死ネタ
-------

祐介と宇宙に行く夢を見た。オクムラパレスよりも制約のない、映画で観るような不純物のない宇宙に浮かぶとても小さな宇宙船に、俺達は二人で乗り込んでいた。あの星が一等輝いている、そう呟いて光を指差す祐介の横顔をじっと見ていた。

起きてすぐ傍らのスマホを手に取りチャットを開く。「プラネタリウムに行かないか?」そう送信すると5分程経ってから了承の返事が寄越された。いつもの駅の地下で待ち合わせをして祐介と合流する。真冬だというのにこの男はいつも薄着だ。寒くはないのだろうか。
「プラネタリウムに行くのは初めてだ」
「そうなのか」
実は俺はすでに杏や三島と行ったことがあるのだが、そこは言わないでおいた。涼しげに見えるその目に密かに炎が点っている。創作意欲のそそられる場所だという確信があるのだろう。そういえば夢の中の祐介もこんな風に目を輝かせていた。
背もたれに体重を預けながら架空の夜空を見上げる。このあたりの空はここまで開けていないから、見慣れない無数の星に圧倒される思いがした。一見散り散りに見える輝き達が線で結ばれ名を与えられている。祐介は食い入るように空の中の絵を見つめていたが、ふと隣の俺の名前を呼んだ。
「素晴らしいな、これは!今日は宇宙記念日だ」
「……宇宙記念日?」
「ああ、宇宙記念日だ。今日のことはしっかりと覚えておこう」
よくわからないがとりあえず頷いておく。スピーカーはいろいろな星座を読み上げていった。オリオン、リゲル、ベテルギウス、プロキオン、シリウス。何となく聞いたことがある程度の認識だった星達の名前は恐らくこれから俺の一部になる。覚えていると言ったって、きっとあと10年も経てば祐介は今日が何月だったかも忘れてしまうのだろう。


祐介のいる水族館に行く夢を見た。水槽の中で祐介はキャンパスを大切そうに抱きながら静かに漂いつづけている。俺は水槽に手を付いて「祐介」と呼びかけつづけるのだが、ついに声は届かなかった。

実家に戻って初めて祐介に電話をかけた。いつもより少し籠ったような、電話特有の声が耳に響く。この声は実は本人の声ではないのだと授業で川上先生が言っていた気がする。不意に秀尽の校内を懐かしく思った。
そっちはどうだ、うんぼちぼち。と定型文のような会話を交わしたあとに俺も仲間達の様子を尋ねる。それぞれ元気に暮らしているらしいけれど、たまに怪盗団の頃の話や俺とモルガナの話をするためにルブランに集まるらしい。あいつらは相変わらずだ、と話す祐介の声色は優しかった。
「大学はそっちで受けるから、たぶん来年からそっちに帰れるよ」
「ふふ、自信があるみたいだな」
「みんなに待ってろって言っておいてくれ」
そう言って互いに笑う。祐介の笑い声は耳に心地が良い。本当の声も聞きたい、という想いが募る。今すぐみんなに会いに行けたらどんなにいいだろうか。しかし現実問題、人の自由は束縛ばかりだ。
ひっそり嘆いていたとき、ふと今日見た夢の事を断片的に思い出した。紺色に浮かぶ祐介がキャンパスを抱いている。その色は去年の海の水面に似ていた。ハワイでの広々と青く澄んだ海に、仲間達で行った夕焼けに染まった海のどちらも綺麗だった。
「なあ祐介。来年さ、また海に行かないか」
「海? 唐突だな」
「急に去年のことを思い出してさ。どっちも楽しかったなと思って」
「ああ、確かお前達はどちらともナンパに失敗していたな」
そういえばそんなこともあったな、と苦笑する。ハワイの時は三島もいたけど、全員悲しいほど惨敗だったな。最近のことのようなずいぶん昔のことのような、何だか不思議な感覚のする思い出だった。
「海は嫌いじゃないからな、賛成だ。あいつらにも伝えておこう」
そう返事をされて、ふと寂しくなった。どこかに行くと言えば、その前に置かれる詞は「みんな」なのだと急に指摘されてしまったからだろうか。しかし、じゃあ俺は当たり前のように「ふたりで」だと思われたかったのかとなるとそれも分からない。俺は祐介とどうなりたいのだろう。これが男女ならある程度先は見えているのに、男同士となると急に何も見えなくなる。目指すものが決められていない、曖昧すぎて掴むことも奪うことも出来ない。
「……どうした?」
黙りこくってしまっていた俺に祐介が心配そうに声をかける。慌てて悪いと謝ったが次の言葉もうまく出なくて少し情けなかった。


焼け落ちたあばら家の前に祐介が立っている夢を見た。……詳しいことは覚えていない。

若き才能、喜多川祐介。本日より個展開場。駅にも貼られていたポスターに描いてある地図を頼りに会場へたどり着いた。喜多川祐介は独特の着想と繊細かつ時に大胆なタッチを評論家・民衆共に根強く評価されている今話題の画家であり、個展の外も中も想像通りたくさんの人々でごった返していた。さらにあの顔、あのルックスなのでネットなどで祐介を知った女性ファンなども数多くここに足を運んでいるらしい。斑目の元門下生という事実もどこから漏れたのか世間に広まってしまっているので、師匠と同じで盗作でもしているんじゃないかと疑う野次馬やマスコミもそれなりにいるようだった。総括するとともかく凄まじい人数がいるということだ。
人混みを掻き分けながら作品を見ていく。残念ながらゆっくり見る時間はないが相変わらず、いや昔以上にいい絵を描くなあと思った。芸術のことはよくわからないが、俺は祐介の絵がとても好きだ。実家にいた頃は祐介から送られてきたあの絵を毎日のように眺めていたし、今もいつでも見られるように写真を撮ってスマホに保存している。サユリを写真で保存していた祐介もこんな気持ちだったのだろうか。文明の利器に素直に感謝してしまう。
「来てくれたのか!」
後ろから弾むような声がして、振り返るとなんと渦中の喜多川先生がいらっしゃった。当然周囲の人も皆振り返り祐介に気がついてざわつき始める。満面の笑みでこっちに近づいてくる祐介の腕を引き、人混みのないほうへ慌てて向かった。
なんとか死角を見つけてそこへ避難する。隠れるのは得意だ、なんといったってこれでも昔は怪盗だったのだから。
「すまない、浮かれてしまった」
「いや……いいけど」
息を整えながら返事をする。祐介は俺を見つめると静かに微笑んだ。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「ああ、元気だよ」
「お前は変わらないな」
「祐介こそ」
本当はここに来るのが少し怖かった。しばらく会わないうちに祐介は俺達だけが知る祐介ではなくなったのだ。友人が人々に幅広く認知されるようになること、それは喜びにも淋しさにもなる。
「遠いとこに行っちまったみてえ」とこの前竜司が言っていた。すぐさま祐介は変わんないよと杏が答えてみんなは頷いていたが、俺は竜司の言葉がどうしてか腑に落ちるのを感じていた。祐介が世界のものになってしまう。ならまた世界を奪えばいいと思えども俺はもう怪盗ではなかった。
「あ、喜多川先生、こんなところに!」
不意にそう声がして嫌な予感を覚えながら振り向けば、そこにはカメラを抱えた男とマイクを持った女性が待ち構えていた。探しましたよ、と有無を言わさず祐介の腕を引く彼らを制止しようかと口を開いたが、祐介が俺に向かって目配せしたのを見て閉口する。
「是非楽しんでいってくれ」
そう言い残すとあっという間にテレビ局の団体に連れ去られてしまい、急に手持ち無沙汰になった俺は小さくなっていく祐介の後ろ姿をただ見ている他はなかった。
俺の青春はきっとここで終わったのだろうな。何故だかそんな心地がした。


祐介と天国に往く夢を見た。俺の手を取って祐介が笑っている。幸せかと訊くと、祐介は「ああ」と低く優しい声で返事をした。俺もずっと幸せだった。

「次のニュースです。今月11日に亡くなった画家の喜多川祐介氏、享年54歳の葬儀が先日執り行われたと発表されました。喜多川氏は生涯独身で両親共に既に他界しており、葬儀にはごく親しい友人のみ参列したとされております。生前、喜多川氏はその類稀なる才能によりーー……」
テレビから流れるニュースを他人事のように観る。本当に死んだんだ、と頭では分かっても実感がまだ追いついていなかった。葬儀にはいつものメンバーとごく少数の業界関係者、祐介が懇意にしていた知り合いなどが参列した。皆口を揃えて早すぎると言ったし、俺だってそう思っていた。ずいぶん早すぎる。けれど祐介の残した作品はとても多く、まるで炎のような生涯だったと業界関係者の誰かが呟いていた。
病死だった。病気が見つかってから亡くなるまでの期間はとても短かった。しかし亡くなるほんの直前まで祐介は長期入院を拒み、自宅で絵を描き続けていた。俺があまりに心配するものだから「だったらこれを持っていてくれ」と合鍵を渡されたのもつい最近だ。俺も祐介と同じく結婚はしていなかったので、顔を出せる日は多かった。それは良かったな、と思う。最後に祐介が描いた絵は真っ白なキャンパスに一羽だけ羽ばたく小さなカモメだった。それが何を意味しているのかは永遠に分からない。評論家に勝手な考察をされたくなかったから世間には公表しなかった。
やもめ暮らしの一人部屋で明かりもつけずテレビだけを灯している。きちんと閉まっていない蛇口がさっきから一滴ずつを吐き出しつづけ、シンクをべち、べちと叩いていた。止めなければとずっと思っているのだが、立ち上がる気になれない。
「喜多川先生は数多くの作品を産み出され、中には現存されていない作品も存在するそうです」
司会者が淡々とそう読み上げている。現存されていない絵というと、きっと俺が彼に貰った『欲望と希望』もそれに含まれているのだろう。俺はついに世界から喜多川祐介を奪った。正確には喜多川祐介のほんの一部だが。
亡くなった後に入った祐介の部屋は当たり前だが時が止まったように静かだった。ずいぶん捲られていないカレンダーは6月現在も3月のまま止まっていて、そして、そこに書いてあった。宇宙記念日、ととても小さく。日にちは赤い丸で囲まれていた。オリオンリゲルベテルギウス、忘れないと決めていたのに、忘れていたのは俺のほうだった。
テレビを消して立ち上がり、ようやく蛇口を閉め直す。そのまま寝床へ潜り込み目を閉じた。
「明日はどこかへ行こうか」
「散歩でもしようかな」
「帰りにラーメン屋に寄ろう。こってりが好きだってお前言ってたよな」
「おやすみ、祐介」
「おやすみ…………」
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -