結婚前夜、夢を見た。ぼくは亜双義と海辺を歩いている。なぜかぼくは23歳のときの姿に戻っていて、亜双義もぼくの記憶の中で永遠になったあのときの姿のままだった。水平線がずいぶん遠くに見える。細かい砂粒が足の指の隙間に入ってすこしくすぐったかった。亜双義はあの緋色のブーツを履いているというのに、どうしてぼくだけ素足なのだろう。自分の夢なのにうまく調整がきいていない。
ぼくらはひたすら海の際を歩きつづけていた。たまに波が足を捕らえて、冷たいと感じた。潮の香りが鼻を突いた。波の鉤裂きが、ときおり夕日を隠した。ぼくはずっと亜双義のたなびくハチマキを見つめている。亜双義は振り返らずに、どこに向かうでもなくただ歩む。何年ぶりだろう。何を話せばいいんだろう。もういい年をしているくせに、こういうときに頭にはなんにも浮かばない。
「近頃はどうだ」
ふと亜双義が振り返らずにそう言った。唐突だったものだから、言葉に詰まってしまう。少しの間逡巡していると、亜双義はフフッと短く笑った。その雰囲気はずいぶん優しげだ。まるで今ここに立っているぼくのすべてを許してくれているかのような。……そういえばあの頃も、亜双義はいつもぼくのすることを許してくれていたっけ。
「楽しいよ」
けっきょくぼくはその一言だけをなんとか口にした。少し間を空けてから、「そうか」と返事が返ってくる。その声はどこか上機嫌だった。胸の奥がきゅうと鳴く。
それっきり亜双義は口を閉ざした。ただ黙って、浜辺に足跡を作っていく。ぼくも静かにその足跡の上を踏んづけて、果てのない海を歩いた。そうしているうちにも、だんだんとこの夢を作った理由を思い出し始める。そうだ、ぼくは亜双義に言わなくてはならないことがあった。どうしても、言いたかったことだ。ぼくが生涯で一生貫き通すであろうこと。今まで誰にも言えなかったこと。
考えるうち、いつの間にかぼくは歩みを止めていた。砂を踏む音が鳴らなくなったのに気づいたのか、ぼくから少し離れた場所で亜双義もまた立ち止まる。ハチマキがくるりと回って、振り返った亜双義はぼくに「どうした」と投げかけた。本能的に、今だと思う。ぼくは口を大きく開けた。亜双義、一度しか言わない、いや、言えないだろうから、是非ともよく聞いてくれ。そんな気持ちを視線に込める。なおも不思議そうにこちらを見ているその表情に、やはり胸は鳴いた。
「亜双義」
「ぼくは……」
波の音が遠くに聞こえる。砂を踏みしめて、その瞳を射抜くように見つめた。しかし、自分の中でいびつに成熟した想いを言葉にするのは思っていたより難しいものだった。それから先の言葉をどう口にするかに思考を巡らせる。その間、亜双義は何も言おうとしない。ただ、表情は変わった。すべて見据えたかのように、ぼくに笑顔を見せている。何か言いたげなようだけれど、たぶん何も言わないつもりでいるような、そういう笑顔だ。必死に繰り返す思考も、その顔を見ているうちに霧散の一途をたどりはじめる。たぶんすこし、見惚れていた。
「成歩堂」
なだめるように名を呼ばれた。まるで制止でもするかのような。もしかして、これからぼくが何を言おうとしているのかわかっているのかもしれない。いや、わかっているんだろう。そういう、ぼくのことをなんでも見透かしているかのような瞳、ああずっと好きだった。
親友に恋をしていた。最初はただ本当にあいつの傍にいられるのが誇らしくて、友人としてあいつのことを好きだった。ぼくを相棒と呼んでくれたあいつに自分がそんな想いを抱いているだなんて、少なくとも日本にいる間は露ほども思ってはいなかった。けれどぼくは、想いを自覚した。自覚したのは、あいつが死んだあとだった。亜双義一真。ぼくはおまえが好きだ。そう伝えたいと思っても、もう亡骸すらなかった。
だから今日、亜双義の夢を作った今伝えなければならないとぼくは思ったのだ。けれど亜双義のその笑顔はぼくの言葉の先を促すというよりは、せき止めるような意味合いである気がしてならなかった。ぼくの思いこみであることは、わかっているけれど。
「……亜双義」
もう一度名前を呼ぶ。瞳には祈りすら込めた。どうか今からぼくが言うことを許してはくれないか。そんな気持ちだった。けれど、呼ばれた亜双義はまた静かに微笑む。さっきぼくが見たものと、まるで同じだ。きらきらと輝きながら、視線でぼくの口を塞ぐ。ぼくはついに言葉をなくしてしまった。代わりに、もうひとつ用意していた言葉を口にする。
「ぼく、結婚するんだ」
風が頬を撫でる。押し寄せる波が水平線の方向に引いていく。少しの間を置いたあと、亜双義は、やはり笑った。
「幸せになれ」
言葉の端々からは喜びがにじみ出ている。その細められた目に映るぼくの顔の、ああなんとみっともないことだろう。波に反射する細切れの太陽がぴかぴかとこの夢を照らしている。視界がぼんやり滲んでいたけど、亜双義が最後まで笑っていたことはわかった。
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