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 跳ね起きた。ひどくひどい夢を見た。陽毬と、陽毬が慕っている、医者。そのふたりが唇を重ねているというものだった。
 「……っ」
 病室のベッドの側。いつの間にかしてしまったうたた寝のせいか、頭が痛い。ふと目に止まった、陽毬が一心不乱に編んでいた、マフラーだかセーターだかわかりやしないが、その途中経過と見てとれる中途半端な物体が、ベッドの隣の棚の上でおいてけぼりを食らって、困っているように見える。この頃編み物に飽きたのか、長かった孤独の時間を埋めるかのように陽毬は俺や晶馬がいないと、例の医者のもとへ行って相手をしてもらっているのだ。出来る限り寂しい思いをさせまいと思っていたが、やはり俺にも学校とか、なんやかんや、あるわけで。限界があったらしい。
 (また、あいつんとこかな)
 陽毬、小さく声に出して呼んでみる。気持ちを込めて呼んでみると、また違った感慨がある。なんていとおしい響きなんだろう。ひまり。
 「あれっ、起きちゃったの?」
 俺らしくなく陽毬の声で驚いて少し飛び上がってしまった。
 「あ、ああ陽毬、どこ行ってたんだ」
 「自動販売機のとこ。あーあ、せっかく冠ちゃんを驚かそうって思ったのに」
 そう言ってむくれてみせる陽毬の手にはお茶の缶があった。おそらく俺の首に押し付けようとでも思ったのだろう。指先でぶら下げているあたり、相当熱いのかもしれない。
 「ははっ、やらせねえよ」
 陽毬はもう、とか言いながらお茶を手渡してくる。受け取った缶の熱さで指先が温まって、そろそろ冷えるこの季節には嬉しかった。思わず口元が綻ぶ。
 「金、返すよ」
 「いいの。先生がお金、出してくれたんだ」
 「えっ、それって」
 「うん眞悧先生」
 なんだか昇っていたジェットコースターが、一気に下降するみたいに気持ちが沈んだ。プルタブにちからの抜けた指をかけて開ける。そしてゆっくり喉に流し込んだ。陽毬は俺の一連の動作をじっと見つめている。
 「冠ちゃんは、眞悧先生のこと、あんまり好きじゃない?」
 いきなりの核心をついた質問に、お茶を吹きそうになる。むせて、げほげほと咳をした。
 「なんでだよ」
 「なんとなくだけど」
 「……そうか」
 陽毬はまだ俺をじっと見つめている。きらきらする、どこかの屋台で売っているような、子どもの夢を詰め込んだおもちゃの宝石のような瞳。その瞳が細められて、そして柔らかく言葉を紡いだ。
 「あのね、先生がね、君のお兄さんはすごいんだよって、褒めてたんだよ」
 「へえ」
 「君のお兄さんはいつも、君のためにがんばってるんだよって、わたしに」
 「…………」
 思わず陽毬から顔を背けて、頭を掻いた。少し気恥ずかしい。
 「冠ちゃんがいて、晶ちゃんがいて、だから、わたしはしあわせなの。家族のこと、大切にするんだよって言われたから、はいって言ってきたんだ」
 「陽毬、……」
 陽毬を振り返る。同時に思わずぽろっと涙がこぼれて、ああ間抜けだなあと慌てて拭う。
 「冠ちゃん、いつもありがとう」
 陽毬が笑う。屈託のない笑顔。俺はずっと、それを守っていきたい。でも、だからこそ、俺の思いは伝えることも、知られてしまうことも、許されない。



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