「行ってきます」
玄関の向こうから追いかけてくるハーブティーの香りを名残惜しく思いながら、221Bの戸を閉める。冬にもなると町並みの色相がざらついて見えて、きんと冷えた北風が外套越しに体を否応なく凍えさせた。もうすでに暖炉が恋しいけれど、生憎と用事のため出掛けなければならない。一歩を踏み出したとき、前方から足音が聞こえてきた。目をやると、見慣れた鹿撃ち帽をかぶった男性がこちらに歩いてくるのが見える。確実にホームズさんだった。
「おかえりなさい、ホームズさん」
「ん、ミスター・ナルホドーじゃないか。これから出掛けるのかい?」
「はい。うわ、鼻真っ赤ですね」
鼻というか顔全体がおそらく寒さによって赤らんでいる。彼は昨晩ここに帰ってこなかった。まさかその間ずっと外に居たわけではないだろうけれど、長い間外気に身を晒していたのは確かだろう。
「早く火にあたったほうがいいですよ」
「そうだな。このままじゃ歯で何か演奏出来ちまいそうだ」
わざとらしくかちかちと歯を鳴らすホームズさんに苦笑を返しつつ、では、とその横をすり抜けようとしたが、前には進めなかった。腕をがしりと掴まれてしまったからだ。困惑しつつちらと視線を彼のほうに向けると、いつもどおりの何を考えているんだかイマイチ分からない笑顔が返ってくる。彼はそのままミスター・ナルホドー、とぼくを呼んだ。
「ハグをしようじゃないか」
「……は?」
唐突な提案に真っ直ぐに怪訝を返すものの、大きな手に引っ張られされるがままに向き合わされる。そのまま両手を広げた彼は流れるようにぼくを抱きしめた。あああったかい、と呟きながら肩を軽く叩いてくるこの様子からして、早急に暖を取りたかったというのが行動要因なのだろうか。仕方なく彼に合わせて背中に手を回した。
「キミはぬくいな。アイリスと同じくらいの体温だ」
「子供体温って事ですか、つまり」
ハハハ、と耳元で大きく笑うものだから鼓膜に響く。しばらく身動きも取れずそうして抱きしめられていると、ふとホームズさんはぽつりと一言を呟いた。
「今日はきっといい日になる」
そうして、また肩や背中を叩く。どこか優しい手つきがやけに印象に残った。ぼくはおそらく完璧にすべてを悟り得心する。吐いた息の白さを見つめながら、真似るように彼の背を軽く叩いた。
「今日は早めに帰る予定なので、ポーカーでもやりませんか」
「……持ち合わせはあるのか?キミ」
「……イカサマはなしですよ」
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