初めてモナカちゃんの目を見たとき、ああなんてきれいな目をしているんだろう、と心の底から思った。まるい緑がよく澄んでいて、なんにも恐いものはないみたいに真摯に前を向いていて。その目があまりにもまっすぐ僕を見るものだから、初対面にもかかわらずまるで彼女は僕のすべてを知っていて、そのうえで僕という存在を許しているように感じた。人一倍強い僕達の承認欲求を、たった一度目の視線の交錯で満たした彼女。ああ、彼女はきっと僕らの希望だ。そう確信したんだ。それから僕がモナカちゃんを好きになる時間なんて、1日もかからなかった。

深夜用を足すために1階に下りると、リビングから光が漏れている。そっと中の様子をうかがいつつ聞き耳を立ててみると、神妙な面もちの父と母が僕のことを「被験者」と呼んでいた。始め聞いたときは驚いた。新月という家の息子としての自分のアイデンティティが激しく揺らいだ気がしたからだ。けれど、何度も聞くうちに、僕は父と母が誇れるような優秀な「被験者」にならなければという使命感のようなものを強烈に感じるようになった。24時間を連続で生きて、新鮮味のない朝を何度も迎えた。そういうふうに努力は惜しまなかったけれど、一定の値を超えると人は伸び悩む。父と母は僕のテストの点数を見てため息を吐くようになった。もっと賢くならなければならない。このままじゃせっかく二人がしてくれた期待を裏切ってしまう。エナジードリンクをたくさん飲んだ。点滴をした。わけのわからないものを食べた。頭が冴えているのか朦朧としているのかわからなくなっていた。

「新月くん、最近具合悪そうだね」
いま思えば、モナカちゃんのこの一言が僕の価値観を正しく狂わせるきっかけになったのだった。その後の会話の内容も、一語一句、声のトーンまできちんと覚えている。この後、なかなか寝れないんだ、と言ったらモナカちゃんが首を傾げたんだ。だから僕は家での出来事を詳細に彼女に説明した。そしたら彼女、すごいんだ。僕のために、涙を浮かべたりなんてするんだから。
「かわいそう、かわいそうだよ、新月くん」
「オトナのエゴにつき合わされて、そんなにヘトヘトになっちゃうなんて。理不尽すぎるよ、ね、新月くん」
そのモナカちゃんの言葉のなかに紛れたひとつの真実を、僕は両親の教育が生んだこの優秀に似せられた頭のおかげで確実に摘み取ることができた。エゴ。エゴだって。その言葉は、今まで初めて聞いたかのような響きを持っていた。
「新月くんはぁ、オトナのおもちゃじゃないんだよ?新月くんは自由なんだよ?新月くんはもっと自分のことを大事にしてもいいんだよ?」
あのモナカちゃんのきれいなまるい緑が、僕のために涙を流してくれていた。モナカちゃんがモナカちゃんという存在すべてで僕を承認してくれていた。父にも母にも承認されないこの僕を、モナカちゃんがこんなちいさな体で受け止めてくれている。そのとき思ったのだ。僕という存在を受け止めてくれない親なんかより、僕を心配し受け止めてくれる彼女にこそ、僕のこの身を委ねるべきなんじゃないのかって。あんなオトナなんかに媚びへつらって生きなくっても、彼女がいてくれるならそれでいいんじゃないかって。その瞬間、親に反抗する思考なんてなかった今までの自分が急に恥ずかしくなった。あんな奴らの支配下におとなしく置かれていた自分が、ひどく醜い存在に思えて仕方がなくなった。
モナカちゃん、君の悩みを聞いたとき、僕はぜったい君のことを守ろうって思ったんだ。もう君が悲しむことのないように、オトナたちを全員根絶やしにして、コドモだけの楽園を作ろうって。君が心から笑っていられる世界を作ろうって思ったんだ。僕は君が好きなんだ。恥ずかしくって言えないけど、本当に本当に、大好きなんだ。この前なんて机に君との相合い傘なんて書いちゃって、いまだに消せなくて困ってるんだ。賢者って役割なのにね、自分でもこんな間抜けなことをしてしまう僕がいるなんて今まで知らなかった。モナカちゃん、僕は、僕らは君の足になるよ。君が歩けないのなら、僕らが全員で君を連れていってあげるからね。僕らのことを認めて解放してくれた君に、今度は僕らが報いる番だ。尊い君のために僕は生きよう。ああそれが僕のすべてだ、あんなごみみたいな両親のもとで縛られていた自分とは段違いに、今僕は輝いている!だって僕はいま、モナカちゃんが抱いてくれてる期待に応えてるんだから!

つまり僕の人生はモナカちゃんのために用意されたものだったのだ。ジュンコお姉ちゃんのおかげで、モナカちゃんを支える方法も知ることができた。僕は順調に彼女の期待に応じることができていた。そのはずだ。そうでしょモナカちゃん、僕のことすごいって思ってくれてたんでしょ?僕、こんなに頑張ったよ。オトナをたくさん殺したよ。期待どおりだろ?ねえ褒めて、モナカちゃん、僕のことすごいって、大好きって言って、ねえ、ねえ!

「モナカは」
楽園なんて、まったく興味なかった。モナカちゃんはそう言うのだ。僕の希望のモナカちゃんが。僕の大好きなモナカちゃんが。じゃあ僕の今までやってきた行動はいったいなんだったんだ?モナカちゃんのためにしてきたことが、モナカちゃんにとっては本当にどうでもいいことだったなんて。僕はモナカちゃんの期待に添えなかった?いや、僕は、僕にとっての希望は、モナカちゃんではなかった?理路整然と、論理的に積み立ててきた思考が、いっきにがらがらと音を立てて崩れ始める。その後に初めてキスをした。あのモナカちゃんと。あんなに焦がれたまるい緑を至近距離に見た。幽霊や妖怪のようにおぞましく澱んでいて、澄んでいる箇所なんてひとつもありはしなかった。ああモナカちゃん、僕が間違っていたのか。僕は君に、お前に、許されてなんていなかったのか。そうか、お前がまっすぐ見ていたのは僕なんかじゃなくて、その先の絶望だったのか。ジュンコお姉ちゃんの、笑顔だったのか。
モナカちゃん、モナカちゃん、モナカちゃん、モナカちゃん、僕は君とみんなの期待に応えるよ。君の笑顔を見るためだ。みんなも僕を必要としている。僕は超小学生級の社会の時間だ。希望の戦士の賢者なんだ。みんな僕が必要だろ?モナカちゃん、僕がいないと立てないだろ?なあ、ねえ、ちゃんと頑張るから、僕のことずっと見ててね。見捨てないでね、モナカちゃん、僕は君のためにずっと、……モナカちゃん、君の緑はやっぱり、とってもきれいだ。
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