微妙にコクリコ坂パロ
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朝、いつもの通りに目が覚めた。はずであるのだが、いつもとはどこか空気が違うように感じられ、不思議な思いに駆られながら私はリビングへと足を踏み出した。まだ整えていない自らの癖毛が頬に触れる。日常的に寝床を共にしている兎と熊のぬいぐるみをつい手におさめたまま歩いて来てしまったことに、朝の陽を感じながら気づいた。熊の人形を小脇に抱え、兎の人形をずるずると引きずりながら目的地へと向かう。目覚めのハーブティーでも嗜もうか。どこか爽快感すら伴うこの朝には、そんな思考すら浮かんでいた。リビングへと足を踏み入れる。ティーポッドとカップを一番に視界におさめ、私はそちらに足を進めた、そのときである。一つの差異が私を動揺へと誘った。
「おはよう」
それは紛れもなく私の同居人の声だった。名を、シャーロック・ホームズという。すぐさまそちらのほうに目を向けると、彼はソファに腰をかけ軽く片手をあげて私に笑みを見せている。
彼は先日、急用が出来たと言って船便で海の向こうへと旅立ったばかりだった。到着までにそれなりの日数を要するということだったので、今はまだ向こうに到着すらしていないはずだった。この場に帰っているはずはないのである。私は、胸に湧く疑問を素直にホームズへとぶつけてみせる。
「ホームズくん、どうしてここにいるの?」
「ん? ああ。もう何処かに行くのは止めにしようと思ってね。ほら、外を見てみろよ」
ホームズが窓の外を指差す。そこに目を向けると、外はいつもどおり霧が立ち込め、雨がしとしとと降り注いでいた。ホームズは嘆息をひとつ零し、「な?」と口にした。何がどういうことなのか、私でもその意図を読み取ることは不可能だった。
「イミがわからないの」
「ハハハ。つまり、アレだよ。外は霧が出ているし雨が降っている。こんな日はもう外出しないようにしようとボクは心に決めたのさ」
大口を開けて彼は笑った。私は首を傾げる。今日の霧など、まだ薄いほうだと感じられる。雨も心を砕くほどに酷いものだとは思えない。これで外に出ないというのなら、彼はもう日々の大半はこの家に居るということになる。これはまた彼なりの気まぐれだろうか。……それともウソだろうか? ホームズの表情や仕草を観察する。しかし、目ぼしいものは何も見えはしない。
「じゃあ、ホームズくんはずっとここにいるの?」
「いるとも」
彼は言う。まるで私の家族のように、当たり前を駆使するかのように断言をする。私は、素直に、何かを感じた。きっとそれは喜びであった。しかし喉がつかえてうまく言葉に表すことが阻まれてしまった。
「そうだ、アイリス。お客人が来ているんだ。もてなしてやってくれ」
私から目を外し、ホームズはこの部屋の中の普段自分が使用しているスペースへと視線を向けた。つられてそちらに目をやる。常通り雑然としたその場にも、違和が存在していた。一人の男性が私達に背を向けてそこに立っている。背格好からして、その男性は中年の紳士という風体であるようだった。後姿からしても、品があるように思える。――などと冷静な解釈をしている間にも、私は手に抱えていた二つの人形を取り落としていた。網膜が紳士をじっと捉えている。目を逸らす事はどう足掻いても出来はしなかった。後姿だけでも分かる。――あれは私の父だ。
私は父親に再会した暁には、その体躯にすがりつき、「パパ」と叫んで絶え間なく涙を流すものだと考えていた。しかし実際には声など出ず、足は動かない。眼球だけがただ紳士を見据える。後ろで、同居人、ホームズが私と紳士を見つめている。ホームズの静かな視線を受け止めながら私がそうして立ち竦んでいると、やがて紳士はゆっくりと振り返った。朝陽が眩しい。その顔に強烈な光が当たった。彼は、こう言葉を放つ。
「アイリス。大きくなったなあ」
……そこで目が覚めた。朝陽が眩しい。私はシーツを跳ね除け、兎と熊の人形を手にリビングへと向かう。足を踏み入れると、そこには人など一人も存在していない。同居人は船旅の真っ最中だった。私は微笑み、自らの為だけのハーブティーの準備をする。外ではいつも通り雨が降り、霧が立ち込めていた。
「うん、いいお天気なの!」
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