育成計画時空
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卒業式前日の夜、珍しく目が冴えてなかなか寝つけず、仕方なく学園の中を軽く散策してみることにした。校庭や中庭の噴水あたりをぶらぶらと回り、正門近くの桜並木にたどり着く。最近の温い気候にあてられて満開になっている桜は明日のオレの卒業を飾るのに相応しい装いで、あたりはどこも鮮やかなピンク色に染まっていた。ライトもなく見る夜桜は少しばかり不気味な雰囲気も纏っているものの、なかなかに見応えのある景色だ。風に揺れてひらひらと落ちてくる花びらを何個掴めるか戯れに実験していると、不意に桜の木の間に黒くうごめく何かが見えた。こんな夜中に、黒くうごめく何かが見えたわけだ。夜中、丑三つ時。一気に血の気が引く。ありえねーことだとは分かっているのだが、もしもの場合をどうしても想像してしまった。まさか、……幽霊じゃねーよな?
そう考えてしまった瞬間から桜が完全に不気味なものにしか見えなくなった。手のひらの中の花びらをパッと離すとそれはあやしく風に舞ってやがて地に落ちる。さっき『何か』が現れたあたりにゆっくり視線をやり、「誰だ」と短く威圧がわりの声をあげた。もちろんちっとも怖くなんかねえ、その証拠に体が武者震いすら起こしてやがる。不審者だったらぶん殴ってやるぜ!そう意気込みながら向こうの出方を待つが、相手はなかなか姿を現しやがらない。「ビビってんのか」と再度声をかけた、ちょうどその時だった。ガサ!とひときわ大きな音を立てて、『何か』がいきなり桜の木の間から顔を出したのだ。
「やっほー百田ちゃん!」
「うおおおお!!」
速攻で後ずさり『それ』から距離を取る。汗が噴き出すのと心臓がうるさくなるのとを感じながらよく目を凝らすと、そこには腹を抱えてげらげらとオレを笑っている王馬の姿があった。
「……オメーかよ!」
そう言うと王馬の笑い声はさらにデカくなった。心底イラつきながらもいったん胸を撫で下ろす。いや、ビビってたわけじゃねえ。無駄な暴力をふるわずに済んだことに安心してるだけだ。
しばらくしてようやく王馬の笑いがおさまった頃、どうしてこんな夜中にこんな場所にいるのかをさっそく尋ねてみた。王馬は頭の後ろで手を組み、にしし、と笑顔を浮かべる。
「そういう百田ちゃんはなんでここにいるわけ?人に訊く前にまず自分の理由を言ってほしいなー」
「……理由は特にねーよ。寝つきが悪かったから散歩してただけだ」
「ふーん。まあ、オレもそんなとこかな」
言ったあと、王馬はさっきまでのオレと同じように降ってくる桜をいくつか掴みはじめた。それを眺めながら夜風の冷たさに顔をしかめる。例年より気候が暖かいとは言っても、まだまだ夜は冷えやがる。
「百田ちゃん、ホントにツイてるね。この前の終業式でもオレとばったり会っちゃったもんね」
「へっ、そうだな。お互いツイちまってるらしいな」
「はは。ツイてるのは百田ちゃんだけだよ」
「……あ?」
言葉を待ったが、王馬に続きを言う気配は感じられなかった。代わりに「オレはさ」と会話の舵を切りにかかる。沈んだようなその声に意識が否が応にも集中した。
「卒業したくないんだよね。このまま最原ちゃんとかゴン太とかキー坊とか江ノ島ちゃんとか狛枝ちゃんとか、あと百田ちゃんとか、みんなとずっと一緒にいたかったんだよね。でも明日、みんな卒業しちゃうんだよね」
「……はぁ?」
「オレはさ、せめてオレだけでもみんなと一緒に過ごしたこの場所に留まりたくてさ。未来なんて見たくないし、ここでずっとみんなとの思い出を抱いてたいんだ。現実的にはそんなことできるわけないけどさ。でも、死んで地縛霊にでもなればそれが出来るかもしれないよね」
「……」
王馬はオレに背を向けてじっと俯いている。なんとも微妙な気持ちになり、頭を掻きながら「王馬」とその名前を呼びつけた。ヤツから返事は返ってこないから、仕方なく一方的に言葉を告げることにする。
「オメー、それで怖がらせてるつもりか?あと、嘘がいつもより雑じゃねーか?」
こう言えば王馬はおそらく「バレた?」とか「ひどいなー」とかなんとかあっけらかんと言い放ちながらオレに振り向いてにっこりと笑ってみせるだろう。そう思っていたが、意外にも王馬はすぐにこっちに振り向くことはなかった。沈黙を守ったままじっとそこに立ち尽くしている。頭上から下りてきた一枚の花びらがその後ろ髪にぴたりと貼りつき、付いたぞ、と指摘してやろうかと思ったちょうどその瞬間、王馬はぼそっと一言を呟いた。
「……わかってないなあ、百田ちゃん」
言葉と同時にヤツは振り返り、三日月形に口を歪める。その目もとは笑っているのかいないのか曖昧だ。何か嫌な予感がし、大人しく相手の出方を待つ。
「百田ちゃんは本当にツイてるよ。だって、オレが百田ちゃんに『憑いてる』んだからね」
「……は?何を言ってんだ、テメーは」
「あのさ、百田ちゃん。実は今ここにいるオレがもう、死んでいる人間だったらどうする?」
「はあ……?」
「まだわかんないかなー。じゃあハッキリ言ってあげようか。あのさ百田ちゃん、実はオレは地縛霊なんだよ。もうオレはとっくに死んでいて、この世の人間じゃなくなってるんだ。この学園で漂いつづけるだけのただの魂、オバケになっちゃったんだよ」
オバケ。その単語に、ほぼ反射的に総毛立つ。こんなトンチキな話は明らかに嘘でしかねえ。そんなことは分かりきっていた。しかし王馬の顔はさっきまでと打って変わって真剣そのものの表情になっていて少しひるむ。有り得るわけがねえが、もし万が一、億が一これが本当で、今オレの目の前にいるのが本物の地縛霊だったとしたら。考えただけで気分が悪くなり引っ込んでいた汗がまたぶわりと噴き出してきた。
「じょ……じょ、冗談にも、種類っつーもんがあるだろ……」
「冗談じゃないよ、ホントだよ。オレは今百田ちゃんが怖くて仕方ないあの幽霊ってヤツになっちゃってるんだよ!」
「こ、怖くねーっつーんだよ……!」
汗を拭いながら呼吸を落ち着ける。幽霊なわけがない。こんなによく喋る幽霊がいちゃたまったもんじゃねえ。いや、そもそも幽霊っつーもの自体がこの世にいるはずがねえんだ。ふう、と息を吐いてからビシッと王馬を指差す。指先がまた武者震いで震えてやがるが、もうこのまま押し切ることを決めた。
「つうか、幽霊だっつーなら……しょ、証拠を見せてみやがれ!」
そう言うと、王馬はしばらくじっとオレを見つめてきた。何の音もない静かなだけの時間がしばらくの間ただ流れる。あまりにもそれが長いのでさすがに痺れをきらし「何か言えよ」と声をかけようとした時、王馬がブハ、と耐えかねたように吹き出した。そして今までとはまったく違う、弾けるような明るい口調で言葉を放つ。
「たはー!そう言われると困っちゃうなあ。確かにオレが幽霊だって証拠はないね!しょうがない、降参してあげるよ」
「降参……?」
「今のは全部嘘ってことだよ!本気でビビってやんのー、百田ちゃんダッセー!」
……嘘。それはあまりに聞きなれた単語だった。無駄に入っていた体の力が抜けていくのを感じたあと、今度は怒りによって拳に力が入るのを感じる。わなわなと武者震いじゃねー新たな種類の震えに襲われているオレを見て、王馬はさりげにオレと距離を取りながら怖いなあだとか何だとか言って面白そうに笑っていやがった。そのとき王馬の後ろ髪についていた桜の花びらが落ち、ああそうだ、実体のある幽霊なんかいやしねえ、と一人得心しつつ騙されかけた自分に腹を立てる。
「百田ちゃん、いい思い出ができたね」
「どこがだよ……」
長いため息を吐くオレに王馬はまた笑い、何故かこっちに向かって足を踏み出した。目的がいまいち分からず、少し構えながらその場に立ち尽くす。王馬はオレの目前にまで近づくと、そのままオレに抱きついてきた。訳が分からずその場から動けずにいると、すぐにヤツはオレから離れていく。
「オレからのプレゼントだよ!今日の記念に、大事にしてね」
オレの背後に回るなり王馬はそう言い放つ。その後、じゃあね、と一言告げると足早にこの場を去っていった。何が何だかまったくわからないまま小さくなっていく王馬の背中を見やる。ずいぶん話し込んじまった気がするが、それは体感時間だけの問題なのか実際にかなり時間が経っちまっているのか分からない。あいつと話すといつも時間の間隔が狂うのだ。頭を掻きながら真上に浮かぶ月を見上げ、自分の肩を軽く揉んだ。このまま部屋に帰ればきっとぐっすり眠れるだろう。

卒業式当日。めちゃくちゃな学園といえど、式はちゃんと事前に配られたプログラム通りに進行されていた。開会の儀としてモノクマとモノミとモノクマーズの長ったらしい無駄話を聞かされ、誰も覚えちゃいねー校歌を歌わされ、ようやく卒業証書の授与式に移る。赤松や江ノ島の双子やらが順番にそれぞれモノクマのふざけた口上を聞いたあとに証書を受け取り、自分の席へと帰っていった。となると次の順番はあいつだ。
「ハイ次、王馬小吉クーン!」
「はーい」
王馬が適当な返事をしながら立ち上がり、壇上へと向かっていく。その後ろ姿は昨日の夜の別れ際を思い出させた。あの不気味で嫌味ったらしい最後の嘘のことも同時に思い出し、不愉快を抱いたまま上着の左ポケットに手を突っ込む。と、そこで妙な感覚があった。どうやらゴミか何かがポケットに入っているらしい。取り出して確認してみると、それはぐしゃぐしゃになった二枚の桜の花びらだった。昨日偶然入り込んじまったのか?としばらく考え、やがて答えに至る。昨日、王馬の野郎が意味もなく抱きついてきた理由。あれはオレのポケットにこの『プレゼント』とやらを仕込んでいくための動作だったのだ。
(何が「今日の記念」だ、あの野郎)
そう胸中でごちながら花びらを見つめ、眉をしかめる。あいつが何かを形に残すのは珍しい。ということは、これには明確な意味がある。もちろんこの花びら自体に意味があるんじゃなく、きっと形に残すという「珍しさ」こそがあいつの意味であり狙いなのだ。おそらくこんな桜の二枚ぽっちであいつはオレに昨日の夜を印象づけて、一生忘れられないようにしてやろうと考えているんだろう。もうオレの思い出の中にはオレの意思と関係なく王馬が残る、それこそ地縛霊のように。あまりにも最悪な記憶の残し方に、眉間の皺は深まるばかりだった。壇上の王馬は楽しげな様子で校長の口上を聞いている。
「百田くん、どうかした?」
隣に座っていた終一にそう声をかけられる。手のひらの花びらを握りしめ、ポケットに突っ込んでから笑って返事をした。
「なんでもねーよ」
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