朝からやけにボンヤリするなあと思っていると、英語学の講義の終わりと同時に亜双義が突然ぼくの額を手のひらで覆った。ふむ、と謎の得心したような表情。なんだなんだと狼狽えていると、キサマ、とその口が鋭くぼくに言葉を浴びせた。
「風邪だろう」
「……えっ!」
風邪だと言われたのか、今、ぼくは。五歳の頃から一度だって引いたことのないあの風邪に、ぼくが冒されているというのか。衝撃を受けている間にも腕を引っ張られ、そのまま講義室から連れ出される。外套を羽織るよう促されて、とりあえず大人しく言うことをきいた。
「キサマ、今日はもう講義はないな?あっても休め」
「う……うん。ないけど」
「よし、帰るぞ」
有無を言わせぬといった口調で話されて、よく分からないままにとにかく後を着いていく。一度大学を出ると外はすっかり低くなった気温に冷やされていて、室内でさえかじかんでいた手の感覚は完全になくなってしまった。それにしても、今日はいつもより寒いな。体の震えがずっと収まらない。ああ風邪だからか……。と考えている間にもくしゃみが連続で出ていた。
いつも別れる道に差し掛かり、じゃあここでと言おうとしたのに亜双義は何故かぼくと同じ方向に足を向けていた。何も言わずぼくの家の方向に歩いていく。声を掛けようとしたけれどそのたびにくしゃみが出たのであきらめた。やがてぼくの部屋の前に着き、亜双義が振り返ってぼくの腕を引く。
「上がるぞ」
「え、ああ。どうぞ……」
部屋に上がると同時に、亜双義は我が部屋自慢の万年床を一瞥した。と思えば次の瞬間ぼくに向かってこう口にする。
「服を脱げ」
唐突な言葉に驚いて目を白黒させていると、その視線が早くしろと暗に伝えてくる。仕方なく言われたとおりに外套を吊り詰襟を脱ぐが、そこでもしやこれは誘われているのではないかしらと気がついた。嬉しいけど、今それは良くない。そんなことをしたら完全に風邪がうつってしまう。
「あの、亜双義」
「何だ、まだ脱いでいないのか」
「……い、今は駄目だ。その、もしおまえにうつしてしまったら」
亜双義の眉が怪訝そうに真ん中に寄る。しばらくの無言のあと、腰に両手を当てながら「キサマ」とその口が動いた。
「何を勘違いしているのか知らんが、ともかく早く寝巻きに着替えて寝ていろ。オレは布巾を濡らしてくる」
言って、寝床を指差した。どうやらぼくの心配はまったくの見当違いだったようだ。急に多量の汗が出て顔が熱くなってきたけれど、ああこれも風邪のせいなのかしらん。

着替えて布団に入ったあと、どうやらすぐに寝てしまったらしい。額に当たる冷たさに気づいて重い瞼を上げると、亜双義と目が合った。布巾から手を離すと、頬に甲を当ててくる。そこも冷えていて心地が良かった。
「熱いな」
「おまえは冷たい」
ごめんと言ったら頬をペチンとはたかれた。
「オレは本でも読む。何かあったら言え」
そう言うと手を離し、ぼくに背を向ける。その後ろ髪だとか首だとか服の皺だとか、見ているうちに瞼が下ろせなくなった。亜双義の手の冷たさを思い出すたび涙が出そうで仕方がなくなる。体をまるめて落ち着こうにもどうにも気持ちが霧散しなくて、たまらなくなってその服の裾を掴んだ。ゆっくりと振り返った亜双義が、どうした、と低く問いかけてくる。指の力をより強くした。
「うつしたい」
「……オレは御免だ」
「早く治せ」と笑う男の、うす赤い頬をずっと見ていた。
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