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「うげっ」
 ぼそりと、だが奇っ怪な悲鳴を小さな声で彼は上げた。
「どうしました?」
「……いや」
 歯磨き粉が目に入った、と言いながら目を擦ろうとする。
「だめですよ」
 擦ったら余計痛いんですよ。覚えといてくださいねと言いながら目を洗うように促した。彼はそれぐらい知っているとでも言いたげな目をこちらに向けてくる。
「……」
 何かロケット団壊滅した少年とか頂点極めた生きる伝説だとか彼の背負う肩書きはかなり重い。実際彼に触れると中身は普通の男の子だ。
「……どれだけの間、シロガネ山に籠ってたんですか」
 彼に訊ねると二年くらい、と答えてきた。でもたまにはマサラに戻ってたよと付け足してくる。
「レッドさんのたまに、は信用できません」
 そう言うと彼は静かに笑った。
 そして沈黙の支度タイム。だが気まずいとは思わなかった。彼は会話を必要としない。その空気感が好きだった。
「いつまた戻っちゃうんですか」
 その空気を細く切り裂くようにぼそりと訊ねる。言葉足らずなわたしは訊ねてばかりいる。
「……もうすぐ」
 訪れる沈黙。力なくわたしはそうですかと言った。
 期待なんてしていない。わたしのためにここに残ってくれるなんて、思っていない。
 でも心配ぐらいしてくれないのだろうか。少なくとも、
「わたしは心配ですよ」
 一人言のようにぼやいた言葉は空気に掻き消される。彼は歯磨きを終えてじっとわたしを見る。じり、とした妙な威圧感。わたしは彼を見上げた。すると薄く口を開いて彼は心配じゃないと言った。
「……え」
「信じてるよ、君のこと」
「え、あ」
「だから、君も俺を信じてよ、心配しないって」
 いつもの彼ならあり得ない言動が嬉しくて思わず彼の名前を熱に浮かされるように呼んだ。
「レッドさん」
「ん」
 彼の手がわたしの頭に伸ばされた。そのままくしゃくしゃとわたしの頭を撫でると無言で洗面所を出ていった。
「あ、」
 もう行くんですか。
「うん」
 彼はさっさと靴を履くと玄関に置きっぱなしにしていた鞄を拾い上げて出ていこうとする。わたしは咄嗟に待ってと言いながら彼の服の裾を掴んだ。
「……」
 彼は振り向くと素早い動きでわたしを抱き締めた。五秒くらい。
「じゃ」
 何事もなかったかのように彼は家を出ていく。お母さんの見送りもないまま、彼はすぐさまリザードンを出して飛び立ってしまった。
「……」
 彼のたまに、見せる優しさがひどくわたしをめちゃくちゃにする。彼の優しい匂いを抱き締めるようにわたしは自分の肩を抱き締めて泣きそうになった。





「……そんなの、ずるいですよ」



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