「抱かせてあげます」

ここはバニーの自宅、間接照明がおやすみを告げる暗がりのベッドルーム。俺んちのベッドとは比べものにならないキングサイズのそれは、柔軟剤をたっぷり染み込ませているのかふわふわでふかふかだ。このまま目を閉じれば夢にハローできそうな寝心地であるが、いかんせんこの現実から目を背けられるほど俺は若くもないわけで。眉をキッと上げて俺をキュッと睨みつけるバニーの手のひらは、今し方俺が賞賛したこのベッド、もっと言えば俺の顔の横に押しつけられている。まあ端的に状況を説明すると、俺は今、バニーちゃんに押し倒されているわけで。そして冒頭の台詞に繋がる。つまり、艶めかしいピンク色の世界がすぐそばまで迫ってしまっているのだ。心なしかバニーの息は荒い。頬は、ほんのりと紅潮していた。

「ば、バニー…ちゃん」
「なんですか」

はぁ、とバニーが息を吐く。煩わしさから吐いたため息なのだろうが、やけに熱のこもっているそれが生暖かい風を生み出し顔を扇いだ。紅をひかれたサーモンピンクの唇が目についてしょうがない。ああどうしてこうなったのか。動揺したままうまく働かない脳に鞭打って、事の発端を探ってみた。始まりはそう、珍しくバニーが俺を家に誘ったことからだった。たまには飲みに来ませんか、と長いまつげをはためかせながら彼女が言ったのだ。さすがにコンビでも男が一人暮らしの女の家にあがるのはよくないだろうと思い最初は断ったのだが、なぜかバニーはやたらと食い下がってきた。何度も何度も誘ってきて、俺が首を縦に振るまで諦めてくれなさそうだったので、しぶしぶといった感じでOKサインを出してしまった始末である。そしてバニーの愛車の助手席に乗って、なんか年下に、しかも女の子に運転してもらってる中おとなしく助手席に座ってるおっさんってかっこわりぃなあ、なんて思いつつあれよあれよとバニー宅に到着。殺風景な部屋には中央に佇むそれ以外に椅子と呼べるものがひとつもなかったから、とりあえず床に座る。そしたらバニーがぴかぴかのワイングラス二つとロゼのボトルを乗せたトレイを持ってきた。ぺたりと床に腰を下ろしてグラスにワインを注ぐバニー。ところで今日ずっと思ってたんだがおまえさん、いつものデニムパンツはどうしたんだ。ミニスカートからすらりと伸びる生の足が目に余る。最近の女子高生が好んで穿くような丈のスカートは、俺が地面に這いつくばりでもすれば簡単にその中身が拝めてしまえそうなほど短かった。できるだけ視線をそこから外しながらワイングラスを手に取り、一気に飲み干す。ここに長居すると危険だ。いや、べつにいかがわしいことをする気はないんだが、断言はできない。なぜなら俺はおっさんと言ってもまだまだ男なのだ。少し粗雑な動作でグラスを床に置いて、一杯付き合ったんだしそろそろ帰っていいよな、と切り出した。とにかく早く帰らなければいけない、生まれる焦りは肥大化する。体の中心部あたりから発信される危険信号がちかちかちかちか光り輝いていた。俺の言葉を聞いた瞬間、ぼんやりワイングラスを揺らしていたバニーのきれいな手が動きを止める。なんでですか、もうちょっとぐらい居てもいいじゃないですか、と矢継ぎ早に繰り出される台詞たちをかいくぐって立ち上がり、おまえさんはもうちょっと男を警戒しなさい、とだけ言い残して去ろうとした。の、だが。突如左手をものすごい強さで掴まれ、そのまま引きずられるように奥のほうへと連れて行かれる。なんだなんだと思っている間にバニーはひとつの真っ暗な部屋に踏み入り、四角い物体に俺の体を投げた。その後すかさず俺に覆い被さり、そして、現在の状況に至るわけだ。
一刻も早くここから抜け出さないといけない、間違いが起こってしまってからでは遅いんだぞ、と脳髄に正論が響き渡る。とりあえず説得を試みようと思考をフル回転させて言葉を探した。が、その最中に、バニーが俺のベストのボタンに手をかけた。一瞬で集中力が無に帰す。

「こ、こらこらこら!なにしてんだバニー!」
「なにって、服を脱がせてるんですよ。脱がないとできないでしょ」
「おま、っ」

まずい、そう思いすかさずバニーの手を取る。そこで初めてある事実に気がついた。

「あれ」
「……」
「…おまえなんで震えてんの」
「ほっといてください」

華奢なその手は小刻みに震えを訴えていた。てっきりやり慣れた痴女だったのかと思っていたのだが、頼りなく振動を発するそれは慣れている者の手つきとは考え難い。むしろ、初々しさしか感じ取れない。よくよく見れば彼女はひどく切羽詰まった顔をしていた。ああ、まさかこれは。

「バニー、おまえ」
「黙ってください」
「初めてなのか」

瞬間、端正な顔が羞恥によって耳まで真っ赤に染まる様は少し面白くもあった。バニーはわなわなと全身を震わせて射抜くように俺を睨む。見開き気味の目にはうっすら涙が浮かんでいた。開いた口はぱくぱくと意味のない開閉を繰り返し、発する言葉が纏まらないらしいことを思わせる。その挙動を目の当たりにし、一瞬にしてバニーの印象ががらりと変わってしまった。うーん、いかんいかん。可愛いぞこりゃあ。

「わ、わ、悪かったですね、はじめてで」
「いや悪くはねーけどさあ…」

なんで俺のこと押し倒したりすんだよ、とにやける顔を無理やり引き締めながら問いかける。おっさん相手で初めてを済ませてしまおうという心理がいまいちよくわからないのだ。それに、この揺れるか細い肩と力のこもった手。どう見ても怯えている。だのになぜわざわざ自分から誘ったりするのか、俺には理解できなかった。質問された当の本人は、え、と小さく掠れ気味の声を漏らし、視線をあちこちにさまよわせる。彼女の両手がシーツを手繰り寄せ、美しいおみあしが純白を蹴った。そしてしばらくの間。2分くらいだろうか。バニーは首までもを真っ赤に染めて、やっとサーモンピンクを押し開いた。ほんとうに赤が似合う娘だなあとぼんやり回っていた俺の思考は、彼女の言葉で波にさらわれる結果となる。

「わたしは、お、おじさんが、すき、なんです」

すきなんです。改めて確認するように、そして俺に気づかせるように。バニーはたどたどしく、そう繰り返した。涙混じりの声音にまたも可愛らしいという感情を本能的に抱きながらも、先ほどバニーが言い放った台詞の意味を吟味し反芻する。おじさんのことが好き、俺のことが好き、だと。相棒は言った。言ってしまった。これにはさすがに面食らう。彼女の気持ちにもだが、今までそのことを感づかなかった自分に、何よりも驚いていたんだと思う。毎日一緒にいたっていうのに、想いの片鱗にさえ気づかなかった俺は、もう鈍感とかそういうレベルではないのかもしれない。透き通る緑のガラス玉が半分瞼で覆い隠され、そっと影を落とす。この状況には不釣り合いな感想かもしれないが、美人だなあとしみじみ思ってしまった。

「あなたがぜんぜん、振り向いてくれないから、わたしは、わたしは」

瞬きの合間に、瞳の海がついに雨となって俺の頬を濡らした。ぽたりぽたりと、小降りの雨が降り続ける。彼女が俺の腕を女性らしい力でぎゅうと握った。触れた箇所は熱を持ちすこしずつ俺を蝕む。バニー。名前を呼んでみると、ぬるい水滴はほんのすこし量を増やした。眼鏡のレンズが水にまみれて最早役目を成していなかったので、緩やかな手つきで外してやる。肩をびくつかせたあと、吐息をはいて、バニーはまたぎこちなく愛を紡ぐのだ。

「すきなの」
「おじさん、たすけておじさん」
「くるしいの…」

ああ、だめだ。これはいかん、実にいかん。張りつめていた理性の糸が大きく揺らいだ。俺をまっすぐ見つめるバニーのひとみに映るのは、情けない顔をしたけもののようなひとりの男。その男が手を伸ばし彼女の頬をやさしく撫でると、彼女は自分のそれより一回りも大きい男の手に頬をすりよせる。ぷつり、何かが切れた音がした。
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