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 死にたいかもと思つた。だが泣くだけ泣いてすつきりしたら、悩んでゐたことがどうでもよかつたことに思へる。朝を一人で迎へることにはとうに慣れてゐるのだ。窓の外を見遣ると雨がばたばた降つてゐて、今日は出掛けるのをやめたいなあと思つた。しかしわたしが出掛けなかつたところで、彼はおそらくやつてくるのだらう。彼の執念深さは最早称賛に値すると思ふ。しかし何故わたしに執着するのか、それだけがとても不思議だつた。
「お前の気高さが好きだ」
 と彼は言つてゐた。そんな彼を待つてゐるわけではない、未だ勢いの衰えぬ雨を眺めるためにわたしは窓の外を見てゐるのだ。すると扉が叩かれる音がして、開けるとアイリスフィールが紅茶を持つて立つてゐた。そうして少し話してから彼女は切嗣と買ひ物に行つてくるわと言つて直ぐに出ていつてしまつたので、少しだけ寂しいなあと思つてゐると、窓の外が光つた気がして駆け寄る。何も変わつていない庭。わたしは彼が来ることを期待してゐたのだらうか。自分に嫌気が差して、やれやれと首を振りながら窓から離れ机の上に置いた紅茶に口を付ける。温かく沁みるやうな味に寂しさが紛れた。たとへ切嗣に嫌な顔をされたとしても、こんな思ひをしてしまうなら、わたしも彼女に付いていけばよかつたかなあとまた二口目、今度は孤独な味がして、あれあれと言ふ間にまた涙が零れた。わたしはこの頃涙脆くなつてゐるのだらうか、ずつと昔から独りには慣れてゐたはずなのに、誰かが側にゐるといふ幸福を知つてしまつた自分の愚かさをわたしは理解する。彼の存在も、無意識にわたしは受け入れてゐるのだらう。
「あ」
 突然背中に重みを感じ、手に持つたカツプを落としかける。腹の前で交差する腕。金色の腕飾り。耳元で会ひたかつたぞと声がする。まさか家の中にいきなり入り込んでくるとは思はなかつたので反射的に悲鳴をあげたら彼は笑つた。
「この我がわざわざ雨の中来てやつたのだぞ。相応の持て成しをするのが礼儀といふものだらう」
 霊体化することが出来る彼は雨など関係ないだらうに、さういふことを言ひながらわたしの顎を掴むと彼自身の方に顔を向かせ、目尻を舐めた。嫌でも見破られてしまう。我がゐるから泣くな、と子供のやうに扱はれ、馬鹿にするなと憤りかけて止める。受け入れることも拒むことも出来ない。わたしが彼の目をとらへると、彼は愛い奴めと言ひ、幾度も口付けをわたしの至るところへ降らせるのを払へず、ただ黙つて視線を逸らすしか出来なかつた。



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