気がつけば溺れていた。僕は海の深い深い場所で苦しそうに泡を吐いていた。こんなにちいさな泡のひとつになってすぐさま消えてしまった人魚姫はほんとうに可哀想だなあと心のどこかで悠長に考えている自分に驚いていた。思考回路はぐるぐる回って死さえ受け入れられる境地に達しかけていたけれど、不意に誰かの声が鼓膜を揺らして、そこからどんどん生きることへの執着が湧いてきた。能力はなぜだか使えなかったからただただ必死に上を目指して泳ぎ続ける。やっと水面から顔を出せたとき、目にしたのは炎だった。海上は燃えていた。炎がすぐ傍まで迫ってきていた。また水中に身を潜めたらやっぱり苦しかった。ああもうここでは生きていけない。誰が僕をこんなところに産みおとしたの、しにたくないごめんなさい、

「ころさないで」
「殺さねえよ」

ごつごつした大きな手のひらが僕の頭を撫でていた。だれ、おとうさん?涙でふやけてこぼれおちそうな眼球がぼやりとひとりの姿を映し出す。ああ、おじさん。そうだ父さんがこの世にいるわけがなかった。父さんは海の上で燃えてしまったのだ。

「怖い夢でもみたのか」

語りかけてくるおじさんの表情も声色も触れてくる手もなにもかもが優しさでできていた。彼のひとことで、あああれは夢だったのかと認識する。はい、とても怖い夢をみました。そう返事をしたらおじさんは僕の額にちいさなキスを落とした。大丈夫だから安心しろと囁かれてたちまち視界がぶれはじめる。涙が海のように押し寄せてきた。でも今回は溺れない。ちゃんと呼吸ができている。やさしさを帯びた海がベッドシーツに水玉をつくっていった。手を伸ばせばそっと握ってくれるひとがここにはいるのだから、もう悪夢なんて見ることはないだろう。僕はしあわせの香りを知った。

「おじさん」
「はいはいなんですか」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
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