そんな顔で見つめないでほしい。まるでボクがお前のことを好きであったかのような錯覚に陥ってしまう。お前は今し方ボクのことを可愛いと言ったが、そういう自分はどうだというのだろうか。鏡で今のその顔をよく見てほしいと、はじける心臓の中でキリの顔を網膜に焼きつけた。


「会長、御髪に紙くずが」

生徒会室の椅子に腰かけキリと仕事について話し合っていたとき、不意に長い指がボクに伸びてきた。ボクを見下ろす両の目は鋭く紙くずを捉え、指はそれを補足する。銀に染めた髪がほんのすこし揺れて、ちいさく開いた唇が所在なさげに空気を吸い込んだ。キリの動作そのものに、乱れというものはまったく見当たらない。しかし何かが信号を発するように瞳の奥底で光っている。造作もない些事に与えるには妙に長く引き伸ばされた一瞬間だった。まるで何か特別な事象が起きたかのように、ひどく永遠じみている。しかしそれはボクにとっての特別ではなく、恐らく、キリにとっての特別だ。
とれました、とキリはいつもどおりの淡々とした口調でもって告げてくる。その様子にどことなく安堵を覚えつつ礼を述べ、すぐさま仕事に戻ろうとした。が、キリはボクとは違っていた。未だボクの髪に触れたまま、ただじっと、ひたすらにボクを見つめている。なんにも言おうとはせず、じいっと。

「…キリ?」

名前を呼んでも、いつもならすぐさま返ってくる返事は虚空の中に消えていくだけだった。キリの人差し指と親指がボクの髪を一房だけゆるく挟んで、そこでボクは開けっ放しにした窓に気がつく。風はふたりの間をするりと通り抜けていった。それはボクの頬を撫で、キリの瞳に浮かぶ特別への感覚を吹き飛ばしたようだ。現実に帰りかけている目の中に、困ったようなボクが映っている。そのボクを映しこんでいるときの表情を前に、ボクはさらに困惑してしまった。頼むから、そんな顔で見つめないでほしい。キリにしては必要以上に緩慢すぎる動作で離された髪を想い、降り落ちる春雷を眺めながら漠然と思う。


「不躾ですがあのとき、オレは会長のつむじやまつげや鼻筋をとても可愛らしいなと思いました」

夕焼けがキリの銀色に覆い被さっている。何気ない風がやけに冷たくて、けれどどこか暖かかった。もうすぐ春だなと思う。人気のない帰り道にキリの声はよく澄んだ。あらゆる雑音が消え失せ、耳が正確に目前の者の声のみを拾う。キリの瞳に迷いはなかったが、気後れのようなものは微細に感じられた。ボクが怒るのではないかと憂慮している。カラスが近くの空で高らかに鳴いていた。

「可愛らしいか」
「はい」
「ボクは男だが、それでも可愛らしいと言うのか」
「はい、とても」

キリは力強く頷いた。すぐ怒らないボクを意外に思ったのか、すこし驚いているようにも見えた。春雷がすぐ傍まできてしまっている。ボクは最近困っているのだ。キリのその、ボクを見つめる表情があんまりにも甲斐甲斐しく、愛嬌に溢れていて。端から見ればただの無表情なそれがボクの前でのみ意味を持つものに成り変わっている様を前にして、どうして心を打たれないことがあるだろうか。自覚は烈しい熱をもってこの身を打ちつける。だからボクは近頃こう願うのだ。頼むからそんな顔で見ないでほしい、と。

「ボクもお前のことを、とても可愛らしいと思う」
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