彼が貸してくれた半纏という服はすこし重かった。けれど、着ているだけで体がとても暖まる。こたつの中に埋めた足もあたたかいものだった。対面に座る彼は今、僕の分のみかんを剥いてくれている。彼によるとこれは日本ではよくある光景らしく、ならこの国はすてきなところだなと改めて思った。テレビの中ではたくさんの人が迫り来る年越しを祝っている。
「みかん剥けた」
「あ、ありがとう!」
彼はきれいに剥けたみかんを僕の手元に置いてくれた。彼はとても優しいのだ。頬をゆるませながらみかんの一房をとる。甘くておいしい。
「望月、チャンネルとって」
「チャンネル?」
「テレビのリモコン」
「ああ。これだね」
彼の頬張っているみかんの横にリモコンを置く。ティッシュで手を拭きながらそれを取り、彼はチャンネルを回した。
「紅白もう始まってるかな」
「コウハクってなんだい?」
「大晦日に毎年やる歌番組」
「へえ、君もそういうの観るんだね」
「うん」
チャンネルを変えた瞬間に歌が流れてきた。一足早く始まっていたようだ。彼は頬杖をつきながら画面を眺め、ぽつりと呟いた。
「もう二度と観れないかもしれないし」
みかんの一房を口に運ぶ手を思わず止めてしまった。彼の横顔は何も語らない。だから余計に困惑してしまった。ああ、なんと返せばいいのか。視線を手元に落とす。
「なんてね」
僕がなにも言えないでいると、不意に彼の優しさを帯びた声が降ってきた。顔を上げた先の彼は眉を下げて微笑んでいる。
「深い意味なんてないよ」
「……本当に?」
「うん」
意地悪だったかな、なんて言う彼に、少し安心した。だからといってなにが変わるわけでも救われるわけでもないけれど。ほんとう意地悪だな、と笑うと、彼もまた同じように口をゆるめた。表面上だけでもいい。そんな気分だ。
「この歌、よく町中で流れてた」
「そうなの?」
「うん。いい歌だよ」
「そういえば君はよく音楽を聴いてるよね。音楽好きなの?」
「好きだよ」
そう言いながら彼は新しいみかんを剥き始めている。その手元を何気なく見つめながら、今は何時かな、と漠然と思った。けれど時計を確認する気は起きない。テレビから流れるバラードは恋人との別れを歌っている。
「君の」
「うん?」
「君の一番好きな歌はなんだい」
曲名なんて聞いてもわかるはずはないのに、いつの間にかそう訊いてしまっていた。テレビに向けていた視線を彼に移す。彼はなんの表情も表に出さず、じっと僕を見ていた。瞳には、僕の姿が映っている。時計の秒針の音に気がつきながらも、もしかしたら永遠なのかもしれないような時間を生きたように感じられた。短い季節の中で、僕の魂はどこか丸みを帯びたのだ。やがて彼は目を細め、とびきりの穏やかな笑顔を僕に溶かした。まるで胎内にいるような気持ちになってしまう。けれどきっと、教えてはくれない。母を知らない僕に、君はそんな風に笑ってしまうんだね。残酷だ。
「望月」
名前を呼ばれた。その眼差しからは、途方もない悲しみと、何にも侵されないあたたかいものが潜んでいた。
「……綾時」
「うん」
「終わりにしようか」
「……うん」
まだみかんを食べ終わっていないし、コウハクも終わっていないし、年なんて越せているはずはない。けれど彼と僕が定めた大晦日は、ここを終わりとしたのだ。なんだか、驚くほど楽しくて幸せだったな。自分でも不思議なほど。召喚器を手にした彼は、表面をやわらかく撫でたあと、それにゆっくりとキスをした。まるで僕をあやすように。大丈夫だ。僕はもう、泣きはしない。だから、さあ、引き金を引いておくれ。


黄色い爪の聖母
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -