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 道の端を歩く猫でさえ怖かった。今のわたしはきっとそれに負けてしまいそうになるくらい弱い。
「……」
 沖田の部屋は意外と片付いていた。沖田の机は墨の香りがした。沖田の側は心地よかった。沖田の背中は広かった。沖田の手は温かかった。沖田の声は柔らかかった。沖田の匂いは優しかった。沖田の目は、
(うわ)
 膝の力が抜けるようだった。思い出してはいけない。いけないのにあの情景が目に浮かんでは腰が砕けて転んでしまいそうな気がする。
「……あ」
 ふと露出した足首に蚊が止まっているのを見る。こんなにも空気は冷えてきたというのに蚊の行動範疇の気温なのだろうかこの季節は。とっさに足首を叩くと呆気なく蚊は死んだ。足首には血が残った。
「血……」
 手のひらと足首に残るなま暖かさ。思い出してはいけない、あの時間を、あの口を、あの目を、
(おきた……)
 傷の治りが早いはずの自分の体が信じられなかった。体の中心の痛みをふと思い出して少し身を捩る。またあの抉じ開けられた傷は癒えてしまうのだろうか。いつまで経っても消えそうにない痛みを、わたしは忘れようとする。



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