最近、愛の指先には必ずと言っていいほど絆創膏が巻かれている。最初はひとつかふたつ程度だったからそこまで気に留めてもいなかったのだが、それは日を重ねるごとに量を増やしていた。水泳に支障をきたしている様子は今のところ見当たらないが、しかし部長として後輩の怪我については敏感になる必要があるのだ。
放課後部室で二人きりになったある日、俺は愛に聞いた。お前、その絆創膏はどうしたんだと。すると愛は照れくさそうに笑いながら「料理を練習してるんです」と言った。なんつう家庭的な理由だ、と少し笑えてしまう。すると愛もやはりはにかみながら微笑んだ。
「どうしても作りたい料理があるんです」
「作りたい料理?なんだそれ」
「僕がこの世で一番好きなものの料理ですよ」
「ふうん…?」
愛の瞳は意志の炎で燃えている。まるで泳いでいるときのように。表面のみを捉えた俺はその中の違和に気づくことはできず、ただ「頑張れよ」と華奢な背中を叩いた。するとあいつはよろめきながらも眉を下げて笑ったのだった。

それからも、愛の指の絆創膏は日に日に増えていった。もはや皮膚の見えている部分のほうが少ないかもしれない。水泳も、その数多の傷のせいで心なしかスピードが落ちているように思える。さすがに心配になり、部員が全員帰って誰もいない夜のプールサイド、俺はまた愛に声をかけた。
「おい、愛。そのへんにしとけよ」
「…はい?」
愛は不思議そうに青白い首を傾げる。夏だというのに何故なのか、愛はどこまでも白い。まるで幽霊のような。その瞳の奥にあるのは長い闇だった。これは昔、夜の墓地で見たことがある。
「だから、料理だよ料理。泳ぎに支障きたしてんじゃねえよ」
その目に取り込まれそうになり、本能的に視線を逸らしながら告げた。愛のどこかひやりとした視線を全身に感じる。
「先輩、すみません。もうすぐなんです。もうすぐできると思いますから」
「僕の作りたいものの材料がとても大きいし料理するのは大変だから、たくさんの練習が必要だったんです。だからこんなに、時間がかかってしまったけど…」
よく晴れた夜だったから、プールには象徴のように月が浮かんでいた。けれど触れはしない。愛は月光を受けて微笑んでいる。言いようもない不安感が肌を覆い汗をつくった。
「材料はひとつ限りなので、失敗は許されないんです。それを僕が手に入れるのもきっと大変ですし」
「でも僕はどうしても料理したいんです。だって何よりも一番、大好きですから。この世で一番おいしいものになってもらいたいんです」
「作るのも食べるのも、ずっと楽しみだったんです」
光を受けた愛は消えかかりそうなほど色を無くしていた。しかしそのなかで瞳の闇だけがより深く濃く存在感を増している。すべて青白い。
「松岡先輩、僕を見てください。きっと大丈夫ですよ」
「絶対においしくしてみせますから、どうか楽しみにしていてくださいね」
「ね、先輩」
愛はまたひとつ笑顔を見せた。プールサイドぎりぎりに足を置く俺の傍で、月さえもこっちに笑っている。今日は満月だ。


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