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 黒槍剣


 例え世界に見放されても、彼女さえいればそれで良いと彼は思った。
 彼は首を絞めていた手を離す。殺しはしないのは彼女の苦しむ姿を見ていたいからだった。彼女の右足はうまく動かない。よろよろと頼りなくしか進めなくした。
「わたしは、貴方を哀れだと思う」
「何故だ、そのようなことを言われる謂れはない」
 彼女の、青空を切り取ったかのような色をしていた衣服は所々燃えるような夕陽が差し込んだかのように汚れていて、それでも彼女は落陽しない。彼はいつまでも強く輝く彼女の瞳をいとおしく思う。
「貴方はわたしが貴方を裏切ったと思っているのか」
「思っているさ。思えばお前をこうする理由が出来る」
「はは、高潔だった貴方は何処へ行った」
「何処へも。お前も俺すらも、俺自身の上っ面しか知らなかったということだ」
「それはどういう……」
「今がもっとも俺が俺らしい」
 彼女は彼の言葉に声を詰まらせ、泣き出しそうに呟いた。
「それは嘘だ」
 彼は彼女に馬乗りになると頬をべろりと舐め鼻先に口付けて、鎖骨を噛む。ごりと固い感触。彼女は呻いた。
「どうせ貴方は自分を許せないからこんなことをする」
 彼女は身体中が痛んで辛いだろうに、しかしなにも言わない。俺が以前の俺だったなら冗談めかして痛いなどと言いそうなものだが、彼女は要するに、今の俺には弱味を見せたくないんだろうなあと彼は思った。
「知ったような口をきくな」
 彼が彼女の頬を打つと彼女は黙ってそれを受けた。地面に横たわる彼女の肢体は緩やかに傷ついていく。
「憎い、お前が憎い。セイバー」
 彼の言葉を聞いて、彼女はふ、と笑う。彼はまた彼女の頬を打ったがやはり彼女は寂しげに笑うだけだった。彼は途端に悲しい気分になって目を伏せていた彼女を抱き寄せる。彼女は驚いた声を上げた。
「……セイバー、俺にはお前を憎む資格を持ち合わせていない」
「では、出会えてよかったと言ってくれた、あの夜のように笑いかけてくれたら、それだけで良いのに」
「それもできない。俺は空虚だ」
「こうして体温があるのに、何が空虚なものか」
「それはお前の体温なんだ、セイバー」
 彼はそう言って堪えかねた様に泣き出して彼女にしがみついた。
「側にいてくれ。もうお前しか俺には誇れるものがない」
 彼女は彼の伸ばした腕を受け入れる。彼女は眉尻を下げると視線を落とした。
「寂しい人だな」
 それ以上彼は何も言わず、彼女も何も言わず、闇に滲んでゆく。



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テーマ「人外ファンタジー」
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