恋は再び8


なるほど確かに、これは絶景と呼ぶに相応しい光景だ。夜の海はチカチカと蛍光の黄緑色にあちこちが光って、まるで数万の電飾を散りばめてるみたいだ。
ツブホタル、というらしい。この辺の海にだけ繁殖してるプランクトンの一種だ。波に寄り添って、光は押したり引いたり、緩やかに揺らいでいる。

ちなみに今の情報は、斜め後ろでイチャイチャしてるカップルの彼氏が全部言ってた。イヤになる。なにからなにまで丸聞こえだ。
「キレイだね。私…幸せ」
「僕もだよ。すごく幸せだよ」
…はあ。そうですか。それはそれは結構なことで。
「ねえ、手を握って…?」
「いいよ。…もっとこっちに来て」
あー無理。無理だ無理。俺は真顔のままそこから移動した。

サンジはちょっと離れた風下の方でタバコを吸っている。お互い会話もないままここまで歩いて、今の今までずっと微妙な空気だ。
浜辺に着いた途端「風下で吸ってくる」とサンジから言ってくれたから、内心助かったと思ってしまった。何が楽しくて男二人、こんなロマンチックな煌めきを並んで見ないといけねえのか。一人で眺めてる方が百倍マシである。

「……さむ」
たまに強い風が吹いて、その度に俺は身震いした。昼間は思わなかったが、夜は割と冷えるんだなと思った。失敗したな、もう一枚羽織ってくりゃ良かったか。

ツブホタルは変わらずユラユラと光って夜の海の表面を優しく彩っていた。じっと眺めていると、自分もなんだか水の中をたゆたってるような気になってくる。大きな海に身を任せて、波に揺られて、アテもなくどこかへ運ばれる。
…楽だろうなぁ。ああ俺も今この数万の光、その中の一つになりたい。

「…おい鼻、入水すんなよ」
後ろから声をかけられ、慌てて思考を呼び戻した。振り向く。サンジがすぐ後ろに立って俺を見ていた。
「……しねぇよ、なんだそれ」
「そういうツラに見えたんだよ」
「…あ、そう」
会話は一つだって盛り上がらないまま下に落っこちて、砂に紛れた。拾い集める気なんてもちろん起きないままオーバーオールのポケットに両手とも突っ込んで、ただ、海を見る。

夜は、水平線がよく見えない。だから途方もなく感じる。ああ、やっぱりスケッチブックと鉛筆一本くらい持ってくりゃ良かったな。なにかに没頭したい。途方がないから、きっとずっと、なんもかんも忘れて描けただろうになぁ。

「…ウソップ」
俺を呼ぶ声が昔のお前の声とそっくりそのまま重なって、だから悲しくなった。その声の奥に俺との思い出はひとつもない。空っぽのくせに声が同じだからイヤだと思った。…イヤだな。呼ばないでほしい。

「…なに?」
振り返らないまま返事をする。後ろにいる男の顔を見たくなかったからだ。だって、顔まで同じなんだもん。おんなじなのに、お前に会えないんだもん。
悲しい。さっきからずっとなんなんだろう。やけに、無駄に、悲しい。

「なんか話せよ。間がもたねえだろ」
「……」
無茶言うな。お前と話すことなんかなんにもない。なにを話したって空振りで、俺は空ぶる度にサンジに会いたくなってさ、それでお前はきっと、そんな俺に困るだけだ。俺たち、一緒にいたってお互い困るだけなんだよ。

見てるものが違えんだもん。だっておんなじ思い出を持ってねえんだから。そんな二人が言葉を交わしたって、なんの実りもない。

「…じゃ、帰るか?そろそろ」
振り返って笑った。優しい気持ちではなく放り捨てるような気持ちで。
ツブホタルだってこんな気持ちで見ててほしくねえだろう。ごめんな。せっかくこんな綺麗に光ってくれてるのに。

「……んだよ、さっきから胸糞悪ぃなお前」
「あ、そう」
舌打ちがひとつ聞こえて、そうそう、それだよと心の中で頷いた。
そうだよサンジ、俺のことなんかほっときゃいい。楽しくねえだろ?一緒にいてもなんもいいことないだろ?だからもういいよ。今まで気ぃ遣わせて悪かったな、もう明日からは一切同情なんてしてくれなくていい。

俺にはもうないんだ。サンジと同じ顔をしたお前のことを自然に、笑顔で突っぱねる元気が。もう、残ってない。

…会いたい。お前といると会いたくなるから、だから、お前と一緒にいたくない。

「…俺にも俺の気持ちってもんがあんだよ。分かってねえだろテメェ」
サンジが胸ポケットの一箱から一本取り出して咥える。海風に煽られてライターの火はなかなか点かなかった。お前はまた舌打ちをした。
「テメェと…普通にもっと、こう、話してみてえと思ってんだよ俺は」
「…へえ」
「知らねえんだから当然だろ、知りてえと思うのは。昔のテメェと俺にどんだけ大層な思い出があんのか分かんねえけどよ。…んな冷たくするこたねえだろうが」
「…ふうん」
「なんなんだよそっちからも歩み寄れよクソ面倒臭え。ハナから他人だったみてえに壁作りやがって。なにか?忘れてごめんって土下座でもすりゃ良いのか?すいません何も覚えてませんつって」
「…別にぃ…?」
「っち、点かねえクソ」
サンジが何回、何十回とライターのヤスリを回して苛立ちを募らせた。ライターを軽く振ってまた懲りずにトライする。

いい加減諦めりゃいいのにさ。もういいやって。…諦めちゃえよ。俺みたいに。

「…何してんのお前」
ヤスリの音がしつこく聞こえるから俺は呆れて、ライターを握る手を風から守るように、両手を添えてやる。三つの手の中でやっと火がついて、サンジのタバコの先端が赤く燃えた。
うんざりするなぁ。お前に会いたい。…うんざりするなぁ。

「…悪い」
「いいえ」
「悪い。今の嘘」
「いいえ」
「ごめんウソップ」
「……」

口の端が震えた。お前に会いたい。やだなぁもう諦めて蓋したのに。やっと慣れてきたのに。
おんなじ顔で俺を見るなよ、おんなじ声で俺を呼ぶなよ、会いたくなるだろ、もう、やめてくれよ。

「…ごめんな、ウソップ」
その時お前の全部がそのまま、俺の知ってるサンジと丸ごと全部重なった。ピッタリおんなじ図形は綺麗に重なって、いよいよ境界線が、消えてしまった。

「…サンジと見たかったよ、俺」
呟いた声が自分の発したものだとすぐには気づけなかった。気づいたらその途端、どうしようもなくなってしまった。ああ、いっそホントに入水しちまいたい。
バカだな、言ったって何にもならないことは、絶対口にしたらいけないのに。

「……サンジと、見たかった」
「…そうかよ」
「…サンジとここに来たかった…」
「…まあそりゃ、そうだよな」
「サンジと…見たかった。サンジと来て、くだらないこと話して、クソ綺麗だなってサンジが言って」
「ああ」
「そんで俺が…綺麗にクソを付けるなバカタレって小突いて、サンジがそれに笑って、二人で一緒に笑って…」
「…うん」
「サンジと、笑って…っ…見たかったよ…」
「うん」
お前の手が俺の背中をさする。優しい手のひらに、涙が押し出されてしまった。

お前じゃないのに。だけどこの手のひらを俺は知ってる。悔しいよ、お前はきっと俺の背中の感触を知らないのに。だけど俺だけが、全部を知っている。

「……サンジに会いたい…」

一回漏れてしまったらもうダメだ。途中で止めることは叶わない。
俺の知ってるサンジじゃないのに。俺の会いたいサンジじゃないのに。だけど手があったかいんだ。イヤだよ。触らないでくれ。壁作ってごめん。普通に接してやれなくてごめん。自分のことばっかりで、上手くやれないで、本当にごめん。
でもさ、だけどさ、お願いだから触らないでくれ。頼むよ。

しゃくり上げてたら、男は背中をさする代わりに両腕全部を使って俺を抱きしめた。

「…どの口がって、お前は思うかもしんねえけど」
咥えタバコの煙が耳元から鼻先まで泳いでやってくる。匂いまで一緒で、これじゃあどこにも逃げ場がねえじゃねえかと思った。
「そんな辛いならさ、溜めねえでちゃんと吐けよ。…俺の胸貸すから」
「…うぇっ…」
「…ごめんなウソップ。忘れてごめん」
ホントにどの口が。どの口がそんなことを言うんだよバカ野郎、アホコック、グルグル眉毛、クソったれ…。
だけど俺もバカ野郎だ。抱きしめられて嬉しいとか思ってる。懐かしいとか思ってるんだ、大バカヤロウだよ。

背中の後ろで灰を落として、お前はまた俺を抱きしめ直す。
ふと、疑問に思った。俺の会いたいサンジとは違うこのサンジは、いま俺をどんな気持ちで抱きしめているんだろう。
同情かな。憐れみかな。クソ可哀想な奴って思って、仕方なく抱きしめてくれてんのかな。

…そうだとしたら、きっとお前だって可哀想だ。知らない奴に泣かれて訳のわかんねえことを言われて、でも反論したい気持ちをグッと堪えて、好きでもなんでもない男の体を、黙って抱きしめてる。

「…ごめん、いいよもう。…付き合わせて悪かった」
腕を伸ばして体を解いた。鼻を啜って目元を乱暴に拭いたら、お前が小さく「別に」と言った。
「悪くねえだろ、なんも」
「……」
サンジとおんなじようなこと言うんだな。もう一回鼻を啜りながらぼんやり思った。
でもそりゃそっか。俺のこと忘れちまった以外は、だって全部、お前なんだもんな。サンジとよく似た別人だと思い込むなんて、本当のところ無理がある。今更当たり前のことに気づいて、ちょっと笑ってしまった。
「…おん、なんだよ?なに笑ってんだ」
「……サンジみたいなこと言うなあって思っただけ」
俺がそう答えるとすぐさま「は?」と返ってきて、その声のふてぶてしさにまたちょっと笑った。ホント、よく似てる。双子みてえ。
「俺がサンジだっつんだよクソッ鼻」
「……うん」

顔を上げてお前の顔を見る。左目が時折、ツブホタルの黄緑色を映して小さく光る。

俺のことだけを知らないコイツにだって、どこにも行き場のない気持ちがきっとある。
自分だけが知らない疎外感とか、思い出せと周りから何度も言われて膨れ上がる苛立ちとか、他にも焦燥感とか喪失感とか、なんかいろいろ、あるのかもしれない。
瞳の奥の光を見つめながら、また今更そんな、当たり前のことに気づいた。

…自分のことばっかでさ、お前自身の気持ちを無視してたんだな、俺。

「…ごめんな」
「あん?」
「ハナから赤の他人みたいにってヤツ。お前の言う通りだ、ホント」
「……」
「…やだったよな。今までごめん」
頭を下げて謝ると、目の前の男はそれからしばらくの間沈黙を貫いた。

「…あの…サンジ?」
「……テメェが何でアイツらにこんな肩持たれてんのか、よぉくわかった」
「あ?」
沈黙の間に一体どういうことを考えていたのかサッパリ分からなくて、俺は思わず首を傾げる。
サンジは吸いかけのタバコを人差し指と中指で挟み、その先端をまっすぐ俺に、まるで銃口のように向けた。

「クソが付くほどのお人好しだテメェは」

それからサンジは銃口を俺に向けたまま俯いて「は〜なるほど…なるほどなぁ…」とひとりごちてみせた。
「…えーと…え?急になに…」
状況がよく分からなくて質問しようとしたらタバコの先端をもう一度、今度はさっきよりビシッと強く鼻の真ん前に突き出されて「黙れ」と言われてしまった。…あ、はい。じゃあ黙ります。

「いいか。俺は一日でも早くテメェのことを思い出す」
「……」
「もう決めた。なにがなんでも全力で思い出す。だからテメェも全力で協力しろ。いいか分かったな」
「…え?いやえっと…え…別に全力出さなくてもい」
「うるせえ黙れっつってんだろクソッ鼻!!」
「ひえっ」
慌てて口を両手で抑えたが、サンジは余計に青筋を立てて俺を睨みつけてくるだけだった。な、なにをどうせいっちゅうんだよ。
「……黙ってんじゃねぇ!返事っ!!」
「は!?ちょ、言ってることメチャクチャじゃねえか!!なんなんだよお前!!」
「クソうるせえんだよハイかイエスで頷けこの野郎!!」
この世の理不尽をまとめて煮詰めたみたいなコイツのセリフに、俺の「頷けるかあ!!」というツッコミが夜の海の遠くまで響き渡る。

ああそうだ、サンジって理不尽だったんだ。
…なんでかなぁ。すっかり忘れてたなぁ。






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