※のすけ結婚してる
※ガバガバ祭り
亜双義生きてます
------

親友であり相棒である成歩堂龍ノ介が結婚したという一報は帰国後法律事務所を構えてからというものろくに連絡すらとれていなかったオレを会いに向かわせるにはじゅうぶんな理由だった。居を構えたと聞いたので、手土産をいくつか持ってそこに邪魔をさせていただくことにする。着いたのはすっかり夕方で、木造の建物達は橙に染まっていた。引き戸を叩く手が汗に濡れている。今、日本は真夏だ。
「失礼致します。御在宅でしょうか」
中に声をかけてみる。すると、奥から「少々お待ちください」という女性の声がした。家事手伝いか、妻か。本能で分かった。おそらく、妻だろう。
予想は当たり、戸を開けて出てきた身ぎれいな女性が品良く微笑み「もしかして、あのひとのお友達の方でございますか?」と尋ねてきた。そうですと笑みを貼りつけつつ頷く。途端に女性は顔を綻ばせ、家の奥に向かって声を張った。龍ノ介さん、と。言葉の響きがやけに眩しい。
「亜双義!」
ばたばたと音を立てて奥から出てきた男は、数年ぶりに目にしてもあまり容貌に変化は見られなかった。特にその、やたらに大きい瞳。成歩堂は家着用の着物に身を包み、手には新聞を持っていた。それくらい置いて来い。
「本当に久しぶりだな、亜双義!元気だったか?」
「この通りだ。キサマも変わりはないらしいな」
言いながら、いつか渡そうと倫敦から持ち帰っていたワインや日本では手に入らない物珍しい食べ物などを与えてやる。日持ちがしてかつ日本人の口に合うものを探すのはなかなかの苦難だった記憶がある。成歩堂は実に嬉しそうに破顔し、それらを抱え込む。あがって、と言われ遠慮なく靴を脱いだ。その間に奴は奥方の「お運びしますよ」という申し出を重いからと言って柔く断り、奥に瓶と食べ物を持って行く。奥方は困ったように微笑んだあと、オレを客の間へと連れてくださった。
「少々お待ちくださいね」
奥方はそう言うと襖を閉め、オレは一人残される形になる。立ったまま簡易に部屋を観察した。座布団が二枚、向かい合って並べられている。何故か辺りに本が二、三冊散らばっていて、隅には箱が半開きになった紙巻煙草が置いてあった。先程までここにいたのだろうか。棚の上にはいつぞや見たダルマが鎮座している。前と違うのは、両方の目に墨が入れられていることか。結婚した際に入れでもしたのだろう。
やがて、廊下から騒々しい足音が聞こえてくる。確実に成歩堂だ。キサマの家だからといって廊下は走るな、と言ってやりたい。荒く襖が開けられた。
「ごめん、待たせ……って、何で立ったままなんだ?」
「部屋を観察していた」
「はは、そんなシャーロック・ホームズみたいなことしなくても」
知っているのか、シャーロック・ホームズを。一瞬驚いたが、前に一度ストランドマガジンを送ってやったことを思い出し、すぐに得心した。果たして興味はあるのかと疑問だったが、どうやら思っていたよりは楽しんだらしい。これならもう少し送ってやればよかったか。
「とりあえず座れよ」
促され、素直に座布団に腰を下ろす。成歩堂も障子を閉めたあと向かいの座布団にあぐらをかいた。それから、互いに意味のない沈黙。船の中で散々あれを話そうこれを話そうと考えていたはずが、いざ顔を見るとたいていの話題が頭から吹き飛んだ。新鮮とすら言える、懐古する空気感。それを肺に満たす時間が必要だった。
「……しばらくキミと会ってなかったから。何か、フシギな感じだな」
一足早く成歩堂が話を切り出す。少しの違和感を孕ませてきた理由は、はっきりとは見えない。
「そうだな。昔は毎日のように会っていたというのにな」
「本当だよ。ぼくたちって昔、どんな話をしていたっけな」
案外思い出せないものだな。そう言って成歩堂が笑う。オレもつられるように小さく笑った。
覚えている。連日何を語り合っていたか。オレは大日本帝国の未来を憂い、対してこの男は落語と寄席のことばかりを話した。我が国はだのあの演目はだのと、同じようなことばかりを交互に。しかし時たま、酒を同席させた夜や肌寒い冬空の下で、毛色の違う話もしたことがあった。覚えていないか、この男は。……覚えていないならそれでいい、と思った。
「ぼくも結構いろいろあったけど……亜双義に比べたら全然だろうな、多分」
「馬鹿を言うな、それぞれの人生を比べるなど愚の骨頂だ。聞かせろ、興味がある」
「はは、そうか? なら、……おまえのことも聞かせてくれよ。それこそきっとぼくのほうが興味がある」
などという言葉を皮切りに、オレ達はそれぞれ交互に互いの知らない数年間についてを語り明かした。オレが倫敦での暮らしを話せば、成歩堂は結婚生活を。成歩堂が今の仕事について話せば、オレは弁護士としての活動を。共感と驚嘆の繰り返しの中で、度々面白おかしい話で笑い合う。大学生だった頃となんら変わりはない。この男との会話はいつも、いくら時が経とうと愉快なのだ。オレ達はそういう関係だった。忘れたことはない。
「なあ亜双義、今日は休みだったのか?」
「ああ。幸い明日も仕事はない」
不意の質問に答えると、成歩堂は「そうか」と呟いた。そして何故かまたすぐに、そうか、と反復する。何かに言い淀んでいることは明白だった。どうしたと尋ねてみると、暫しの沈黙を横たえる。その後、頭を掻きながらはにかみ笑いをした。
「いやあ、その。おまえさえ良ければ、今日は泊まっていかないか?」
突然の提案に少々驚いた。喜ばしいのは事実だが、新婚の家に泊まるというのは気が引ける。
「奥方に悪いだろう」
率直にそう述べると、成歩堂は「そこは心配いらないよ」と言って笑ってみせた。
「家内にはぼくから言っておくよ。あいつ賑やかなのは好きだし、あと料理が好きだから誰かに振る舞えるの喜ぶんじゃないかな」
ほんの一瞬、思考が時を止める。そうか、変わっていることは確かにあるのだ。そのたった二つの単語を耳にした今以上にはっきりと実感したことはなかった。家内。あいつ。――親友は妻帯者になっている。
「……なら、邪魔させていただこうか」
「ああ、良かった。じゃあ家内に伝えてくるよ」
朗らかな笑みを浮かべてそう言うと、成歩堂はすぐさま立ち上がり足早に部屋を出ていった。騒がしい足音が響く。オレが逃げるわけでもないというのに、何をそんなに急ぐ必要があるのだろうか。思いながら目を閉じ、息をつく。瞼を上げ、もう一度周りを見回した。生活の息吹を見つけるたび、胸の奥がしずかに燃える。
夕飯時になり、奥方が上機嫌なようすで客間に酒とつまみを持ってきてくださった。料理が好きというのは真実のようで、実に美味そうな数品が並べられる。
「申し訳ありません、押し掛けてしまった挙げ句にここまでして頂いて」
「そんな、ご遠慮なさらないでください。夫の親友の方ですもの、これくらいさせていただかないと」
このひとったらいつもあなたの話ばかりです。そんな奥方の言葉に、成歩堂は頬を赤くして「言うなよ」と呟いた。子供のような照れ方を前に、つい吹き出す。成歩堂の顔はより赤く染まった。
酒を互いに注ぎ合い乾杯をして、積もる話を崩していく。崩すたびにまた積もっていくので、何時間経とうが会話が途切れることはない。「何年間留学してたんだっけ」「そうだな……3年程度か」「そうか。……留学の前、おまえに誘われたけどさ」「ああ」「ぼくも行けば良かったかな、なんてな。今になって少し思うんだ」「……今更にも程があるな、キサマ」「本当に今更だな。ごめん」「ああ、謝れ。そして酒を注げ」「ははは、分かったよ」……会話が途切れることはない。やがて順調に燗を空にしたオレは、これもまた順調に眠気に頭を支配され始めた。ぼんやりと成歩堂を見やると、奴も奴でうとうとと船を漕いでいる。しかしオレの視線に気づくと慌てて目を擦った。
「布団敷こうか」
「ああ、そうだな」
成歩堂は立ち上がり、あたりをきょろきょろと見回す。その後首を傾げたかと思えば、ああ、と呟き何かを得心したような顔をした。
「布団、向こうにあるんだった。ちょっと取ってくるよ」
待っててくれ。そう口にして、静かに出ていく。分かった、というオレの返事は果たして聞こえただろうか。夢に片足を踏み出しかけている体は火照っている。ここまで酔うつもりはなかったのだが、久々に顔を見て気が緩んでしまったのかもしれない。それでも、言ってはならないことは言わなかった。オレの理性もなかなか大したものだ、と自嘲気味に笑ってみせる。
廊下から声が聞こえた。成歩堂と奥方が何事かを話している。成歩堂が何かを言うと、奥方は可笑しそうに品のある笑い声をあげた。ずいぶん仲の良い夫婦らしい。奥方も明るいうえに気立てが良く、そう多くはいない程素敵な女性だ。何故か安堵する。もし味気なく愛情の欠片もない婚姻生活を送っていたら、どうしていたかわからなかった。もう一度あの頃のように、オレと来いと言ってしまったかもしれない。洋鞄にあの体を詰め込んで、そのまま拐ってしまっていたかもしれない。……もう、その必要も意味もなくなってしまった。杯を傾けながら、過去の自分に微笑んでみせる。キサマが焦がれつづけた男は、幸福を捕まえたようだぞ。焦げつく程見つめつづけたあの瞳は、オレ以外に向かって穏やかに笑っているのだ。
「成歩堂」
「キサマ、ついにオレのものにはならなかったな」
言葉はただ宙に浮かび、そして消えた。眠気に瞼が支配されていく。布団を待たなければと頭の隅で思いながらも、視界はゆっくりと閉じていった。起きたらすぐ帰らなければな。そうぼんやりと考える。今日オレは、成歩堂龍ノ介の夢を見るだろうか。おそらく、見ないだろう。それは確信だった。春はもう過ぎたのだ。――そこでついに、眠りが訪れた。



「…………」
「おまえだって、ぼくのものにはならなかったくせにな」
「……おやすみ、親友」
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -