ラブアパート
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「終一君、卒業おめでとうございます」
今日もいつもどおり鍵を使ってラブアパートの扉を開けると、中のベッドで座っていた天海くんが僕を見るなりそう言い放った。その笑顔は花が咲いたように明るく朗らかで、心から「終一君」の「卒業」を祝っているようすだ。なんとなくその時点で今日の妄想の内容に察しがついた。どうやら彼の中の僕は学校の卒業式を終えてからここに来たという設定らしい。
「でも、本当に良かったんすか?真っ先に俺なんかに会いに来てくれて。最後なんだしクラスメイトと過ごすほうが良かったんじゃないっすか?」
「えっ?……あ、ああ」
言われて、慌てて何か返事を考える。ここでは僕は天海くんの妄想に付き合うために存在しているのだ。今は僕以外の誰も天海くんに付き合ってあげられないし、僕自身がそれを望んでここに立っている。僕が天海くんの想いに応えなければここにいる意味なんてない。ここはそういう場所だった。
「うん、いいんだよ。早く天海く……蘭太郎兄ちゃんに、卒業したことを伝えたかったから」
「はは、嬉しいっす」
照れくさそうに頬を掻く天海くんに対して口角を吊り上げる。その後彼は入り口に立ち尽くす僕に気を遣ってくれたのか、空いている隣をぽんぽんと叩いて優しく微笑んだ。促されるままそっちに進んで、軽く咳払いをしてから彼の隣に腰かける。すると天海くんは待ちくたびれたとばかりに早急に僕の頭を柔く撫でてきた。その手つきは、本当に身内に接しているかのように暖かくて優しい。
「終一君ももう立派にお兄さんっすね。ちょっと寂しいっす」
天海くんの僕を甘やかすための動作は慣れたものだったし、僕も天海くんのそういう行動にはここ数日の間でずいぶん慣れてきていた。蘭太郎兄ちゃん、という呼び方も初めの頃に比べればかなり抵抗がなくなったほうだ。
「覚えてるっすか?終一君、小学校の卒業の時もこうやって真っ先に俺のところに来て、『蘭太郎兄ちゃんにもランドセルの寄せ書きを書いてほしい』って笑顔で言ってくれたんすよね」
「……そうだったっけ」
もちろん僕はそんなことは知らない。けれど天海くんがあまりにも事実であるかのように話すので、なんだか本当に僕と彼との間には長くて深い歴史のようなものがある心地になって少し不思議な思いがした。存在しない記憶を思い出したい、なんて訳の分からないことも一瞬考えてしまう。全部フィクションの話なのに、僕も彼もまるで道化だ。……そしてその道化を生み出させたのは間違いなく僕だ。
「なんて書いてくれたんだっけ」
「忘れちゃいました?」
「ごめん……」
「いいんすよ」
そう言って天海くんは僕の髪をかき混ぜる。でも、どれだけ待っても答えを言ってくれることはなかった。彼はランドセルに何を書いた記憶を持っているのだろう。それを見た「終一君」は、果たしてどんな顔をしたのだろう。考えれば考えるほど途方もなく切ない気持ちになって、僕は静かに俯いた。
彼の妄想のキーワードである「卒業」は、今の僕にとって無関係なものではなかった。むしろ、今の僕に関連しすぎた言葉で少し驚いたほどだった。明日僕はここから出て、このおかしな学園でのおかしなバラエティを卒業する。10日の間、なぜか僕は毎日のように天海くんに会いにここへ来た。最初に愛の鍵を使ったときに現れたのが天海くんで、さらに二度目にも現れた彼が最初の記憶を引き継いでいることが分かったのがきっかけだった。僕は天海くんの理想の存在として、彼と親しみを深めていった。あまりよくわからなかった彼のことを何度か会ううちに少しずつ理解していった。「終一君」と呼ばれることに抵抗を感じなくなった頃には、同時に寂しさも覚えはじめた。僕の彼への感情はちぐはぐで不確定なまま 、今日を最後に終わりを告げる。僕がこのバラエティの中で結ばれたのは天海くんではない。僕は天海くんを置いて、彼ではない人とここを出ていくのだ。
「…、……蘭太郎、兄ちゃん」
「うん?どうかしたんすか、終一君」
呼びかければ彼はすぐに僕に振り向く。なんと言葉を紡いでいいかわからなくて、とても長い間逡巡した。それでも彼はじっと僕を待ってくれている。その瞳はとても真摯で真っ直ぐで、僕個人の想いをしっかりと推し量っているという様子が静かに感じ取れた。ああ本当に彼は育ちがよく富んでいて、行儀が良いのだなあとぼんやり思う。それは家柄だとかそういう事実よりも、隠しきれない丁寧な所作や言動に如実に表れていた。
言葉を諦めて口をつぐみ、ゆっくりと天海くんの胸に顔をつける。天海くんは最初すこし驚いたけれど、すぐに受け入れて僕の肩に手を置いてくれた。包み込むように背中に手を回すと、一定のリズムでそこを叩いてくれる。涙すら出そうになってしまって少し困った。僕は目を閉じ、深呼吸をひとつする。それは「終一君」を消すための儀式だった。
「天海くん」
「なんすか?終一君」
「ごめんね」
「はは。楽しかったっすよ、最原君」
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