b | ナノ
相も変わらずヒカリの顔はふてぶてしかった。
薄ら暗い窓の外を眺めては眉間に皺を寄せている。
「……お花見行けない」
「行けるじゃん」
「雨降ったら嫌じゃない」
「そうだけどよー」
穏やかに空は白く、だが今にも泣き出しそうだ。
二人の会話を聞きながら、僕もちらりと窓の外を見てそう思った。
「花見なんか、別に行かなくていいんじゃないの」
うだうだと呟くヒカリの背中に僕は声を投げかけた。ヒカリはゆっくり振り返り、わたしは行きたいのと言う。
「ガキじゃないんだから、花見ぐらいどーだっていいでしょ」
僕が言うとヒカリは小さく唇を震わせて泣きそうな顔をした。
「……コウキくんは行きたくないの?」
「興味ないよ」
ヒカリは僕の頭にその場にあった箱ティッシュを投げつけてきた。いて、そう声に出すとじゃあコウキくんは来なかったらいいのよと叫んで部屋を飛び出していった。おい、雨降りそうだってとジュンはヒカリを追いかけようとしたが、ヒカリは無視して家を飛び出していった。
そうだ、今日は三人で花見に行く日だったということを思い出す。
ヒカリ、時折声に出して彼女を探す。既に雨は降りだしていた。
ばしゃばしゃばしゃ、靴が水分を吸って少し重たい。少し疲れて立ち止まる。ヒカリは傘を持っていなかった。たぶんどこかで濡れている。面倒だと思ったが怒らせたのは自分だからなんとも言えなかった。
「……ヒカ、リ」
歩きながらぽつりと雨音に紛れそうな音量で呟く。そうしたら近くでがさりと葉が揺れる音がして慌てて振り返ると野生のビッパが草むらから顔を出してこちらを見ていた。
そのまま歩いていくと湖のほとりに大きな木が生えていたのが見える。まさか、ここらへんにいるんじゃないかと思い木に近寄ると本当にまさかだった。
「……ヒカリ」
大きな木の根っこにあちらを向いて座っている。声を掛けるとびくりと肩を震わせた。
「帰るよ」
そう言いヒカリの肩を掴むと冷たく感じた。少し濡れていて、たぶん今のヒカリはとても体温が低いのだろうと思う。
「……やだ」
「体冷えてる。帰んなきゃ」
「やだ!」
ヒカリは身を捩ったが、俺はそのままひょいとヒカリを抱き上げた。軽いことに驚く。
「やだ……」
冷えて強張った体が言うことを聞かないらしく、少し抵抗したヒカリだが、すぐに大人しくなった。
「っくしゅ」
ヒカリを温かい部屋に入れて毛布を巻き付ける。風邪をひくかもしれないから、とストーブの上にやかんを置いて湿度を高めさせる案を出したのはジュンだ。この光景がベタ過ぎて何だか笑ってしまった。
「……笑わないでよ」
ぶす、とむくれた顔をしてヒカリは僕を見た。
「や、何かかわいーよヒカリ。芋虫みたいで」
「芋虫は余計」
ヒカリはず、と鼻をすすった。風邪をひいてしまったかもしれない。僕のせいなんだよなあと苦笑する。
「……全然、桜咲いてなかった」
「そうだよなー。俺も思った」
ジュンが更にもう一枚、毛布を出してきながら会話に参加した。広げてヒカリの上に重ねる。ありがと、とジュンに礼を言うヒカリの目は優しい。僕と違ってジュンは気遣いができる男のようだ。
「まあ、まだ寒いから」
ヒカリはそう言った俺を睨む。
「……誰よ、こんな日に花見行くなんて決めたの」
「悪ぃ、それ俺だわ」
ジュンが申し訳なさそうに言う。急ぎすぎたと付け加えた。
「…ああ、なら、…ごめんね」
ジュンには優しいヒカリに、僕は居たたまれなくなる。もし僕が日にちを決めていたとしたらヒカリはとんでもなく怒っていただろう。
「あ、俺さ、なんか食いもん買ってくるよ。あったかい飲みもんとかさ、色々」
そう言って僕が行くよと言わせる隙もないまま、ジュンは即行部屋を出ていった。僕とヒカリの二人きりは気まずいだろうと頭を抱えたくなる。
「…………」
ヒカリはぎゅうと毛布を掴んで体に引き寄せた。寒いかと訊くと別にと返される。
「僕は寒いな」
嘘ではないが、こうすればヒカリは文句を言わないだろう。部屋の温度を上げる。ついでにやかんの中身を確認して水の残量を見た。
「…………」
ヒカリは黙って床を見つめている。改めて僕は何でジュンとヒカリの面倒を見る羽目になったんだろう。ガキのお守りなんて面倒なはずだったのに、結局役目を果たした今もこうしてつるんでいる。
「……ありがと」
蚊の鳴くような、そんな声が聞こえた。僕はびっくりしてヒカリを振り返ったが、彼女は三角座りをしながら膝に顔を埋めてしまっていた。
そういや僕は何にもお礼言われていいことなんかしていないような気がするが、礼を言われたのが何だかたまらなく嬉しく感じられて聞こえないふりをして黙ってしまった。
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もう一度怒ったようなありがとうが聞こえた