「焦った顔は、父親によく似ているな」
思いも寄らない言葉は、考えもしないような方の口からひっそりと飛び出した。その常時に比べてどこか雰囲気の違えた低音に、ほぼ無意識に体は彼のほうを向く。視界に映るその瞳は、果たして何を見据えているのだろう。僕の顔を見つめながらも、おそらくきっと、何かべつのものを見ている。
「…え?」
遠慮を交えながらそっと訊き返しても、しばらくザーツバルム卿は僕への答えを寄越そうとはなさらなかった。未だ僕の先に、僕が決して知ることのできないような何かを見出しているかのような、そんな目の色でもって僕を射つづけている。僕が父親に似ている。そんなことを、この人が言う。動揺は際限なく僕のからだの中心部を揺らした。この人のちいさく伏せられた瞳はいま、僕の中に父を見ているのだ。しかも焦った顔だなんて、僕の記憶のなかに残っていないような父の顔を。そしてとどめのように、彼の表情は、僕がいま初めて目にするそれだった。笑っているだとか悲しんでいるだとか、いまの彼の前でそういう表現はまるで陳腐だ。
「…何、戯れだ」
忘れろ。しばらくして彼はそう口にした。僕は胸中での逡巡を掻き消すかのように、はい、と絞り出して、芽吹きかけた蕾をくしゃりとつぶした。危なかった。今のものは、きっと気付いてはならなかったものだ。だからこれで正解なのだと思う。もう今日のことは忘れなくてはならないし、脳裏に焼き付けるだなんてもってのほかだ。

そんなことを考えていたあの日のことを、僕は今あまりにもかんたんに思い出せてしまっていた。脳裏に焼き付けないだなんて努力、徒労でしかなかったな。あのとき彼が僕に咲かせかけた蕾は、つぶれるどころか彼の死をもって永遠無限の養力を得たらしい。蕾は今や花となって、僕の胸のうえできらびやかに広がっていた。おそらく一生枯れはしない。つまり端的に言えば、僕は彼に呪われてしまった。そういうあまりにも絶対的な話でしかないのだ。
ああ父よ、僕はあなたへ多大なる感謝を贈りたい。あなたの記憶は、僕の蕾が成るための土壌だった。僕はこれからもずっと、彼が生んだ亡霊を宿しながら生きてゆけるのだ。
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