の百田くんが立ち上がる。「行ってみようぜ」とどこか平坦な調子で告げられて、誘われるまま彼と一緒に列車の外に出た。外に出てまず目に飛び込んできたのは際限なくどこまでも広がる青紫で、近くにはさっき車内から見えた川がまだ伸びていた。遠くに見える大きな十字架のそばで炎が燃えている。百田くんは鈍い動きで川のそばまで歩みながらも、じっと炎に目を向けていた。僕は少し意外な気持ちでそれを見ている。もっときらきらと目を輝かせながら僕の手を引くものかと思っていた。ここに立つ百田くんは、嬉しいどころか少し悔しそうな顔をずっと浮かべている。
すすきのように揺れる光たちの中に分け入る百田くんに着いて川に沿う。真っ直ぐ前を見ると遠いのか近いのか曖昧な、けれどとても大きいことだけは分かる円が浮いていた。それの表面はでこぼことしていて、ひび割れた夏の地面のように褪せた色をしている。百田くんは不意に足を止めると、それに手を伸ばすような仕草をした。手のひらを円にかざし、ゆっくりとそれを拳にする。彼の目から感じられる感情は真摯な懇願であり悔恨であり、諦観でもあった。
僕は急にとてつもない不安に体ごと飲み込まれそうな心地になった。百田くんはすぐ近くにいるのにも関わらず、どんどん離れているような、もうすでに途方もなく遠い場所に立っているような感覚が拭えなかった。百田くん、と慌てて彼の名前を呼んで、その瞳を一刻も早く僕に向けさせる。
「離れないでね」
百田くんの瞳は確かに僕を見ていた。明滅する光がノイズのようにちらついて眩しい。僕は彼がしたように、ただ返事が欲しいだけだった。けれど彼は返事を寄越してはくれなかった。代わりの餞別だとでもいうかのように笑っている。それが無性に腹立たしくて仕方がなかった。
「キミが言ったんだろ」
「キミが、離れるなって言ったんじゃないか」
百田くんの瞳の中には僕がいる他にいくつもの星が瞬いていたし、ゆらめく炎すら存在していた。その眼差しはふっと外されて、彼はうしろの月を仰ぐ。そうだな、と呟く声は真空の世界によく通った。
「オレが言ったんだったな」
ここでみっともなく泣きわめくことが出来たらどれ程楽になるか、と思ったけれどどうしても僕は震える唇を噛み締めてしまった。百田くんの笑顔は宇宙によく映える。超高校級の宇宙飛行士なのだから当たり前だ、月を背にする彼は身もすくむほどに当然のようにそこにあった。百田くんがなぞるように僕の名前を呼ぶから、どうしたの、と聞き返す。いくら待っても続きの言葉を言ってくれないことはわかっている。
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