大学を出て少し歩き、奥まった道に入っていくと小さな井戸がぽつりとある。井戸の端に腰かけ煙草をふかしていると、前から成歩堂が歩いてきた。オレを目にするなり「やっぱりここか」と言い片手をあげる。それに応えてこちらも手をあげた。
「ここ何て呼ばれてるか知ってるか?喫煙所だってさ」
「使い勝手がいいからな、そうも呼ばれるだろうさ。現にキサマもそのクチで来たんだろう」
「まあ、そうだけど」
快活に笑いながら成歩堂はオレの隣に腰をかける。塀の向こうにある遠くの木で蝉がひたすらに鳴いていた。人間の余暇の間に、短い生涯を懸命に生きようと足掻いている。照りつける太陽は遠慮を知らず、汗がシャツに貼り付いて気色が悪かった。ああ暑い、と隣の友も眉を寄せて手で顔を扇いでいる。
「まだまだ気温下がらないなあ。風の一つも吹かないし」
成歩堂の嘆息を隣に聞きながら煙を吐き出す。くゆるそれはゆっくりと場に漂うと少しずつその命を空気へと還元した。腕捲りをした腕で額を拭いながら、成歩堂がその煙を視線で追っている。少しの間そうしていたかと思えば、やがてぼんやりとこう呟いた。
「あ。今日煙草部屋に忘れたんだった……」
「……何をしに来たんだ、キサマは」
成歩堂は困ったように笑い、頭を掻く。そしてまたオレの煙をぼうっと見つめ始めた。煙草が無いと分かったのに、立ち去る気配は感じられない。……『やっぱり』と言う簡素な単語が思考をつつき、その陳腐に思わず苦笑した。
服の中から小さな箱を取り出す。そこから一本の白を取り出し、親友の名を呼んだ。無邪気な瞳がオレに向く。
「望みの物だ。味わって吸え」
「……え! い、いいのか?」
「そう横で物欲しげに見ていられてはかなわん」
「はは、面目ない……」
じゃあ有り難く、と手甲を着けた手が煙草を受け取る。唇を小さく開きそれを口にくわえようとしたところで、「火、もらってもいいかな」とこちらに尋ねてきた。頷き、顔を横に向けてやる。成歩堂は煙草をくわえるとオレと距離を詰め、その顔を近づけてきた。視線が少し下に落とされている。頬の横あたりに汗が滲んでいた。先端同士が触れあい、成歩堂の煙草の先に火が点る。
「ありがとう」
顔が離され距離が元へ戻る。男は深く煙を吸い、長くそれを吐き出した。互いに何を話すでもない。空を見上げれば、わざとらしいほど青い空に入道雲が大きく浮かんでいる。夏の主張は強く、冷やした西瓜やかき氷が頭を過っていった。
「留学の話はどうなってる?」
不意な言葉に眼差しを揺する。成歩堂はこちらを向いてはいなかった。曖昧な目で遠くを見ている。
「順調に進んでいる」
「そうか。……寂しくなるな」
言って、また煙を吐く。頬が少し緩められ、眉が下がっていた。まるで惜しむかのようなそれだ。纏う雰囲気は存外静寂で、きっと言葉を無力だとでも考えている。成歩堂の持つ煙草の先の火、――オレが与えた火から網膜が焼かれ、体の先端へと広がっていくかのような、激しい感情が芯を燃やした。成歩堂から外した視線を下に据える。渇いた乳白色の地面はところどころひび割れていた。
何かに憤っている。苛まれている。オレと離れ生きることをさも当然と考えているこの男に対しての感情なのか、言葉が上手く整わない自分自身に対しての感情なのか。理解も追い付かないままに思考は木々を焦がし花を散らし、遂には葉すら燃やし尽くす。全てに強く苛立っていた。かと言って、何を変えるにもままならない。ただひたすらに明確に、惜しいのだ。この眼差しを棄てていく、それがどれ程の……嗚呼、どうすればこの男は。
煙を吐く。白く伸びるそれは雲を模した。成歩堂が笑いながらこう発する。
「蝉、うるさいな」
返事の代わりに笑い返してやった。あと少しすれば蝉も次々に寿命を迎え、それぞれの生涯を終えていく。夏が去り行く。滑る季節をただ見ていた。
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