恋は再び 2







ブットビウオ。

全く、ふざけた名前である。名付けた奴出てこい小突いてやるから。

「ここ見てくれ。この症状で間違いないと思うんだ」

チョッパーが殊更分厚い生物図鑑を開き、あるページを指差した。
甲板に集まった俺たちはチョッパーを囲むようにしてそのぺージを覗いた。

ブットビウオという学名がつけられたその魚は、確かに昨日唐揚げとして食べたトビウオとよく似ている。

「えーと…「群れで生活する。稀にヒレの形が他と異なる者がいる。その確率は2万分の一」…」

チョッパーに読み上げられた文章を聞きながら「あ」と、思わず声が出た。
「?なんだウソップ」
「いや、そういや昨夜サンジの奴が食ってたなと思って。…ギザギザのヒレのやつ」
「じゃ、間違いないな。「万が一そのヒレを持つトビウオを口にした場合は、微弱ではあるが脳神経を刺激するとされている。起こり得る症状は記憶障害が主である。」だって」
「…記憶障害…」

今朝、俺に向けられたサンジの目を思い出し、ゾッとする。
何でよりによって、俺の事だけスコーンと忘れてしまったのか。器用過ぎるだろ大馬鹿野郎。

「時間が経ったら戻るの?」
背後に立っていたナミが俺の肩に両手を乗せ、チョッパーに尋ねた。
「戻るみたいだけど、ん〜…実例が幾つか載ってて…期間は結構バラバラみたいだ」
「な、長くて、どの位の期間だ?」
恐る恐る尋ねると、チョッパーは図鑑から目を離さぬまま「三年だって」と答えた。
「…さ、さん…」

三年。気が遠くなりそうだった。
だって三年って、出会ってから今日までの時間の方が、遥かに短いじゃねえか。

色んなスッタモンダを乗り越えて、やっと両思いになれたのに。今までサンジから貰った沢山のものをやっと、これから返していけるって思ったのに。
…なんでこんな、突然…。

「大丈夫、あいつはすぐ思い出すよ」
ルフィが立ち上がり、いつもと変わらない調子で言った。
気休めとか慰めじゃなくて、本心からそう言ってるんだとすぐに分かった。

「ま、うるせえ奴に絡まれる機会が減るんだ。しばらくはゆっくり出来るぜウソップ」
チョッパーを挟んで向こう側にいるゾロが、笑いながら言った。
俺を励ます為というより「役得だな」という本音が聞こえてきそうな笑顔だ。

「…そうだな」
二人の言葉に頷きながら、俺、今ちゃんと笑えてるかな、と不安になった。
上の空だ。誰のどの言葉も、聞こえてはいるのに頭の中に入ってこない。

サンジの記憶が、何年も戻らなかったら…俺はこの気持ちをどうしたらいい?

リセットしろってか?無かった事にしろって?
出来る訳がない。
気のいい仲間として接しながら自分の気持ちを殺し続けるなんて、絶対に同時には出来ない。

どうしよう。…どうしたらいい?
悔しいよ、こんな時一番に聞きに行きたい相手は、お前だっていうのにさ。

「っはー!お待たせナミさん!モーニングの完成だよ〜!」
キッチンのドアを開け、いつもと同じ調子でサンジが目をハートにしながらナミの名を呼んだ。
「ついでに野郎共、てめえらも食え!」

何一つ変わらない。俺の事を忘れているという事以外は、本当に何も。

「…っ…」
慌てて下を向いた。こんな簡単に、泣きそうになるなんて。

『泣きたくなったら誰の所に行くんだっけ?』

サンジの言葉を思い出し、唇を力一杯噛んだ。
テメエの所だよ。忘れてんじゃねえぞアホ眉毛。



「だからその時冷蔵庫の鍵を針金で開けたのがウソップなんだって!」
朝食をたらふく食った後、食器を片すサンジに熱心に話しかけているのはルフィだ。

「あぁん?ふざけんなよクソゴム、お前が力技で壊しやがっただろうが」
「ちげぇよ!どうなってんだよサンジの頭!!」
「あぁ?俺の頭はいたってまともだコラ」

ルフィは先程から思い出せる限りの、俺が登場するエピソードを掘り起こしている。
パチンコの微調整をしつつ、背中で二人の会話を聞いている俺は「なるほど」と思った。

俺が少しでも関わっていた出来事は、サンジの中で都合良く改変されているようだった。
前後の辻褄が合うように、俺がした行動、発した言葉は、別の誰かのものにすり替わっているのだ。
…ほんと、どんだけ器用なんだハリ倒すぞ。

先程から嘘つき扱いされてイライラしてきたのか、ルフィはいよいよ「サンジ、お前バカだ!」とキッパリ宣言してのけた。
「んだと、こんのやろ…」

…やばい。本気でイラついた時の声だぞこりゃ。
振り向きたくねえけどこういう時に止めるの誰って、俺しかいねえもんなぁ…。

「ストップストーップ!」

両方の手のひらを二人に向け、俺は続けた。
「ルフィ、こりゃ説明してどうにかなる問題でもねえよ。だってサンジは「忘れてる」とさえ思ってねえんだから」
「じゃ、どうすんだ!」
「…うーん」
サンジの方を見ようか迷って、結局やめた。
また今朝のような目をされるのは、心底しんどい。

言いたくもない、あてにならない言葉しか思いつかなくて、自分の口からそれを言うのはとても嫌だったのに。
でもこの台詞は、俺が笑いながら言わないと意味が無いんだよな。

「どうにかなるって」

ちゃんと、笑って言えた自分を、本当に偉いと思った。






午後。
船首にカモメがとまっていたので、久しぶりにスケッチをした。何も考えたくないので、殊更集中してやった。

あの後、笑って言った俺に対し、サンジが「…だとよ」と追い討ちをかけてきたので、トイレに行く振りをしてキッチンを飛び出した。
きっとこれから、山のようにあるだろうに、こんな事。
どうしても堪えきれず視界が滲んでしまった。…お先真っ暗だ。

カモメの翼の部分を細かく描写していると、後ろから「よお」と声をかけられた。

サンジが、すぐ後ろに立っていた。
ああ、その声も姿も昨日までと何一つ変わりないのに。
…やっぱり、どうしたって違うのだ。俺に向けるその目だけが、どうしても。

「………」

はじめまして、とか、言うべきなのだろうか。
嘘つきでやらせてもらってます、改めましてここは一つ、宜しく頼みます。とか、言ったら良いんだろうか。

「あー…ウソップ、だったか?名前」
先に言葉を発したのはサンジだった。
煙草に火を点け、俺にチラと視線を送る。

「…おう」
「俺はサンジだ」
「…知ってる」
「そっか…そうだったな」

俺にとっては「忘れられてる」という状況だけど、サンジからしてみりゃ「初対面」なんだよな。
どんな距離感で話せばいいのか、探っているのだろう。

「…自己紹介、してやろうか?」
「おお、頼むわ」

自分で言って後悔した。面白おかしく話せる元気があまりない。

「俺はウソップ。又の名をキャプテン・ウソップだ。部下は八千人ほどいたんだがな、ルフィにどうしてもと頼み込まれたんで、まあ仕方なく、この船に乗ってやったって訳だ」
「…あぁ?」
「夢は勇敢な海の戦士になる事。狙撃の腕はこの海一。趣味は発明。あ、それから俺に本気の喧嘩は売らない事だ。血を見る事になる」
「言ってくれんじゃねえか…誰の血だよ?」
「俺だ」

サンジは一瞬目を見開き、その数秒後に「お前かよ!」と突っ込んだ。

…やっと、やっとだ。
やっと今日初めて、俺に笑った顔を見せてくれた。

「ハッハッハ!クソおもしれえなお前」
「そりゃ良かった」
俺が笑い返すと、サンジは安心した様子で煙草の煙を吐き出した。

「ま、面倒かける事になるけど宜しく頼むぜ」
「おうよ」
俺の返事を聞き満足したのか、サンジは再びキッチンに戻っていった。

その背中を見送る途中で「あ」と思い出したように上を向き、俺の方へ振り返ると「コーヒーいるか?」と尋ねてきた。
「…うん」
「あ〜…悪い、好み知らねえや。ブラックか?」
「…いや。ミルクも砂糖もタップリ」
俺の返答に「チョッパーと一緒だな」と笑って、今度こそキッチンへ戻っていった。

俺はまた、スケッチを続ける。
とっくのとうに船首から飛びたってしまったカモメを、何とか記憶に頼って描き進める…振りをした。

描きかけのスケッチがポタポタと濡れていく。
止まれ止まれと心の中で何度唱えても、全く意味がなかった。
コーヒー淹れたらあいつはまた、ここに戻って来てしまうんだから。それまでには止まれよ。いいか絶対だぞ。

声を必死で殺しながら、笑顔を見れた安堵感で泣けた。
いつまでこのままなんだろうという不安で更に涙が流れた。

何で忘れちまうんだよ。どうして、よりによって俺のことだけを。
好み知らねえだと。ふざけやがって。
お前、俺に何百杯淹れてくれたと思ってんだよ。

思い出というものは、誰かと共に振り返るからこそきちんと胸の中に降り積もるんだ。
俺が一人覚えていても意味がない。
何もないのと一緒だよ、なあサンジ。








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