「久しぶり」
倫敦から我が国へ舞い戻ってから初めて再会した友人の初めの一言だった。何か面白い言葉でも携えておこうかと船の中であらゆる事を考えていたつもりだったのだが、その再会の場においてあまりに普遍的な声と顔を前にすべて吹き飛んでしまった。刀の柄に手を置き、自然と緩む口角をそのままにする。
「ああ。久しぶりだな」

洒落た内装の西洋料理店には、昼時を少し過ぎているからか疎らにしか人が着席していなかった。給仕の者がメニュウの一覧をこちらに向けて広げる。
「じゃあ、炭酸水を」
西洋料理店に炭酸水。懐かしい語句の並びに口端で笑う。亜双義はどうする、と問われたので「同じものを」と給仕に伝えた。メニュウを閉じ去っていく男の後ろ姿を一瞥したのち、成歩堂へ目を戻す。
「炭酸は飲み慣れたのか」
「まあ、以前よりは。ただ、飲むたびに頭でひよこが連想される」
「はは。それは難儀だな」
かつてのあの裁判がオレとこの男に与えた意識の変革は微小なものではなかったのではないかと思える。成歩堂龍ノ介を裁くため設けられた法の庭で、コイツは見事ジェゼール・ブレッドを裁いてみせた。もっともその結果が満足のいくものであった訳ではなかったが、だからこそオレはその腐った司法制度を変えるため海を渡ったのだ。
テエブルクロスの上で両手を組む成歩堂の指が小刻みに動いている。相変わらず純朴の欠片が宿るその目がオレを捉え、目尻を柔く解けさせた。
「こうしておまえと向かい合うのも、あの時以来だな」
あの時、というのは勿論あの、明くる十一月の日だ。留学が決定した祝いに、と何時もの牛鍋屋に行くのを止めてわざわざ西洋料理店まで足を運んだ。おめでとうと素直に細められた瞳に少しだけ苛立ちを覚えたが、その頃は何故そう思ったのか自分でも理解できなかった。その後オレが発した言葉に対して浮かべた困ったような笑顔にも、どうにも焦れていた。
「『キサマも来るといい』ってさ。簡単に言ってくれるよなってあの時は思ったなあ」
あの頃と似たような、しかし少し古ぼけた笑みが眼前に浮かぶ。軽い微笑を返しながら炭酸を口に含むと、口内で刺激の粒がパチンと弾けた。あの日の言葉に嘘は無い。この男とならば何処にだって行けると、どこに往こうと構わないと確かに考えていた。共に倫敦へいこうという言葉を何度も頭でひねり歪ませ、口から放ちやすいよう形を選びつづけていた。何でもない日の帰路、歩くたびに降り積もった雪が鳴り、そのたびに「今だ」と静かに本能が告げる。後ろから着いてくる一定の足音がやけに大きく聴こえ、いやに喉が渇いていた。あれももう数年前、まだ大学生だった頃の冬なのだ。結局温めつづけたまま腐っていった言葉の数々は何故か今でも忘れていない。
「今考えると、結構若かったな。あの頃」
「もう年寄り気分か?」
「そうじゃないんだけど、なんというか。あの頃は少し無鉄砲なくらいでも大丈夫だったっていうのかな」
ううん、と唸り顎に手をやっている。それからオレを一瞥し、眉を下げた。
「おまえとなら何でも出来るような気がしてたんだ」
円い手触りの笑顔がじゃれついてくる。成歩堂の目前に張っていた透明な膜が微かに薄く揺れた。やはりそうだ、キサマが思っていたよりもきっとあれは、簡単な話だったのだろう。
弁論大会決勝、思えばあそこからすでに始まっていたのだろう。この男は唐突にオレの感情の隙間に踏み込んできた。土足で踏み込んだのではない、「お邪魔します」と礼をして靴を脱ぎ、行儀良く踏み込んできたのだ。其処から何もかも始まっていた。一生の友になるという予感を、オレは無意識に感じ取っていた。
「そういえばさ」
不意に思いついたように声をかけられる。成歩堂の瞳はオレを真っ直ぐに見据えていた。すぐに目を泳がせる癖は少しは治ったらしい。
「おまえ、何かとぼくのことをよく見てたよな。こう、じいっと」
あの時、何を考えてたんだ。そう問われ、記憶の中から当時の考えを探りだす。ああ今となっては懐かしい。あれはほんの一時悩みの種と化した感情が原因だった。近くなりすぎた距離に戸惑った心はずいぶん真剣にその悩みに取り組んでいたが、今思えばあれは気紛れというのも大袈裟な、輪郭のぼやけた感情だったのだ。
あの時は、と呟くオレを無邪気な眼差しが捉える。その目に免じようと口端を歪め、正直に告白してやった。
「今この男に口づけをしたら果たしてどうなるのか、と考えていた」
言うと、成歩堂は一瞬驚いたような表情を浮かべる。しかしすぐに何か心当たりでも見つけたかのように「ああ」と呟いた。そして、
「ぼくもあの頃、同じ事をよく考えてたな」
そう言って可笑しそうに笑った。
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