足立さん!あなたのすべてを俺は否定できずにいたでしょう、今まで!でも俺はなんだかもう、信徒のような気持ちであなたを見ているばかりではいられなくなってしまいました!それはなぜなんでしょう。あなた以上に大切で憎いものなんていらないと思っていたのに!俺はたぶんこの1年を終えた瞬間、あなたのことをきれいさっぱり忘れてしまうでしょう!そういう予想がついに確信へと変わりつつあるのです!それはなぜなんでしょう、なぜなんでしょう!
春の風が俺の正常な思考回路を奪っていく。どうしてだろう、いつしか桜が大嫌いになった。昨夜の雨が作り出した水たまりに無数の桜の花びらが色をつけている。どうしてだろう、それさえももう、許せはしない。思い切り水たまりの上を踏みしめて、自宅へと足を進めた。帰れば菜々子がいる。叔父さんもいる。まだ菜々子は俺のことをすこし怖がっている。俺はそんなに怖い顔をしているのだろうか。果たして俺は、誰のせいでこんな菜々子を怖がらせるような顔になってしまったのだろうか。水面に誰かの顔が見えた気がして、慌ててもう一度そこを強く踏んだ。泥がズボンの裾に跳ねる。洗濯しなくちゃならない。
足立さん!ああ、春は過ぎ去りました!あなたの吐寫物を瞳の先で見据えるはめになる、あの春が過ぎ去ったのです!俺は殉教な信奉者であろうと努めましたが、もう祈る手をうまくあげられないのです!体のなにもかもが、あなたから離れる準備をしている!ああ、足立さん!あなたの顔なんてもう見たくもないと思っていたのに、今俺は猛烈に、あなたと話がしたいのです!ああ!寂しいのです!
お兄ちゃん、と無邪気に笑いながら菜々子が俺を呼ぶ。麦わら帽子がよく似合っていて、かわいいぞと褒めてみるとすこしだけ顔を赤くした。スコップを持った叔父さんが、俺にキャベツの種を差し出す。なぜだかちょっとおかしくなって笑ったら、二人が不思議そうな顔をした。そりゃあそうだろう、俺だって不思議なんだ。種を植えながら午後からは友達と海に行ってきますと告げると、叔父さんは一瞬間の間をあけてから「気をつけて行ってこい」と言う。すこしそわそわしている菜々子に「また近いうちに一緒に行こうな」と言うと、菜々子は元気な返事をしてから麦わら帽子のつばをくるくると回した。
足立さん!夏のアスファルトは地獄のように俺を責め立てています!目玉焼きでも焼いてしまいたいくらいでした!俺はもう、ジュネスに毎日のように通いました!毎日夜中に商店街をさまよいました!ああ、何もないのです!変化も成長も、もう何もありはしないのです!そもそもの始まりとして、俺はある一定の期間を過ぎてから、俺という自己としての楽しみ方をもうすっかり踏みつぶしてしまいました!なんだかもうやるせなくて、個性なんてなくて、つまらないことだらけでした!けれどそこにあなたは現れて、俺に終着を授けたのです!俺はかわいそうなあなたに惹かれたのです!愛していました!だから俺は、あなたを否定するべきだと思ったのです!そのために、それだけの大儀のために、こんなところまで……こんな地獄までやって来たのに!もう何も、ありはしないと誰かが言うのです!
寒くなってきたな、と陽介が自分の両腕をさすりながら俺のほうを見た。もう秋だな。びゅうと吹く風の冷たさを噛みしめながらつぶやく。もうすぐいちょうがこのあたりを覆い尽くして、街はしばらくの間控えめな色をもって俺たちの網膜を刺す。それはつまり、もうすぐということだ。もうすぐあの光景を見るということだ。「おかえり、オニーチャン!」家に帰ると、菜々子とトランプをしていたらしいクマがそう言って俺を出迎えた。二人で遊ぶ約束をしていたらしい。曖昧な笑みを返して、足早に自室へと向かった。
所詮主人公なんてエゴの塊でしょう。ボスだってそうですよ。けどあなたのエゴは、まるで俺を救うためにあるかのようだった。あなたに俺のエゴは届かなかったようだけれど。ああ、ずっと出しゃばっていてすみません。俺は希望の因子だから正しいと思われがちなんです。だからすぐ表に出されてしまう。すみません、虚無だって立派な想いのひとつだし、共感されやすいのにね。けど俺は、あなたが最後にすがる砦になりたいので、だから、あなたという因子は消さなくちゃならないんです。元をたどれば希望と虚無と絶望なんてばかばかしい話ですよね。あとでイザナミにも言っておきます。

「よろしくお願いします」
確か初めてクソガキに会ったのは、春の夜のことだった。堂島さんに連れられてやってきたいつもの場所に、ああ知らない奴がいるな、と最初に思ったのは覚えている。けれど堂島さんから話には聞いていたから、すぐに甥だと把握はできたが。僕は他人用のぺらぺらの顔を作って軽い挨拶をした。そうしたら奴もよそ行きですというオーラ満載の顔をもってして、にこりと行儀が良さそうに笑った。なんだかその時点から、不愉快だとは感じていた。
「庭にキャベツの種を植えました」
暑気からの逃亡先であるジュネスで偶然会った際、奴は急にそんな話を切りだした。ああそういえば最近なんか育ててるっぽかったな。堂島さんも「収穫が楽しみだ」とか言ってたっけ。「うまく出来たらお裾分けしてよ」と笑ってみると、奴はなんだか曖昧な薄ら笑いを浮かべて頷いた。それを見て、キャベツならもしもらえるとすればありがたいが、しかしこいつからもらうのはなんだか腑に落ちないな、と思った。しかし今更やっぱりいらないだなんて言うのも、少し不審だ。今の状況にまだ波風はいらない。
「もうすぐですね」
今度はなんだ。夜の商店街、どうしてか出歩くたびにこいつに会う。ストーカーされてるのかと疑うくらいだ。堂島さんも保護者兼刑事としてもっとこいつの行動を取り締まってほしいもんだ。とりあえず僕が何か答えるまで無言の直立不動を貫き通す腹積もりらしいクソガキに目を合わせ、何が、と短い応答を返してやる。奴はにっこり微笑んで、冬、と言った。そのよくわからない回答に、無性にこの場から離れたくなった。なんだか不気味だ。こいつ、こんな奴だっただろうか?その後存外あっさりと、それでは、と告げて帰る奴の制服が冷えた風に揺らされていた。

それからすぐにあいつの言う「もうすぐ」は訪れた。菜々子ちゃんが生田目にさらわれ、なんとか救出されたが結局衰弱した体はその不可視の重みに耐えられることができなかったらしい。クソガキ共は泣きわめき、堂島さんはあまりのことに放心する他ないようだった。そんな中で、奴だけは何かを決心したように一人でひっそりとその凄惨な場を抜け出していた。そのとき不意に直感した。あ、これは死ぬぞと。奴にまとわる生の雰囲気が今がらりと一変しているのを、おそらく僕は誰よりも早く感じ取ってしまったのだ。お仲間たちも医者も誰も、彼がいないことに気づいていない。なんとなく、ほんの気まぐれのつもりで、僕は奴のあとを着けていった。
着いた先は商店街にある神社だった。しかし、鳥居に入る前くらいから奴の姿が見えない。夜も末であたりは暗く、すこし見回してみてもうごめくものさえ見えはしなかった。見失った可能性が高い。どこに死に場所を探しにいったのだろう、奴は。明日には死体があがるのだろうかとぼんやり考えて、ああ堂島さんはついに立ち直れないのではないだろうかと、眉を寄せながら考えた。
「死にませんよ」
そのときだ。後ろからいやに陽気な声がした。さすがにびくつきながら即座に後ろを振り返ると、そこには薄く笑いながら俺を見るクソガキの姿があった。ホラー映画よろしくなその登場の仕方に、僕が漏らすのは苦笑ばかりだ。
「ちょっと、おどかさないでくれる?」
「俺が死ぬと思ったんでしょう」
「…はあ?」
見透かしたような顔がなぜかうれしそうに歪んでいる。死ぬほど不気味で気色悪い。
「俺は死にませんよ。そもそももう死んでいるようなものですし」
「わかるように言ってくれない?」
「あなたをきちんと否定し終えるまでは、死ぬわけにはいかないんです」
話を聞く気はないらしい。ていうか、否定って。なんだそれは。嫌がらせか?
「ここに来た理由は、あなたとこうして話をするためです。正直あなたが着いてきてくれる確信はなかったので、賭けみたいなものでしたけど。でも来てくれたので、よかったです」
「…早く病院に戻ったほうがいいんじゃない?いや、戻るのがつらいなら、せめて友達にでも連絡しておいたほうがいい。突然どっか行っちゃったら、君の言うとおり死にに行ったって思われても仕方ないよ」
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です。死なない呪いを自分にかけているので」
「…あー、そう」
いかれちまってるな、これは。まあ仕方ないだろう、リーダーなんて言われて持ち上げられてた自信が、姪の死亡っていう最悪な形で地面に叩きつけられたんだから。黒魔術じみた思考に達してしまうのもしょうがない。
「足立さん、俺はずっと頭の隅でいつもあなたのことを考えていたみたいです。あなたの思考なんてもう手に取るようにわかってしまいますし、あなたをどうにかここから出す方法も見出しました。けれど俺は卑怯なので、自分も幸せになりたいんです。だから考え方を変えます。俺は俺のために、エゴを貫くことにしました」
「エゴ?」
「あなたを捕まえて、あなたを救うことです」
おっと、ここで静止。捕まえる、と奴は言ったか。まるで真犯人はこの僕だと言いたげな口振りじゃないか。それはいつから、……いつからバレていた?
「ずっと思ってたけど君さ、気持ち悪いよね」
「……言われ慣れてます」
やっと言葉が通じた。そう思った矢先、あいつはまた気味悪く笑って、それでは戻ります、とすこし勢いをなくしてつぶやいた。追及されることもすることもなかった。これからまた何度も、俺はこいつに会うだろう。そんな死刑宣告のような予測が脳内を飛び交った。
――そんなことを足立さんは思っていたはずだ。俺はすべてわかっている。あの人がどれくらい俺のことを疎んでいるかなんて、それこそずっと前から。だから俺は次の現在のために、この現在を捨てる。俺はこれから死なないかわりに、一人殺すのだ。彼もきっと心のどこかでそれを察していると思う。まるで、共犯者ですね。


「生田目を落とせ」
俺の言葉に、仲間たちの体が一斉に強ばるのを感じた。まさかそうはっきり口にするだなんて、おそらく誰も思っていなかったのだろう。
「ちょ、…っと、待ってよ」
震えた声で千枝が静止を求めてくる。雪子とりせも頷いて、青い顔で俺に懇願するような視線を向けていた。
「もっと、ね…考えよう?そんなにあっさり決めていいことじゃない…」
「いや、やろう」
雪子の言葉を遮るように陽介がつぶやく。その拳は固く握られていた。完二と直斗は陽介の言葉に静かに頷く。
「俺達がやらねえで他の誰がやんだよ、こんなこと」
「こんな惨たらしい事件の再犯は、防がなければならない」
二人の言葉に陽介は「ああ」と小さく同意を返し、千枝や雪子やりせは泣き出しそうな顔になった。そりゃあ嫌だろう。俺のせいで苦しめてしまってごめんな。でも、だからこそなおさらここで止まることはできない。
「見るのはつらいだろ。3人は外に出ていてくれ」
そう話しかける。すると3人はまず目を見開いて、少しの間それぞれの顔を見合って逡巡していた。しかし3人とも最後には何かを決意したような表情を作り、強い目をしてこちらに向き直る。
「見届けるよ。…仲間だもん」
誰かが言ったその言葉に、俺はひっそりと頷いた。ショートカット。これで来年へ。ごめんな、最低だって笑ってくれ。お前達のリーダーは、今ここにいるお前達を捨てていくんだ。俺はお前達が大好きだよ。それだけは本当に、嘘じゃないんだ。信じてくれとは言わないけれど。
足立さん、会いに行きますね。待っていてください。すぐに4月がやってきて、俺はあなたのもとに駆けつける。きたなくっても許してください。俺にはもうこれしかない。ああ、規則的な揺れが近づいてくる。電車だろうか、車だろうか。どっちでも、どこでもいい。

目が覚める。携帯を開いた。4月という文字が目に飛び込んでくる。
「これでいい」
迷いなくそうつぶやいて、携帯を閉じた。もうすぐ聞こえる春の足音のために、俺はもう一度瞼を下ろす。



春よ来い
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