一人一木回想録 現在 - 3
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鼻の奥がツンとする。あらましだけを話したつもりだったのに、一度話し始めてしまえば、あの時の情景がまざまざと思い出されて堪らなくなった。
気持ちが高ぶって泣いてしまったことなど知られたくない。だから今は意地でも涙をこぼさない。
「ホント、最低なヤツだったわ」
ベニアは大きな声で言って顔を背けた。アシャの目には、根々を振り見たようにしか見えないように演じた。顔の右半分を覆う眼帯を盾にして、左目を無理矢理見開いている。早くこのぼやけた視界が晴れれば良い。
「でも不思議。今こうして根々の前にいても、怒りが湧いてこないの」
「そりゃあ……姐さんも年取ったってコトじゃないっすか?」
「言い方に気を付けな、張り飛ばすわよ」
「アハハ、だいじょうぶダイジョーブ! 今の姐さんの方がよっぽど魅力的ですもん」
アシャは乾いた声で笑ってウインクをした。「適当なこと言ってんじゃないわよ」ベニアまだ濡れている左目をゆっくりと閉じる。
「誤解しないで聞いて欲しいんスけどね」
ベニアは瞼を閉じたままアシャの声に耳を傾ける。
「おいらはこの花を――根々を見たとき、姐さんに似てるって思ったんだ」
「色が近いからでしょ、髪と」
「いや、そうじゃなくて、なんかもう全体的に。だって根々ってすごく強そうじゃないですか。色も匂いも禍々しいくらい自己主張が激しいし、花びらだって風が吹いたくらいじゃ散りそうにない。こんな水はけの悪い場所でも、ちゃんと咲いてさ」
ベニアは目を開いた。根々の前にアシャがいて、花を手のひらに乗せて揺らしてみている。
「花は咲く場所を選べないんじゃなくて、場所を選ばない強さがあるから咲けるんだって、そう思いません?」
選ばない強さ。
理不尽な巡り合わせに戦い抗うことも、ただ受け入れることも、どちらも等しく勇気を試されているのかもしれない。
それでもベニアは思う。生きるということは戦い続けることだと。そこに人として生きることの価値があると。
「クサい台詞を恥ずかしげもなく言うんじゃないわよ。さっさと薬草探しに行くわよ」
「えっ! 付いて来てくれるんスか」
「これよりも美味い酒を買ってくれるならね」
立ち上がったベニアは水筒を逆さまにする。
葡萄酒が勢いよく宙に躍り出、きらきらと木漏れ日を反射させながら根々に降り注いだ。
――「どうしたの、根々」
蔦恵に呼ばれて根々が薄ら目を開く。背もたれにした木の幹のぬくもりを感じながら伸びた枝を見上げる。二階建ての家よりも高く、遠くの空に向かって今も伸び続けているその枝先には、オレンジ色の花が幾つも咲いて辺りは甘い香水を零したかのように匂っている。
「どうもしておらんよ」
「嘘、なんだか嬉しそうな顔したもん」
「……酒」
「酒?」
「酒が呑みとうなった」
美國に御神酒でも供えさせるかのう。独りごちた根々の口元は、もう美味い酒を呑んだかのように笑みを含んでいる。その頭の上では、お揃いのオレンジ色の花が春風に揺れていた。
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