b | ナノ
口を開けば"ジュンくん"。
僕じゃダメなの?
そう思っていた。
「ヒカリ」
ヒカリが振り向く。黒髪が揺れる。
なんやかんやで呼び捨てに昇格したのはこの間だ。それがどうした、程度の話だが。
ヒカリは口を開いた。
「……ジュンくんは?」
ああ、まただ。苛々する。
挨拶もなしに"ジュンくん"。
体の先が疼くのを堪えて、風邪だから来られないって、と言うとヒカリは僕の顔をじっと見てそう、とだけ言った。
「……あれ」
「なに?」
相変わらずのむすっとした表情でこちらを振り向く。行くよ、なんて言葉がもっとあれ、と思わせた。
(帰るって、言うと思ったのに)
「……コウキくん、遅い」
いつまでも立ち尽くす僕に痺れを切らしたのかヒカリはがし、と僕の腕を掴みずんずん歩き出す。
「ジュンくんがいなくったっていいじゃない。わたしだけじゃ不安?」
「いえ、そんなことはないです」
どうして敬語になっているんだ、と自問自答する。
「じゃあいつまでも引っ張らせないで、早く行かないと時間もったいないし」
「……そうだね」
明日、ホウエンから友人が遊びに来るのだ。それのために買い出しに行くと言い出したのは僕なのに。
デパートに着いた。
「……で?なにを買えばいいの?」
「甘いもの…菓子類?と、ジュース。それと肉類野菜類米とパン」
「食料品ばっかじゃない。デパートまで来る必要なかったかな」
「そうでもないでしょ」
「……そうね」
食料品を買い漁り、次の電車まで少し時間があったので、階を移動してアクセサリーや雑貨などのあるところへ行った。ヒカリの希望だった。
「コウキくんコウキくん」
ヒカリにしてはキラキラした瞳で僕を呼ぶ。どうしたの、と呼ばれた先に向かう僕の姿は端から見るとどう見えるのだろう。
「かわいい、これ」
様々なぬいぐるみを見て、特にこれがかわいいとやたら太ったみたいなポッチャマのを取り上げる。実際のポッチャマより随分でかい。ヒカリの胴体分ぐらいある。
「……それ」
ぎゅうとぬいぐるみを抱き締めたヒカリがなに、と顔を上げた。
「買ったげようか」
ぱちぱち、ヒカリが瞬きをする。目がいつもより丸くなった。
「え、あ、う、……何で、急に」
「別に、何となくだよ」
「………」
少し悩んでいるようだった。ぎゅうぎゅうと二度ほど力を込めて考え込むようにポッチャマを抱き締めると、
「……ありがと」
たっぷり間を開けて、ヒカリは小さく小さく呟いた。
「……よいしょ」
ヒカリの家で集まるので、ヒカリの家の冷蔵庫に今日買ったものを詰めていく。空いた冷蔵庫が満たされた。
今日のために冷蔵庫に入っていた食べ物を消費してくれていたらしい。だから最近炒飯とか野菜炒めとかばっかり食べてたのとヒカリが言う。
「ありがとう」
礼を言うとなんとなくヒカリの顔が赤くなった。べ、つに。ヒカリは立ち上がって棚からコップを取り出すと机の上にあったポットの茶を入れた。湯気が立ち上がる。熱そうと思った瞬間、ヒカリがそれを一気飲みしてあっつう、と珍しく大声を上げた。
「大丈夫!?」
棚から適当にコップを取ると冷蔵庫に入っていた水を注いでヒカリに手渡す。それをヒカリは飲み干すと少し落ち着いたみたいだった。
「……ごめんね」
ヒカリはあまり表情を崩さないで言った。上目遣いでこちらを見上げる。
「別に、気にしてないよ」
僕は苦笑しながら言う。
軽く冗談のつもりでほら、氷でも食べたら?と言おうとして口を開いた僕よりも先にヒカリは呟いた。
「……さっきから、ちょっと……恥ずか、しいの」
僕の体温は今のですごく上昇した。心臓がうるさいぐらい鳴っている。
さすがに今のは反則だろうと思い、こちらを見上げたままのヒカリを見つめながら、こんなときにいないジュンがものすごく空気読めない奴に思えた。