ちょっと笑ってみせてくれ。月光の下あやしく光るまなざしを携え、ずいぶん真面目な顔をして何を言うかと思えば。そんな唐突な酔狂があるか、と思わず嘆息した。意味もなく笑えるかと返せば、意味はある、と口角を上げもせず断言される。ほう、意味とは何だ。言ってみろ。
「ぼくはおまえの笑った顔が好きだから」
情感を握り飯か何かのごとく握り込んだような声色で、似合いもしない深刻の中成歩堂がそう言った。そこから暫しの沈黙。オレは言葉の続きを待つ。待つ。……待つのだが、一向に紡がれる気配はない。
「まさかそれだけか」
「ああ」
自信満々に頷かれ、もはや感情は呆れを通り越した。ああ、じゃないだろう。至極真っ当なことを言ったような表情はもはや笑えさえした。そう考えると何だかいろいろなことが面白可笑しく脳に響き、ついに吹き出してしまう。くつくつと笑うオレを見て、成歩堂は呟いた。
「それだよ」
それが見たかったのだと。やけに満足そうな顔が眼前にひとつ。目が少し、潤んでいるようだった。
「……オレの笑顔がそんなに見たかったのか?」
「ああ、すごく」
一点の曇りもなくそう即答され、少々面食らった。月の明かりでその目元はやはり光っている。海辺の砂浜の中で控えめにきらめく貝殻の光に、かすかに似ていると思った。今日のこの男はどこか普段と異なっている。どこが、と問われれば閉口するばかりだが、明確な点はひとつ存在した。今この男はオレの目を見つめながら、何か先のものを見据えている。ニャア、と、どこかで猫が鳴いた。オレの輪郭はいま、月に白くふちどられているのだろうか。
「久しぶりだな、亜双義」
「……キサマの物忘れの激しさはどうにかならんのか。昨日会ったところだろう」
「ああそうか。うん、……。それに毎日逢ってたもんな、ぼくは」
やけに歯に衣を着せる。空の円を背負う成歩堂から何故か目が逸らせず、さらに先刻から指先が小さく痺れていた。紺と灰を混ぜたような色の雲が夜を漂っている。それすら照らす月はどうしてああも明るいのだ。目が潰れそうになる。
「亜双義」
「何だ、成歩堂」
名を呼べば、ようやくその顔が分かりやすく綻んだ。胸の中が砂糖と塩を同時に流し込まれたようにざらざらと滑る。ちいさく鼻を啜ったあと、成歩堂はオレを見つめながら口を開いた。
「……夢で、おまえに……逢わない日は、なかった」
地の煉瓦を擦る靴の音が遠くなる。成歩堂の目尻で際だつそれはいつまでも溢れはしなかった。果てめいたものを得心しながら「そうか」と返し、微笑んでやる。月の下でこの男を見るのが、永遠すら信じたくなる程に魂を震わすものだとは、考えもしていなかった。



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