少し過疎の進んだ街で哀の逃避行を試みた。言っておくが断じて愛の逃避行ではないし、それになりえるはずもない。誰にも何も報告しないで、2人でそこに逃げ込む。ガキのようである行為を実行したのはもちろんガキである俺とジュードの2人だ。いまは逃避行2日目。やたらと家庭的な宿泊所で2人はなんとも言わず天井のしみが顔に見えるなあと思い耽ったりだとかただじっと本を読んでいたりだとかをしている。もうすぐ昼時の鐘が鳴るだろう。空腹感をいい具合に持ち合わせた腹を優しくさすってやると同時に、ジュードがやたら分厚い本をぱたんと閉じた。おもむろにベッドに置いていた腰を浮かせ、開け放たれた窓まで歩いていく。隣のベッドで横になっていた俺はそれをぼーっと見つめていた。青空をバックに静かな瞬きを繰り返す横顔は見た目からすれば女よりも脆くて繊細なんじゃないかというぐらいなのだが、実際そんなことはない。この逃避行を提案、計画、実行したのは紛れもなくこいつのほうだったんだから。バランとかユルゲンスのやつ心配してくれてっかな、いや2日ぐらいならそんなこともないか、なんて考えつつジュードに声でもかけてみる。

「なーに見てんの」
「ああうん、ちょっとね」

ジュードはそこから先を口にしなかった。ちょっとなんなんだよ。視線の先を何気なしに追ってみせると、真っ白な鳥が数羽で固まってばさばさ羽ばたいていくのが見えた。あの鳥を見てたんだろうか。なんて思考していると耳が窓の向こうにある海のさざめく音を拾った。打ち寄せては引いていく光景をすぐに思い浮かべることができるその音は、本能的に俺を安息に導く。やさしい母さんの顔が頭をよぎった。透くような瞳はいつだって俺を見守ってくれていたのだろう、どんなときでも。気づけば波のさざめきがアルフレド、と幼き自身を呼ぶ母の声に聞こえてきさえして、なんだか知らないが視界が少し歪むのだった。ある程度歳とるとすぐこれだからいやなもんだ。手の甲でごしごしと目元を拭っていると、ジュードがふと視線をこっちに向けてきた。なんだか温かみのある、まるで俺を信じていると言ってくれたときのような目をして、俺の視線に視線を交差させる。薄目を開けてそっちを向いていた俺は、その行動に対して先程より瞼を持ち上げた。どうした、なんて言ってみれば、途端に鳥の鳴き声が聞こえてくる。黒から白に変わった衣装が陽の力さえ借りてきらきらと光っているようだ。薄い唇がほんの少し開いたとき、昼を告げる鐘が派手に鳴り響いた。そして強い風が窓から入り込んできて、ジュードの細く柔らかい黒髪を揺らす。さっきの鳥たちの羽が風に運ばれて室内に舞いこんだ。羽をひとつ捕まえながら、ジュードは言うのだ。

「僕が死ぬとき、僕はきっとアルヴィンを思い出さない」

ふと俺は窓を閉めろと促そうとした口の動きを止めた。ゆっくりと白い羽が落ちてくる。ジュードのまつげは控えめに俺を指す。頼りなく思える体と比べれば意外なほど大きい手が窓枠をなぞっていた。上体を起こして窓側に目線を据える。きっとジュードは、他のことでも俺を想わない。それは当たり前だ。ベッドに散らばった羽をなんとなしにかき集めて、そのまま握りしめた。しかしジュードが次に発した言葉は予想と違ったものだった。羽が揺れる。

「でも僕に大事なひとができたとき、そのときは必ず、ミラの次にアルヴィンのことを思い出すよ」

すこしはためいたまつげが印象的だった。見開いた目いっぱいに映るジュードは青空と羽を背景に微笑む。空に、いる気がした。俺たちが救われ信頼を寄せた彼女が。今日の逃避の意味をなんとなく理解する。ジュードは整理したかったのだろうか。そうして結論を出したのだろうか、たった2日で。本当にそれだけだよと付け足してからジュードは俺に訊いた。

「それでもいい?」

羽を摘まんで、唇を押し開く。踊る風は母さんのようでいたし恋人のようでもいて、ともかくやさしさを帯びた温度だった。視界がまたぼやりと歪む。ああ、と俺は答えたのだった。ぬるく頬を愛が撫でる。これが逃避行に終わりを告げる合図だった。

「じゅうぶんだ、それで、」

溢れる涙を止められそうにない俺にジュードはまた微笑んで、ゆるりと手を差し伸べた。じゃあ帰ろうかとひとこと告げる。目尻を拭ってから手を掴んで、そのままどちらからともなく指を絡ませた。宿を出た先で目にした空は果てなく青に染まっていたから、ふたりはどうやら祝福されているんだろう。俺はまたすこし泣いた。
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