冗談みたいな男だった。だからある日突然姿を消したのもやたら納得できたし、芸術家とはやはりそういうものなのかとどこか他人事のように受け止めさえしていた。電話もチャットも応答がないままずいぶん時は経って、今や日記代わりにあいつにチャットを送っている。探そうとは思わなかった。結婚なんてしていたら受け入れられないし、万が一山奥で死体などになって見つかったら俺の生きる理由が大きく欠けてしまうからだった。見つけてしまうくらいならどうかそのまま山の中で腐敗して骨も残さず消えてほしいと切に願った。喜多川祐介のことが本当に好きだった。
「ようやく描けたんだ、この絵が」
玄関を開けた瞬間に大声でそう言い放った週末の訪ね人はどこからどう見ても件の喜多川祐介だったし、さらにそいつは妙にでかい四角い何かを両手に重そうに抱えていた。その正体は確実にキャンパスだ。
「死んだのかと思ってた」
「ふふ、馬鹿を言うな」
「いやホントに」
本当に、半ば諦めていた節もあった。いつの間にか死んでいるだなんて何だかお前らしいじゃないか。足が宙にでも浮いていないかと確認したが、ちゃんと祐介は地に足を着けている。こっちのほうが現実味が薄いと思った。
「一番にこの絵をお前に見せたくてな、完成してすぐにアトリエから持ってきてしまった」
芸術家らしい単語を口にして祐介は微笑んでいる。その服の袖には色とりどりの絵の具が付いてしまっていた。せめて着替えくらいは済ませて来たら良かったのにな、と冷静に思う。だって今さら、そんな些細な時間を待たされたところで変わる事なんて有りはしない。何年待っていたと思っているんだ。
祐介の事が好きだった頃の俺は17歳で、前科がついたり怪盗を始めたり世界を奪ったりとそれはそれは多忙な毎日だった。あの頃の事は今でも夢に見る。祐介はその夢の中でもひときわ眩しく光っていたというのに、年を取るにつれて光ばかり視界に溢れて祐介が見えなくなっていった。今日久々に会ってようやく顔を思い出したくらいだ。なあ祐介お前、年を取っても格好いいままじゃないか、俺はずいぶん老けたというのに。祐介はまるで昨日までも会っていたかのような口ぶりで話すが、俺はしっかりと20年分の違和を抱えてここに立っていた。
「上がっても良いか?ここじゃあ見せづらい」
「まあ、いいけど」
「恩に着る」
玄関を通過して、祐介は重そうなキャンパスを床に立てる。布で覆われている為どんな絵なのかは分からない。
「他の絵を描く傍らでずっと進めていたんだが、どうにも上手く表現できなくてな。それでもどうしても完成させたくてずっと描いていた」
「……何の絵?」
訊くと、祐介は静かに俺を見た。何度も見たことがある目だった。作品の対象を捉える時の眼差しだ。
「お前の絵だ」
布が取り払われて、ついにキャンパスがその正体を見せる。白を塗り潰して描かれた俺は微笑んでいた。穏やかで美しい、俺にそっくりな俺の知らない男だ。自分の絵に恋でもしてしまいそうな、不思議な感覚をおぼえた。俺は祐介にずっとこういう風に捉えられていたのだろうか。だとしたら、どうすればいい。これじゃまるで告白だ。
「お前は暫く会わないうちにすぐに美しくなってしまうんだな。筆が追いついていないかも知れないが、どうか許してくれ」
「お前が好きだ」
あっさりと言い放たれたそんな言葉くらいで、20年かけて取り返していたものが全て奪い返されてしまうのだ。元怪盗がこのザマか、と思わず笑ってしまった。
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