寝台の上で白に皺をつける足先を何の気なしに見詰める。男はオレの上に覆い被さりながら、時おりゆるく動いた。異国の旅への道中、船室ではただ二つ分の音のみが響く。この船に乗り込んでもう数日だ。いくら成歩堂とはいえ、日々の大半を洋箪笥で過ごすのはかなりの苦痛だろう。オレの首元に顔を埋めながら深く呼吸をするその背をシャツ越しに柔らかく撫でてやる。
「どうだ、この旅は」
「……うん」
覚悟はしていたけど、やっぱり少し不安だ、と口にする。常人なら当たり前だ。一日中暗い部屋の中で常に息を潜め、オレ以外との繋がりを持つことは出来ない。今この船の中でこの男は、オレ以外にとって「居ないもの」だ。そういう風に存在しなければならない苦労は大きいだろう。
「まあ、他の誰が居なくともオレは居るんだ。不安になることは一つもない」
「それは、そうだけど」
言葉が区切られる。何かまだ案じ事があるという証拠だった。しばらくの沈黙の中、ただ続きを待つ。待つだけの時間はある。
「今も不安ではあるけど。着いた後の事も」
「不安か」
言うと、静かに頷く。その後上体を起こすとオレの体に影を作った。控えめに揺れる瞳は陰りを帯びている。
「倫敦でぼくは何をすればいいんだろう」
「オレの傍に居ればいい」
「それは、そんなに簡単な事なのかな」
「簡単だ。キサマはオレの横で、オレと共に世界を学べばいい。いや、学ぶべきだ。それがキサマの礎になり、後には糧になる」
「……そうか」
そうだな、と呟くと、成歩堂はゆるゆると腕を折りオレの胸のあたりに顔を埋めた。シャツの皺をなぞるように、指が胸の右端あたりを滑る。時たまそれは突起のあたりに触れたが、果たして故意なのかどうかはわからなかった。
「ぼくたち、倫敦に着く前も着いた後も犯罪者だな。今は密航で、次は同性愛」
「……何だ。よく知っているな」
「いちおう英国の法律とか、少し勉強したんだよ」
ああそういえば、という程度の問題だが。今の英国では同性愛は罰せられる。そんなことまでわざわざ勉強していたとは意外だった。背に回した腕の力を強め、その髪を混ぜるように撫でる。
「そんな事が不安なのか?」
「いや、……多分そうじゃない」
顔を上げた成歩堂は、じっとまなざしを投げつけてきた。瞳の黒の中に自身が囚われている。逆だ、と胸中で一人ごちた。頬に手を添え、その体温を確かめる。成歩堂の言わんとしている事のすべてを掴んだわけではないが、感情の端には触れられた。ゆさぶるように、果ては守るようにただ言葉を紡ぐ。
「安心しろ。オレがキサマを信じている」
そうだ、今この船の中でこの男を信じているのは恐らくオレだけで、この男が信じられるものもオレだけだった。この男はいまオレにすがっている。不安げなまなざしはこちらにすべての想いを預けようとしていた。ならば受け取る他に術はない。
言葉の後に微笑みかけてやると、成歩堂が少し照れたように頬を緩める。その表情からはそこはかとない安堵が伝わった。やがて顔を近づけられ、またしてもその目に閉じ込められる。仕方がないと思いつつ目を閉じると、唇に馴れた感触が降り落ちてきた。
ああこの男には今、本当にオレしかいないのだ。それを強く実感させられる。こうして会話をし、触れて、信じられる存在は唯オレ一人しかない。それはどんなに心細い事なのだろうか。さらにそんな生活を五十日だ。成歩堂龍ノ介は五十日の間オレの傍にあり続け、オレの夢しか見ず、オレにすがる。目の奥の辺りが少し痛んだ。そうか、五十日。
「短いな」
「うん?」
「いや。……何も」



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