ある夜、ベッドに座って本を読む僕にふとスレイが寄りかかってきた。僕とスレイの間に距離感は普段からそれほど存在しない。だから特別意識なんてせず本を読みながらそれを許容していると、どこか憂いを帯びたスレイの口から意識せざるを得ないような言葉が飛び出した。
「ヘルダルフが怖いんだ」
思わず本から顔を上げて隣を見てしまう。スレイはこっちを見ようとはせず、先程までと同じように沈んだ瞳で床を見つめていた。スレイは誰にも相談せずひとりで背負いこむ癖がある。だから僕に対してさえあまりこんな吐露はしない。さっきまで頭の中で噛み砕いていた本の内容がすべて塵のくずとなって思考の彼方に消え去っていった。けれど僕はあえて、視線を本に戻すことにした。そのまま、ページをめくるふりをする。するとスレイの纏う空気がやわらいだように感じた。いや、僕がそう感じたいだけか?
「あんな奴に、勝てるとは思えない。ただそこにいるだけで足が震えるのに、それと戦えだなんてさ。怖くて仕方ないんだ」
「うん」
「それに、この旅でオレが救えた人なんてほんの少ししかいない気がするんだ。いいや、そのほんの少しの人達にだって救えたなんて言えないのかもしれない。導師として
本当にみんなを幸せなほうに導けてるのか、ぜんぜんわからない」
「うん」
「最近毎日のようにイズチに帰りたいって考えちゃうんだ。やるべきことをやってから帰らないとジイジに怒られることなんてわかりきってるのに、むしろ怒ってほしいなんて思う。ばかだよな」
「…そうか」
なら帰ろうか。今からここを抜け出してイズチに帰るのなんて簡単なことだ。みんなに見つからないように街を出さえすれば、あとは加護天族の力を借りてあそこに帰れるだろう。そう口から出ようとする言葉をなんとか体の奥へ押し込んだ。こんなことを言ったら、スレイにいらない迷いが生まれてしまう。それだけは避けたかった。使命に押しつぶされてしまうくらいならいつでも手を引いてやりたいけれど、今はまだすがりつかれてるわけじゃない。だから僕は、ただこらえなければならないのだ。それがすぐさまわかってしまうのが、かえって自分にとって苦しく重い足枷となっている気がした。
話し終わったのか、スレイが無言になった。一定の間隔でページをめくる手を僕は止めていない。スレイはそんな僕の手元をじっと眺めている。目線に文字を追うふりをさせている僕を、ずっと見ている。君の考えていることをすべて知れたらなと、こんなときによく思った。同時に、すべて知るのが怖いとも思う。これは長い間育みすぎてもう自分でもよくわからないぐちゃぐちゃとした感情の一部だ。
「ありがとな、ミクリオ」
やがてスレイはそう言って僕から体を離し、今までの空気を振り切るかのように笑った。ああ今夜が終わる、とふいに感じる。
「さっきまで言ってたこと全部嘘だから、忘れてくれよ」
無邪気な瞳の中に懇願の色なんて見出してしまっては、もう頷くしか道はない。胸の奥が締めつけられるような、たまらない気持ちになる。けれど君が嘘だと言うならそれは嘘でしかない。今はそれでいいと、肯定するしかないのだ。スレイのほうを向いて微笑むと、彼は少し眉を下げて同じように微笑んだ。心が大きく軋んでいる。
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