真夜中に足立さんと商店街の路地裏で待ち合わせをした。目的は、夜の学校へ忍びこむことだ。足音をできる限り消して学校への道を進んでいく。その間の二人は完全なる沈黙を守っていて、それでも俺の後ろを歩く足立さんの微かな靴音はひっそり鼓膜を揺らしていた。彼がきちんと後ろにいることを実感しては安心を覚えて、夜の闇に紛れて視界を湿らせる。それでもなんにも言わずに前へ進んだ。
しばらくして、電気のひとつもついていない鬱蒼とした雰囲気の校舎の前にたどり着く。昼間とは印象ががらりと変わって見えるのはなんとも不思議なものだ。俺はひょいと正門を乗り越えて、足立さんに手招きをした。しかし彼はかなり手こずっているようで、門の前でぶつくさ文句を言っているのみだ。仕方がないなともう一度門を乗り越え、肩車しますよと声をかけた。絶対に嫌だと珍しく素直に拒否の感情を顔に宿して首を振る彼だったが、3分もすれば大きなため息を吐きながらも折れてくれる。しゃがみこんで乗ってくださいと促せば渋々といった様子で彼は俺に跨った。そのまま立ち上がって、思ったよりの重みが存在しないことに少し驚く。そういえば、いま掴んでいるこの太ももだって細いものな。率直にそう伝えると気持ち悪いと一蹴された。今日、いや今回の足立さんはいつもより素直だ。奮闘の末に足立さんがなんとか門を乗り越えることに成功したので、俺もすぐに後を追う。さっさと歩き始めてしまっている足立さんの隣になんとか並んで、ふたりで学校内部への侵入を試みた。さすがに正面からは入ることができないから、どこかに潜入できる場所がないか探してみる。するとやたらと都合よく1階の窓が閉め忘れられていた。とんとん拍子に運ぶ出来事に俺は、たぶん足立さんも内心ちょっと恐怖を芽生えさせていたけれど、もうこれはかみさまが俺たちの行動を賞賛して推進しているんだろうなと思うとすんなり納得できる。居もしない神に祈るのは慣れたよ。俺はすっかり立派な殉教者。足立さんに手を差し出すと、握られることなんてなく普通に無視された。やっぱりかみさまなんかこの世界にはいないや。
窓に登って中へと潜りこむ。足立さんはここでもやっぱり苦戦していて、なかなか入ってくることができないのだった。窓枠に掴まる彼の手を片方握って引っ張ると、不愉快の感情が笑っちゃうほど顕著に現れた表情が視界に映る。けれど特に不満が飛んでくるわけではなく、俺に引っ張られて彼は無事に窓から校内へと足を乗せることができた。ふう、と息を吐く彼を尻目に、あたりを見回してみる。人の気配のひとつもない中にはもちろん明かりだってひとつも見当たらなくて、この闇に一度踏み出してしまえばもう帰ってこられないような気が少しした。いわばこの窓はまるでセーブポイントか。戻りますか、諦めますかと、今まで何度も何度も問いかけられたことを不意に思い出した。セーブを忘れていて困ったことも何回かあったな。そんな風に過去のことを回想していると、ねえ、と横から鋭い声で肩を突かれる。見ると、足立さんが少し眠そうな目でもって俺を刺していた。慌ててごめんなさいと謝って暗闇をゆっくりと歩き出す。あのときの視線が促されているように感じたのは、俺の身勝手な思いこみだったのだろうか。
足立さんと歩く廊下は、いつも歩いてるはずなのにまるで別の場所にしか思えなかった。2階に上がれば、通い慣れた教室が見える。指をさして足立さんにあれが俺の教室ですと言ってみると、気のない返事だけが実に投げやりに返ってくる。どうでもいいですかと聞くと、まあね、と頷かれた。かなり興味がないらしい。足立さんはそのまま階段の先を見る。つられて俺も階段をあおいで、もう一度彼の横顔に振り返った。手を握りたかったのだ。けれどなんだか手をつないでくださいと言うのが怖くて、すぐに諦めた。

終わりの意味がわかったのは89回目の夜のことだった。それから10年、幾月の中で朝日を何度も迎え、99回目。100年を待つ話を知っていますか。あなたは百合をなんだと捉えましたか。俺は果たして、幸せになれるのでしょうか。

階段を上がって屋上の扉を開ける。閑散とした空間の上で、貼りつけられた絵のように大きく居座る月が光を放っていた。飲み込まれてもおかしくはないとさえ思ってしまう。フェンスまで進んで金網に手をかける。足立さんはポケットに手を突っ込んで空を見上げていた。月明かりはすべての光を担いながら彼の頬を青白く照らしている。互いの間に言葉はなかった。今何を話すべきかなんて俺にはもちろんわからなかったし、彼も何を言えばいいかを知ったうえで話さないようだった。静寂ばかり目立つ。彼の瞳からは感情なんて窺えなかった。自分でも今どんな表情をしているかなんてわからない。いろいろなことを考える。
俺は足立さんに固執していた。彼さえ救うことができれば、俺の1年は華やかな終わりを迎えられると思っていた。けれど俺の救いは、彼の救いではなかった。当たり前だ。俺は救えるならきっと誰でもよかった。けれどやっぱり、足立さんでよかった。そう思えてしまうのだ。
だから俺は言うのだ。大きな月に語りかけるように。

「月が綺麗ですね」

その言葉は遺言のようにあたりに響いた。本当に月は綺麗だ。いつ見たってずっと変わることなんてなく、綺麗だったのだ。だから、返事を期待していたわけじゃないけれど、俺は今そう言いたかった。足立さんはしばらく月を見上げながら沈黙を貫いた。もう返事はないのだなと思って、俺はまた同じように月を見た。けれど、足立さんは口を開いた。やっぱりかみさまはこの世にいたのだ。

「死んでもいいかもね」

鼓膜が拾ったのは、確かにそんな一言だった。横を見ると彼は俺のほうを向いて笑っている。夢なんじゃないかとか、幻なんじゃないかとか、そんなことばかり考えた。そして次に、ああこのひとは、よく物を知っているんだなあなんて思った。そしたら乾いた肌を潤すように涙は頬に降りてくるじゃあないか。だって俺は、諦観しか信じていなかったもの。俺はね、俺だってね、あなたが傍にいてくれるなら、いつだって死んでもよかったんだ。本当にいつだって、今だって。足立さんは俺と同じように、金網に手をかける。

「じゃあ行こうか」
「はい」

足立さんは笑う。俺はあなたを救えましたか。最後にそう訊くと、足立さんは笑った。それだけでもうじゅうぶんだった。
つまり、結論として、俺は幸せになれたのだ。
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