二月十四日
静かな夜だ。
波は凪ぎ、星が空を優しく彩る。
こんな夜を二人きりで過ごせる事は、この先当分ないかもしれない。
「うっま!」
サンジが作ってくれたチョコレートケーキを口に運び、思わず感想がこぼれた。
いつものようにサンジは嬉しそうに笑う。
日付が変わった今日は2月14日。見張りの当番が俺だと知ったサンジは、夕食の後耳打ちで俺に言った。
「俺も後で行く。バレンタインだからな。マストの上で愛でも語ろうぜ」
そんなキザな台詞言える奴なんて、ほんとお前くらいだよ。呆れ顔で悪態をつきながら、内心嬉しかったのは内緒だ。
船の上の生活、毎日時間に追われて二人きりになれるのは食器を洗う時くらいだ。
そりゃな、俺だってさ。好きな人と一緒にいられるのは、嬉しいに決まってるわけでさ。
「ついてっぞ、ここ」
ケーキを食べ終えたのと同時に、サンジが俺の口の端に触れた。
「お、おお悪りぃな」
前触れなくやってきた指先の感触にドキッとした。
サンジを見ると、チョコレートクリームをつけた指をぴんと立て、何かを思いついたようにニッと笑った。
「じゃ、これお前から貰ったって事で」
そう言うと、サンジは指を口に入れた。
俺はその意味が数秒後に分かり、慌ててそっぽを向いた。
何でそういう恥ずかしい事ばっかり言うかな。…顔赤いのバレてませんように。
「あー、今年のバレンタインは今までで一番甘いな」
「…そうかよ」
「おう、クソ幸せだクソッ鼻」
「そりゃよござんしたね」
「…キスしようか」
「はっ!?」
予期せぬ言葉に跳ね上がるほど驚き、思わずサンジの方へ体を向き直す。
どんな顔して、さっきから歯の浮くような台詞言ってんのかと思ったら…なんだよ。お前も真っ赤なんじゃねえか。
「…は、はっはっは!そんな赤くなりながら言う台詞かねサンジ君!」
「…うるせ、テメエも赤ぇぞクソ野郎」
「いやお前の方が3倍くらい赤いな!いや5倍!」
「悪いかよ、お前とイチャイチャしたくて必死だよこちとら」
ド直球の言葉に、嗚呼ほらまた、まんまと根こそぎ持ってかれたよ。
言い返す言葉が見当たる筈もない。
…サンジは紳士で、俺より何枚もウワテで、恋愛なんぞお手の物なんだと思ってた。
でも本当はそうじゃなかった。
恥ずかしい時は赤くなるし、緊張してる時はどもったりもする。
手を繋ぐ時もキスをする時もたどたどしくなるその動作に、俺はいつも心を丸ごと掴まれるのだ。
等身大の気持ちが真っ直ぐ伝わる。
俺たち、ちゃんと両思いなんだって何度も体の芯から実感する。
器用にこなせないそんなサンジが、あれだよ、うん。ほんと…ビックリするくらい大好きだよ、俺。
「………キ」
「うん?」
サンジが煙草をふかしながら、俺に首をかしげる。
「…キ、キ、キ、キス…すっか」
腕を胸の前で組みながら言ったが、堂々と言えた自信がまるでない。斜め上を見ながら返答を待っていると「はー…」という溜息が聞こえてきた。
「…ほんっとお前、キメるとこは必ずキメるよな。普段逃げ腰のくせによ…」
「んん?お、おう!やる時ゃやるんだよ俺様は」
「あ〜…だめだ」
サンジは両手で顔を覆ってしまった。
「ど、どうした一体」
「そういうとこが、すげぇ好きだっつってんだよ」
自分のつむじから勢いよく空気が漏れた気がした。「ボンっ」という音までしたんじゃねえか?今。
毎回思う。サンジのストレートな言葉は、威力がありすぎだ。
「…うん、しよう」
そう言うと、サンジは煙草を海へ投げ捨て、俺の手を握った。
数センチの距離、目の前で俺を見つめるこの男の顔が、こういう時に限ってしこたま格好良く見えるのは本当何でなんだろう。困るなあ嫌だなあ。心臓に悪いなあ。
ゆっくりと近づくサンジの顔を、もうこれ以上は見ていられないので固く目を瞑った。
握られた手の温度、触れた唇、離れる瞬間にかかった息。
…また、忘れられない出来事が一つ増えてしまった。もう俺の心の中は、サンジとの思い出でいっぱいだっていうのにさ。
繋いだ手を離さないまま、心臓が鎮まってくれるのを待った。
いつかこういう瞬間にも慣れていくんだろうか。…そんな自分は、全然うまく想像出来ないけど。
「…来年はもっと、こう…スマートにいきてえな」
サンジが気恥ずかしさを紛らわすように言った。
「…うん、俺もそう思う」
「……でも今より惚れてて、余計格好つかなくなってたりしてな」
「………俺もそう思う」
さっきよりもっと赤くなってしまった互いの顔を見て、ああもう折角落ち着いてきたのに、と思った。
俺たちはもしかしたら、相当バカかもしれない。
照れながら、力なく笑い合って、繋いだ手を握り直して。
1年後の約束を当然のようにしてくれたサンジに、この夜が終わってしまう前に「好きだよ」って伝えよう。
スマートになれなくたって、いいや。
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