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 ベッドに入って目を閉じる午前十時の雪の日。部屋が寒くて温かい寝床から出られない。なんとなく幸福な夢を見た気がするが、やはり気分は昨日の夜から引きずるようにクソ重かった。

 (好きってゆったくせに)

 目を開く。目を閉じると昨日が返ってくるのでよくない。妹の怒った顔。嫌いじゃない、けど昨日のあれは辛かった。

 (うそつきは嫌いヨ、ばかむい!)

 でもさ、俺知ってた。やっとまともに会話が出来るようになって離れていた期間を埋めるように妹がばかみたいに好きだ好きだと言うから俺は素直に嬉しかったのにたまに泣きそうな顔をするの。都合よく地球で仕事があったから一緒にいられたけど、俺がいなくなったら誰の愛を求めるの?そう妹に訊ねたら顔を真っ赤にしてわたしは兄ちゃんがいればそれでいい、なんてさ。うそつきはお前だよ。一昨日のことを思い出す。



 「兄ちゃん」
 「何」
 「またどっか行っちゃうアルか」
 「仕事だから」
 「……そっか」

 妹の声が普段と違って落ち着いていなかった。俺は躊躇わず神楽、泣いてた?と訊いた。

 「いきなり変なこと言わないでヨ」
 「声震えてんだもん」
 「え、」
 「嘘」
 「……だよネ」

 ほっとしたような妹の顔。時間はもう午後十一時、そろそろ寝るかということで、布団を用意したら妹が転がり込んできて一緒に寝ると言った。

 「おやすみヨ」

 間もなく聞こえる寝息。やっぱりだ。こいつが俺に言う好き、は色を含んでいない。無理矢理それに繋げているだけだ。それを望んでいたわけではなく、妙な気を起こす訳もなかったが妹はいったい誰に恋をしているのか、それだけが気になった。



 そうして眠って昨日に至る。明後日にはここを出ると言うと妹は寂しげに笑った。

 「ところでさ、神楽。好きな人とかいるの」

 冗談交じりに訊くとこちらが驚くほど否定し始めた。いない、いないヨ兄ちゃん!

 「嘘でしょ」
 「本当アル」
 「だってなんか昔と違うもんなあ」
 「気のせいだってば」
 「俺が正しいよ」

 俺はにっこり笑って罠を仕掛けた。頼りない棒で支えた籠の下に甘い菓子でも置いておくような下らない罠。頭が単純な妹は、その罠であっさり仕留められた。

 「お侍さんだよね?」
 「…………」

 違う、と妹は呟いたがもう遅かった。表情が強張り浅い呼吸をする。恋をしている。妹はとうに俺の手の届く範囲にはいない。

 「俺のことを好きなんてさ、考えてみなよ俺はお前の兄ちゃんで、全部勘違いだよそんなの」
 「兄ちゃんもわたしに好きってゆったくせに」
 「兄妹としてだと思ってた」
 「うそつき!」

 妹は突如泣き出しそうな顔をして、それはそれは本気で怒っているようだった。

 「わたしは本気だったずっと待ってたのにひどいアル!ばかむい!」
 「神楽、落ち着いて」
 「うそつき、うそつき……」

 妹は泣かなかった。最後に弱味を見せまいとぎりぎりのところを保っているように見えた。

 (とんでもないことをしでかしてしまったのかもしれない)

 俺はといえば俺らしくなくちょっと泣いてしまった。嗚咽が出るわけでなく、ただ一筋右頬に涙が伝っていった。妹は俺を見て、泣きたいのはこっちヨ、と言って顔を手で覆った。泣けばいい。泣いてもいいよ。そう言えば確実に妹は泣き出しただろう。でも情けないのは俺だけで良かった。



 そうしてどろどろのまま別れて今日。当たり前だが妹は俺のところに来なかったのでふらりと一人で街へ繰り出して、喧騒を堪能する。すると大きな犬を連れた眼鏡を掛けた男が俺の側を横切った。見たことのある顔のような気がしたが気にしないことにした。ぐるりをめぐらす、江戸は表情豊かな妹のようで心地がいい。あてもなく歩いてふと角を曲がるといきなり通りの先の茶店にお侍さんと妹がのんびりやっているのが目に飛び込んできた。楽しそうに笑う二人、親子のように見えて違う、と思った。俺の読みは正しかったように思えた。少なくとも、妹は、

 (……そうか)

 鼻の奥がつんとした。俺は俺自身を勘違いしていたようで、そんな妹を見るのがとても辛いことに気付く。俺の方が遠い昔からずっと、泡のような恋をしていたらしかった。泣きたいのに泣けないのは昨日の妹と同じ状態だと思い、もし今妹に泣いてもいいと言われれば間違いなく泣けた。ひたすら俺を思って泣いてくれた妹は今、違う誰かを思って泣いて、それは二度と俺に向けられることはない。ただ俺の記憶の中で、小さなあの子が、涕泣していた。





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 タイトル:棘



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