もう死んでしまおうかしら。だなんて馬鹿げたつぶやきも、時にはしてみるものである。久々に見た友人の顔のなんと鬼に似たことよ。布団に寝ているぼくにのしかかる亜双義からは重みが感じられないので、ああやっぱり霊なのかとは思うのだけれど、いかんせんぼくに突きつけるその刃は本物のようだった。どうやって動かしているのかしら。情念のようなソレかな。
「成歩堂龍ノ介」
「………」
ぼくを呼ぶその声は、地というか地獄を這っているのかと思うほどのものだった。すごく怒っている。なあ、そんなに唇を噛んだら怪我をしてしまうんじゃないか。
「キサマ、今何と言った」
「……もう死んでしまおうかしら、と」
「つまり、自死を選ぶと?」
いつもなら熱い風を生み出すはずの亜双義が、今は夏すらも真冬に変えてしまいそうなほどの殺人的な冷気を放っていた。背筋どころか身体中が凍りに凍って、うまく動かなくなる。これは巷で噂に聞く、金縛りというやつではないだろうか。行動がとてつもなく霊っぽい。さすが亜双義、もう霊すら極めたのか。
「成歩堂龍ノ介。答えろ」
「……少し、考えただけだけれど」
「何故考えた」
「それは……」
わかるだろう、おまえなら。ぼくの全部わかっているみたいな顔をして、そんなこともわからないおまえじゃないだろう。
そんな想いを瞳にこれでもかというほど込めて亜双義の深淵を覗きこむ。ついでにその腕を掴もうとしたが、見事に空を切った。触れることはできないのか。やっぱり極めてはいないらしい。
亜双義は喋らない。じっとぼくを見ている。ぼくだってなんにも言わなかった。ただ、ぼくは泣いていた。なんだか知らないけれど、とてつもなく悲しかった。おまえが死んだときすら出なかった涙なのに、どうしてこんなときに出るのかなあ。
亜双義のどこまでも冷たい視線が刀とともに喉元に突きつけられ、ゆっくりと近づいてきた。首の薄皮が刃先に裂かれ、つう、と血が伝う。それを一瞥しながら、目前の鬼か天使は微笑む。
「オレのいない生は地獄か」
「ああ」
「天国に行きたいか」
「……ああ」
行きたいとも。そう口にした。そのときぼくは少し笑ってしまった。亜双義が「天国」なんて言うの、すごく似合わないのだ。
そうしてしばらく、永遠のような一瞬間が流れた。視線と視線がまざりあって、ぼくの海の中に沈んでいく。なかなかに純度のある静寂だった。透明な膜にでも入っているかのようだ。
「キサマが自らこちらに来るというくらいなら」
そんな清涼で安穏な膜を斬り裂いたのは、やはり亜双義だ。先程までのぼくを刺しつらぬくかのような目はどこへやら、ずいぶん優しい色をそこに宿している。ぼくはうれしくなった。次にこいつが紡ぐであろう台詞が、完璧に読めたからである。
「オレが連れていってやろう」
言葉に合わせて刀身がきらりと光った。やっぱり。予想どおりだ。おまえがぼくを殺してくれる。ぼくはこれを心のどこかずっと深いところで、ひっそりと祈っていた。だってぼくはおまえを救えなかったのだ。ぼくは、いつおまえに裁かれてもよかったのだ。
刃の側面をそっとなぞる。少しつめたい。そのつめたさを体に刻みながら、ぼくはゆっくりと頷いた。血がまたたらりと垂れる。それらを見た亜双義は、またもや嘘のように優しく笑んだ。瞬間、その手が刀を握り直す。ああ、死ぬのだな。そう考える。
けれど結果は違った。刀の先はぼくの首の真横、床へとその身を埋めていた。なおも柄を握る亜双義はぼくを見ている。じっと見ている。と思えば柄を離し、ぼくの首に口を寄せた。鮮血を垂れ流す傷口にその唇を押しつけたあと、緩慢な動きで起き上がる。見上げた先のその口元は口紅を施したかのように赤く染まっていた。
「どうやらオレが連れて行けるのは、生き地獄だけらしい」
そう言って鬼が笑った。その瞳の中には憤りも悲哀も親愛も何もかもが存在していた。ぼくはなにも言えなかった。ただ、亜双義を見ていた。地獄を統べる者とは思えないほどきれいだった。

朝起きると首の傷は消えていた。枕元に置いてあった狩魔はきちんと鞘におさまっている。ハチマキもちゃんとそこに結ばれていた。上半身を起こし、大きく伸びをする。なんだか瞼が腫れぼったいし目がしょぼしょぼとしたけれど、とりあえずぼくは今日も地獄を始めるために朝メシを食べに行く。
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