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 高校生パロ



「少し奇妙に見えるのだ」
 兄様呼びはわたしの口にとてもなじんでいたが、その呼び方で友人の眉間に皺を寄せることになってしまった。わたしが返答にこまって、目線を泳がせていると
「……ごめん」
 ディルムッドは顔色をわるくしてわたしから目をそらす。わたしは首を横に振ると、こちらこそすまないと言った。
「なあ」
 それからディルムッドはずっと言いたかったことなのだがと口を開いた。前々からこの友人はわたしと兄の関係に閉口していたようで、お前らは兄と妹なのにそうは見えない、仲が良すぎる、手を繋いで出歩くなんてどうかしている、そういったことを彼は言いづらそうにぼそりぼそりと言った。わたしはそれを聞いて、べつだん彼をひどいとは思わなかったし、むしろ一般的な考え方をしているとおもった。友人はただしい。
「昔から仲がよかったのです、ずっと当たり前にしてきたことだったので……そうですね、確かにわたしと兄は距離が近すぎたのかもしれません」
 わたしがそう言うと、ディルムッドはすこしだけ安堵したような顔をした。だがディルムッドはまた気まずそうに言う。
「最後にもうひとつ」
「はい」
「お前らは血が繋がっているのか」
「……繋がっていますよ」
 ふしぎな問いにわたしは首をかしげてから、小さくうなずいた。





 家に帰ると兄がことことなにかを煮込んでいるようで、いいにおいがした。居間に満ちるそのにおいで、わたしはとてもおなかが空いていることに気付いた。
「おかえり」
 わたしに近づくと、兄はいとおしそうにわたしを見て、髪をなでた。とても安心した。兄であるアーサーは、そばにいるだけでわたしの思考をうばう。
「にいさま」
「ん」
「わたしたち、すこし距離が近すぎるみたいです」
「いきなりどうしたの」
「……仲が良すぎると、言われました」
「だれに?」
 兄はわたしの頬に手をやると、おかしそうに優しく引っぱった。わたしはむくれたが、兄の指先が頬を離れるとき、わたしの耳元を掠めたので、おもわずかたく目を閉じた。
「だいじょうぶだよ、仲がいいに超したことはないんだから」
「……そうですよね」
 わたしには兄への愛情がある。わたしは兄を愛している。はたしてそれはきょうだいのものなのか。
「もうすぐシチューできるから、用意しておいで。服、着替えてきたら」
 兄は鍋に視線をやりながら、穏やかに言った。わたしは眠たげに頷いた。自室へ向かい、扉を閉めて息をふかく吸う。

 実のところ、わたしは兄とキスをする場面を想像したことがある。

 あの薄くてかたちのよい唇が、ゆるやかにわたしに近づいて、わたしのそれを塞ぐ。とても幸せそうだとおもった。目の前の兄の唇の間にある銀色のスプーン。気づけば夕食は始まっている。
「アルトリア、最近よくぼーっとしてるけど、悩みでもあるの」
「え……」
「なんとなくだけどね。無理してるのかなーって」
 わたしは首をゆるやかに横に振った。
「僕の後に続いて生徒会に入るなんて思いもしなかったから」
 兄に近づきたかったから、わたしが自らそうしたのだ。兄にそれを悟られたくはないが、わたしが自分で行動したことはわかってほしかった。
「……むりなんてしていませんよ」
「ならいいんだ。これから忙しくなるよ、なにかあれば聞いてくれればいいから」
 わたしはありがとうございますと言った。シチューのとなりに、わたしが先日勘違いして千切りにしたレタスがある。





 兄は神聖な存在であるため、わたしが手を伸ばしてゆるされるような人ではない気がしていたから、なんとなく兄とはある種の距離を置かねばならないと思っていた。そのわりには今までの関係にずるずる甘えていたのであの友人のひとことはいい機会を与えてくれたのにまちがいはない。だが、
「アルトリア」
「はい」
「やっぱり何かあるだろう」
 兄が怪訝そうな声を出す。この間の夕食の際にたずねられてから、三日ほど経ってからのことだった。今回は夕食を終えたあとの穏やかな時間に訊かれた。
「わたし、そんなにぼんやりしてますか」
「いや、違う。ぼんやりしてるわけじゃなくて、意図的に口を閉ざしているように見える」
「……そんな」
「まさか、僕を避けてる?」
「避けてませんよ」
 勢いよく否定の言葉が口からぽんと出た。おもっていたより勢いがよすぎて、ことばを発したわたしが眉間に皺を寄せた。すると
「うそ」
 兄の声がとても近いところで聞こえた気がしたのでどきりとする。
 わたしは居間のソファで本を読んでいて、兄は隣で雑誌を読んでいた。わたしたちの距離感はもともと近かった。そのことを思いだし、思わず身を固くする。兄がこちらを向いている気配がした。
「僕、なにかしたかな」
「…………」
 意を決して隣を見ると兄は相変わらず雑誌に目を落としていたので気のせいだったことを恥じた。同時に少し寂しいような気分になった。
「……あの」
「まあいいや」
 兄は雑誌を閉じるとわたしに、いつも通りの笑顔で、お風呂入ってきなよと言った。時計の針が午後十時を回ったことを示していた。





 その夜、わたしはすっかり眠りこんでいた。しかしぎしりとベッドが大きく軋んだ気がして目を覚ます。すると誰かがじっとわたしを見ているようなシルエットがあった。
(なに……)
 そこでようやく意識がはっきりした。それは兄だった。ぎょっとしてわたしはおもわず声を上げそうになったが、起きてしまったことを気づかれたらきっとまずいことになるとおもったので寝たふりをする。心臓がばくばくして痛いほどだった。
(あつい……)
 そのままやり過ごせると信じていたのに、兄が、なあ、と声を掛けてきたので心臓が止まりそうになる。
「起きてるだろ?」
 兄は体勢を変えないまま、わたしを見下ろし続けている。こんな暗がりの中、わたしが起きていることに、兄が気づくはずなどない。
「……アルトリア」
 顎にそっと指先が宛がわれる感触。同時になんとなく、口もとに湿っぽい吐息を感じた。
「寝たふりしているの、わかっているからね」
 わたしは息を詰めて、兄の手の体温があんまりにも高いことに怯えていた。兄はわたしの髪を撫でると、部屋を出ていく。
「……ふ」
 扉が閉まる音がして、兄の気配がなくなったとたん、涙と汗がどっと溢れて、それはとどまることを知らず、わたしはかなしくてしかたなかった。兄の行動の意図がわからない。
 そしてあの距離の近さで感じた呼吸でもってして、はじめて兄も人間だったのだなとおもった。



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