紅鮭時空
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そこはどこもかしこも派手かつ豪奢で、いかにもな雰囲気を醸し出すベッドと大きなハート、あと少しの備品。それくらいしか物は存在しなかった。むせ返るほどの「意味」のにおいに苦笑できていたのも最初だけだ。百田くんに壁に追いやられた時、僕は信じられないくらい間近で彼の熱を浴びてしまった。僕を見下ろす百田くんの視線は当然だけど今まで見たことがないもので、これからもずっと見ることなんてないもののはずだったのに。こんな鍵ひとつで僕は百田くんの想いを独占してしまったのかと感じ、それはなんだかすごく居心地の悪いことだと思えた。
ラブアパートから出ようというとき、扉の前に立った百田くんはなぜかその場で動きを止めた。ゆっくりとこっちに振り返ると真っ直ぐな眼差しを僕に向ける。僕はどう反応していいかわからずただ百田くんに視線だけを返した。普段大きな声で快活に振る舞っていることを忘れてしまいそうになるほど、百田くんの目は静かに煌めいている。溢れそうなほどの想いを込めて、でも絶対に器からこぼれ落ちさせないという意思を込めた、そんな瞳だった。宇宙に似た光をそこに感じて、抵抗もできないままに引き込まれそうになる。きっとあと1秒でも長く見つめあっていたら僕は彼にこう言ってしまっていたはずだ。
「百田くん、 絶対に勝ってね」
ここでは僕は彼の理想の相手だ。だからその言葉はなんとか喉の奥に押し込めた。でも本当は、自分の感情を逸脱させて新たな何かに勘づいてしまうことが恐ろしかったからでもある。やがて百田くんは僕に踵を返しドアノブを回した。行くぞ、とこっちに放られた三文字はやけにはっきりと輪郭を持って頭に響いた。


フォー、スリー、ツー、とカウントダウンがあたりに響き、ワンと発せられた瞬間にロケットは下部から白い煙を吐き出した。強い風をあたりに生み出しながらロケットは宙に浮き空に近づき始める。僕を含めた周りの見物客は皆その鉄の塊を英雄でも見送るような瞳で見つめていて、溢れんばかりの期待や羨望を真っ直ぐにそれに託していた。風でばらつく髪を押さえながら、一直線に空に向かうロケットを一心に眺める。あれには僕の大切な友達が、百田くんが乗っている。彼はこれから念願の宇宙に降り立ち、新たな地にその身ひとつで挑んでいくのだ。僕はそれを本当に誇らしく思ったし、少しだけ寂しくも感じた。もう僕たちだけのボスじゃなくなってしまうのかもしれないな。いやもともとそうだったか。彼が外の世界でどれだけ必要とされている存在か、知らなかったわけではない。
それでもどうしたって、僕は思い出してしまった。あの日の僕を見つめる百田くんの眼差しは確かにはっきりと、一心に、僕だけを見つめていた。あれは彼の理想の中の世界だ。そんなことは分かっている。分かっているはずなのに、気がつけばあの日の残骸ばかりに目をやっている。ロケットに乗り込む直前、彼が見覚えのある瞳で僕をじっと見つめたことすら、看過しようとしていない。追求なんてしなくてもいい真実だってことは分かっているんだ。けれどこれは、探偵の性なのかな。可能性を捨てきれない愚かな思考を抱えつづけている。
ねえ百田くん。あの時言おうとしていた言葉って何だったの。キミは僕の中に何を残していったんだ。考えながら、白煙の先で空を割るロケットを見つめつづける。大気圏を切り裂いて宇宙へ。月の地を踏んだ時、キミは誰のことを思い出すのだろう。
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