続く僕らのピカレスク
(箱庭の空 続編)

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 なんだってこの俺がソファーの上で一人退屈をやり過ごさなきゃならねえのか。寝そべって天井を見つめながら今日何度目になるかわからない舌打ちをした。
 鳴らない電話の番は面白みの欠片もない。バックれてやろうかと何度か思ったが、以前それで依頼を一つ受け損ねランスキーの野郎にいつまでもしつこくネチネチと小言を言われ続けたことを思い出し、やめた。
 奴は今何をしていたかと思い出してみる。どっかの誰かの依頼を受けていたのか、それともビラを配りに行ったんだったか。いや洗車しに行くとか言ってたような気もする。…まあなんでもいい、忘れた。
「…汚ねえなあ」
天井から吊るされたファンをぼんやり見つめ、俺はひとりごちた。
 事務所兼奴ら兄弟の住居として借りてるこのオンボロアパートの一室は、掃除が全く行き届いておらず至る所にホコリが被っていた。ファンの羽根それぞれにも、この距離から確認できるほどホコリが積もっている。回したら雪みてえに部屋中に舞い散るに違いない。
 それにしても暇だ。ベンジャミンの持ってる本はどれも字が小さくてとてもじゃねえが開く気が起きねえし、かと言って他にテレビも雑誌も酒もないこの部屋で退屈をしのげる代物などなく、いよいよ俺の舌打ちは十をとうに超えた。
 …仕方ねぇ、寝るか。ハットを顔の上に乗せ目を瞑る。
 俺がどうしてもと言って事務所に置いた革製のソファーは、やつら兄弟からの不評をいつも浴びせられていた。場所を取るだの部屋の雰囲気に合ってないだの無駄にでかいだの邪魔だのなんだの。うるせえ知るか。
 何一つ興味を引くものがねえ、ホコリ臭いこの部屋で俺が唯一うたた寝できる場所なのだ、ここは。百歩譲って頼まれてやってる留守番は、このソファーがなけりゃ千歩、いや万歩譲っても俺は引き受けなかっただろうと思う。
 金さえありゃ街に繰り出して好みの女でも引っかけにいくところなのに。けれど俺の財布の中身は札が一枚も入ってねえときたもんだ。ちくしょう覚えてやがれランスキー。
 奴の仏頂面を思い出すと腹が立ってくるので早々に頭の中から追い出し、代わりにこの前ランスキーの野郎には内緒で鑑賞したストリップショーのグラマラスな美女を瞼の裏に思い描いた。滑らかな腰の動きと、ピンヒールが鳴らす音を思い出す。あれは本当にいい女だった。よしいい夢が見れそうだ。一発くらい、いやあわよくば二発くらい、夢の中で繋がろうぜレディー。

 そうして夢への階段を二、三歩登り始めたところで、ボロくて薄い玄関扉が唐突に開いた。呼び鈴を鳴らすこともノックをすることもしねえ。恐らく中に誰もいないと決め込んでドアを開けたのだろう、紙袋に入ったパンや飲み物を胸の前で抱いたベンジャミンは、随分驚いた顔をした。
「あれ、ルチアーノさんいたんだ」
「いたくているわけじゃねえけどな」
ベンジャミンは軽く笑うだけで、あとは特に気にする様子もなくキッチンの上に紙袋を置いた。
「重かった〜…。××街からここまで結構遠いんだもん、疲れた」
「ベンジャミン、酒は?」
「え、あるけど…でもルチアーノさんは飲んじゃダメ」
「あぁ?なんでだよコラ」
「兄ちゃんから言われてる。あいつに一滴でも飲ますなって」
「黙ってりゃバレねえよ。一本よこしな」
「バレるよ、僕も一緒に怒られるから嫌だ」
ベンジャミンは俺をあしらうようにして言うと、買ったものを一つ一つ冷蔵庫や戸棚の中にしまいこんでいった。高い所に入れなければいけないものは放り投げるようにして仕舞う。案外、雑なのだ。最近になって知った。
「電話鳴った?」
「鳴らねえよ。ったく…何時間こうしてると思ってんだ、退屈過ぎて脳みそが腐りそうだぜ」
「寝てたんじゃないの?」
「今から寝るとこだったんだよ誰かさんに起こされたけどな」
トゲのある言い方でそう言うが、ベンジャミンは「ごめんごめん」と俺を軽くあしらう。ガキにガキ扱いされたようで面白くない。全く面白くない。
「…女引っ掛けに行きてえ…」
埃かぶったファンを見上げながら呟いたぼやきに、ベンジャミンが溜息をつく。心底呆れた様子で「ルチアーノさん…」と言ってから、彼は続けた。
「兄ちゃんがそれ聞いたらまた怒るよ…」
「ここに居ねえから言ったんだよ。んだよ愚痴くらいこぼしたっていいだろ。あ〜ヤリてぇ〜いい女とイイ事してぇ〜」
「それのせいで悲惨な目に遭ったのに…」
「うるせえ」
「懲りればいいのに…」
「うるせえなもう!」
そう、そうなのだ。確かにベンジャミンの言う通り、俺のこの軟派な性格が災いして大惨事が起こった。あまり話したくはねえが、まあ暇だし他にすることもねえから殊更丁寧に今から説明してやる。

 少し前のことだ、俺はランスキーお手製のセンスのカケラもないだっせぇビラを街中で配っていた。「なんでも屋開業・ご依頼お待ちしてます」と大きく書かれた怪しさ満点の紙切れを快く貰ってくれる奴もなかなかおらず、手元にある紙束を俺はほとんど捌けなかった。1時間くらいして早々に行為に飽き、ひとまず休憩するかと思い立って俺は葉巻を咥え路上に設置してある灰皿の側まで移動した。灰色の濃い煙を吐き出しながら紙の束を見つめ気分が悪くなる。いや本当にこれ全部捌くなんて無理だろ。いっそ燃やすか。この葉巻の火で。
 半分冗談でそんなことを考えている時だった。誰かが俺の肩をトントンと叩いたのだ。
 振り向くと、そこにはえらいスタイルの良い女が立っていた。タイトな黒のワンピースがボディーラインをこれでもかと強調している。俺は葉巻を吸いながら女の体を上から下まで眺め、軽く口笛を吹いてからその日一番のキメ顔で笑った。
「…なにか困りごとでも?」
俺の問いに女は不敵に微笑んで頷く。もうその一瞬でヤれると確信した。最高にツイてる。俺は天から与えられた自分の容姿に感謝した。
「貴方といいことがしたいの。お金はいいから、一緒に来てくれない?」
よっぽど俺のことが好みだったんだろう、女は言いながら腕を絡めて熱い視線を寄越した。
「喜んで」
もちろん彼女の誘いに応じて、俺はその場を後にした。ビラ配りは、もう終いである。俺が今そう決めたのでそれで良い。
 女に連れられるまま街を歩く。程なくして目的地に着いたようだ、女は赤と紫の電飾がケバケバしい看板の先にある階段を降った。
「きみの働いてる店か?」
俺の数段先を降りる彼女は、振り返りざま俺を見上げて頷いた。
「そう。退屈な客ばかりだったから、さっきは抜け出していい人を探してるところだったの」
「ふ、そうか。光栄だね、きみの退屈しのぎの相手に選んでもらえて」
「ふふ。私のこと沢山善がらせてね。期待してる」
随分大胆なセリフに俺は高揚した。女の腰あたりを見下ろしながら、そこを掴んで猿のように腰を振る自分を想像する。いいね、最高だ。
 階段を降りた先には木製の重たい扉があった。開けようとする彼女の手に自分の手を添えて、背後から押してやる。女のうなじから甘ったるい匂いがする。俺はもう早く繋がりたくて仕方がなかった。多少ご無沙汰だったってのも、まあある。あの兄弟と便利屋を始めてから女を引っ掛けに行く機会がとんと減ってしまったからだ。
 薄暗い店内にはいくつものテーブルとやたら豪華なソファーが置かれていた。羽振りの良さそうな男が女をはべらかして、下品に笑う。
 店内を突っ切るように進んで、女は奥のカーテンをくぐった。俺も続けてその向こうへ足を踏み入れる。中には一際大きな黒革のソファーと華奢なガラステーブルだけが置かれていた。なるほど、要はVIP席だな、ここは。
「嬉しいね、こんな高待遇してもらって」
「特別よ。内緒ね」
「俺ときみだけの?」
「そう」
「いいね。内緒事には燃えるたちでさ」
口説くように言って彼女の耳を触った。しかし髪の毛を耳の後ろへかけようとしたところで、彼女が「待って」と言った。
「お酒、飲むでしょ?美味しいのがあるの」
立てた人差し指を俺の口に当てて女は笑う。赤い口紅が描く緩やかな弧を眺めながら、俺は「ぜひ」と答えた。
「待ってて。今持ってくるから」
女がカーテンの向こうへ消える。俺は綺麗で艶かしいボディーラインを思い返しながら、これから過ごすだろう彼女との濃密なひとときを想像して口笛を吹いた。
 ああ、気分が良い。路上でビラを配ってた時と比べたら天と地ほどの差だ。文字通り、俺は今からあの女と共に天国を見るんだろう。
 どんな風に責めてやろうかと考えながら、葉巻を取り出して火を点けようとしたその時だった。カーテンが勢いよく開かれ、俺はその瞬間せっかく辿り着いた天国から地獄の底へ、一気に叩き落とされたのだ。
「よぉ、久し振りだな?」
「……な、なんで……」
開かれたカーテンの向こうに立っていたのは、もう二度と会いたくない…いや、会ってはならない人物だった。なんでだ。なんでアンタがここにいる。
「最近新しく開いた店でな。どうだ、居心地のほどは」
サングラスの向こうに見える冷えた目が、俺を捕らえて身動きの一つも取る自由を奪う。…最悪だ。今日は大厄日だ。返す言葉も思い浮かばないまま、俺はかつてのボス、カポネファミリーの長であるその人物を見上げた。
「…挨拶もなしにトンズラこくとは良い度胸じゃねえか?……あぁ?」
「……はは…」
笑えるくらい自分の口が引きつっているのが分かった。まるで操り人形だ。片側だけ細い糸で吊られて、ヒクヒクとぎこちなくしかそこは動かない。
「ランスキーと何でも屋開業したんだってな?…ギャグのつもりか?」
笑いながらドスを効かせるのだから、器用なもんだ。革靴の底をカツカツと鳴らしソファーに座る俺の真ん前までやって来ると、かつてのボスはそこで立ち止まり静かに俺を見下ろした。
「まさか俺のシマにのこのこやって来るとは思わなかった。ここら一帯は新規開拓したばかりでな。お陰様で手広くやらしてもらってる」
「…」
「良かったよ、新入り達にもテメエらの顔きっちり教えておいて。うちのファミリーじゃテメエら二人は指名手配犯と同じ扱いだからな」
「…」
「…今すぐここでテメエの脳天を撃ち抜いてやってもいいが。どうだ?」
どうにかしてこの場を切り抜ける方法はないかと脳がフル回転するが、悲しくも手立てはなかった。俺が今持っている物と言えば葉巻とジッポ、それからコンドームと一緒になけなしのコインが入った小銭入れだけだ。拳銃をボロ事務所のテーブルの上に置いたまま出てきたことをこの時初めて後悔した。いや、例え持っていたとしてもこの人に射抜きの速さで太刀打ちできるとは、思えねえが。

 昔の話、とは言ってもまだ一年そこそこしか経っていないが、かつて俺とランスキーは「マフィア」という肩書きを持っていた。恐らく州では一番デカいカポネファミリーの中に、俺たちは二人とも身を置いていた。
 ランスキーは無口で愛想も悪く、冗談の一つも通じねえ男だった。どんな理由でマフィアになったんだか知らねえが、クソ真面目で無骨なこいつにはどう考えてもマフィアなんて向いてねえだろうと思っていた。頼まれた依頼はまず断らない、報酬がどんなはした金だろうとランスキーはその役目をいつも買って出た。運びも受け渡しもドンパチやった後のその場所の掃除も黙々とこなし、眉の一つも上げずに金を胸ポケットに雑に捻じ込む。奴はそんな男だった。ボスからはそれなりに信頼されていたようだが、俺はどうにもいけ好かなかったのだ。
 一方俺はというと、博打のように派手な仕事が好きだった。互いの命をベットして興じるギャンブルは最高に気分が高揚する。もちろん勝つから楽しいのだ。常に自信があった。己の腕の良さはいつも天を味方につけたし、俺はいつだって負けなしの勝者だった。勝った金で女をはべらかし酒を煽るのは最高だ。俺はこの仕事が向いてる。天職だと思っていた。
 ある日、ボスから唐突にランスキーと二人で組むよう命令された。冗談じゃねえ何でこの俺がこんな、貧乏ったらしい守銭奴みたいな野郎と。普段は文句の一つも言わないランスキーもこの時ばかりはボスに楯突いた。その時やつが何て言ったか分かるか?この俺に対して「シモの病気をうつされそうだ」だと、ぬけぬけと、真顔で、言ってのけたのだ。あの時はさすがに腸が煮えくり返るかと思ったね。今思い出しても舌打ちが出やがる。
 まあボスの命令だ、断れるわけもない。結局俺たちは言われた通り二人で組むことになり依頼をいくつかこなした。最初はろくに息も合わずミスを何発もかましたが、まあ段々と、共に仕事をこなしていくうちに二人でいることにも慣れてきて、非常に癪だがたまに、本当に極稀に、背中を預けてやってもいいと思えることがあった。下準備も先読みも申し分ねえし、俺のサポート役としてそれなりに良い働きをしやがる。まあ悪くねえ。
 コンビとして軌道に乗り始めた頃、こいつの弟に一度だけ会った。ベンジャミンだ。
 やたら白い肌にギスギスの体。いかにも弱々しいその姿を見て、あの時、一瞬だけ言葉が詰まった。ランスキーは特に何も言わなかったが、俺はそのと時なんとなく理解した。クソ真面目で、堅気として充分にやっていけそうなこいつが何故マフィアなんて仕事を選んだのか。理由なんざ単純だ。金が必要なのだ。救いてえんだろう、この弟を。
 アホみたいな量の依頼をこなしてさぞ稼いでいる筈なのに、それに全く見合わない、ボロくて狭い、家事の行き届いてねえ家。二人だけできっと、ここで生きてきた。ガキの頃からずっと。
「兄ちゃん、仕事で無理してない?」
ベンジャミンは不安そうに言った。自分の為に兄貴が命を賭して金を稼いでいることを分かっているんだろう。ガキ相手に嘘を吐きたくはなかったが、だけど本当のことを言うのも少し、気が引けた。
「どうだろうな。よく働いてるみてえだけど」
はぐらかしたようなそんな答えで、ベンジャミンの不安が晴れるわけもない。無理してるんじゃないかなとこぼす彼に、俺がかけてやれる言葉は何だろう。口が悪いことで有名なこの俺が、なんと言うべきかこんなに悩み考えるなんて。珍しいこともあるもんだな。
「心配すんな。ランスキーはがっぽり貯めこんでるからよ」
やっと笑ったベンジャミンにほっとして、頭をほんの少し撫でてやった。トイレから戻ってきたランスキーにそれを見られて「触るな、シモの病気がうつる」と言われたのが今も思い出すだけでむかつくが、この兄弟にはあんまり辛い顔をさせたくねえなと、なんとなく俺は思ったのだ。
 程なくして、俺はランスキーに裏切られることになる。裏で検察に情報を流していたランスキーは、その罪の全てを俺になすりつけて逃げやがったのだ。軟派な性格がこんなところで災いして、ボスは何を言っても俺を信じてはくれなかった。アジトの地下にある牢屋にぶち込まれ、俺はランスキーを呪った。もしもこのまま、この俺様が死ぬようなことがあってみろ。俺はテメエに生涯取り憑いていつか必ず呪い殺してやる。
 冤罪をかけられた俺を笑いにでも来たのか、数日後すました顔で牢屋の前にランスキーが現れた。
「てめえ、弟のためなら何してもいいと思ってんのか!この腐れ外道!」
叫ぶ俺に相変わらず眉一つ動かさねえで、ランスキーは答える。
「金のためなら何でもする外道だって、元からわかってただろ」
金のためなら何でもする外道?てめえが?冗談抜かせテメエが一度だってそんな奴に成り下がったことはない。金じゃねえ、弟のためだろ。弟のためにいろんなモンを犠牲にしてきたお前が、本当のところ悪になどなりきれねえお前がなに突然、血も涙もねえゲスの真似事をしてやがる。
「くそ、殴らせろ!」
「そこから出られたらな」
しれっと返したランスキーのそのセリフは、決してただの売り言葉に買い言葉ではなかった。それは馬鹿のように律儀なこいつにとっての、義理を果たすため交わした約束だったのだ。
 そういややたら牢の鍵部分を観察していたなと、今になって思い出す。あの時は頭に血が上っていて気付かなかった。ランスキーは牢屋の鍵の開け方を確かめに、あの時俺の元へやって来ていたのだ。
 それから、奴がどうやってボスや他の奴らの目をかいくぐったのかは知らない。牢屋の鍵を開けて俺の身を自由にしたランスキーは、既に用意してあった車に俺を乗せ見事に追っ手を巻いた。相変わらず下準備と先手を打つのが上手いこって。助手席に座りながら、俺はつくづく気に食わねえ奴だなと愛想のねえ横顔を見ながらぼんやり思ったのだ。
 数時間車を走らせた後、約束を思い出した俺はちゃんとそれを果たしてやった。体のバランスを崩して倒れ込むランスキーに手を差し伸べながら考える。いやぁ一発殴るだけでチャラにしてやるなんて、俺も随分丸くなったもんだよなぁ。
 少し腫れた頬を抑えて、それからお前は言った。ベンジャミンの手術代を貯めていたこと、そしてその手術が成功したことを。
「…へえ、良かったじゃねえか」
「…ありがとう」
 …お前もきっと牢屋に閉じ込められていた。自由に生きられない人生をずっと生きていた。でもお前はその手で鍵をこじ開けたんだ。これからはもう弟と弟以外の全てをいちいち天秤にかける必要もない。幾分か楽に生きれるようになるんだろ。仕方ねえからこれ以上は恨み言を言わねえでいてやるよ。自由になったお前の、今日はめでたい門出だからよ。
 カポネの一味に見つかりゃジ・エンド。おまけに無職なんつうオマケつきだ。未来はお先真っ暗、笑えるくらい最悪だ。だけど俺はなんだか悪くねえ気分だった。結局俺のことを見捨てることができなかったテメエは、中途半端なんだよ。中途半端に馬鹿で、中途半端だからマフィアにもスパイにもなりきれなかった。せいぜいこれからの人生は「弟思いの馬鹿な兄貴」を全うしとけよ。しんがりは俺がどうにかしてやっからさ。
「これからどうする?」
「俺は弟を食わせていかなきゃならない」
「商売でもするか?用心棒とか」
「それか、スパイとかな」
色んなものから解放されたんだろう、今まで一度も言わなかったテメエの口が冗談を吐くのを、俺はその時初めて聞いた。ふうん、それがお前の素か。なんだよこんだけ長い間コンビ組んでたのによ。もうちょっと早く見せろよ馬ァ鹿。
「何でも屋でいいじゃねえか」
思いつきで言った一言にお前が存外、悪くなさそうな顔をするから。思わず笑っちまった。まあ似合うんじゃねえの?マフィアとかスパイよりは何倍もさ。もしかしたらそれがお前の天職だったりしてな。
 
 …そんなこんなで、俺とランスキーはベンジャミンが退院した後「何でも屋」を開業したって訳だ。マフィアから足を洗う際、なんの落とし前もつけずに俺たちは逃げた。俺とこいつなら逃げ切れると思った。…まあ、驕りだったわけだ。俺は今こうしてまんまと罠にかかってしまった。
「謝罪の一つもねえとはな。まあいい。謝ったところで許すつもりもねえしな」
ボスが、コートの内側を片手で弄る。拳銃を取り出すのか。俺の命運はこんな所で尽きるのか。まさか女の尻を追いかけてのこのこ付いていった先で死ぬなんて。奴がこれを知ったら未来永劫俺を馬鹿にするだろう。嫌だ、そんなのぜってえに嫌だ。
 しかしボスが取り出したのは葉巻だった。火をつけてゆっくりと吸い込む仕草に俺は今にも焦れそうになる。このままこうやって狼狽える俺の姿を見ながら楽しむつもりか。クソ、後悔させてやる。んな悪趣味をこじらせてる間に隙をついて逃げてやるからな、絶対。
「…儲かってんのか?その何でも屋ってのは」
「…まあ、ボチボチ?ってとこですかね」
相手の出方を伺いながら答える。頭の中を探られようとしているのが分かったのか、ボスは俺と目が合うと不敵に笑った。
「だったらちょうどいい、貸してるモンをきっちり返してもらう」
「はあ?」
「テメエらが出した損害がどれくらいか分かってるか?ったく…何でもかんでも情報を横流ししやがって。サツを買収するのにいくらかかったと思ってる。それに任せてた仕事もいくつか途中のままだったよなぁ?ええ?」
「そうでしたっけ?生憎記憶力が悪くて。覚えてないっすね」
「ふ、ナメた口聞くところは変わってねえな」
ボスはそう言うと突然隣に腰を下ろし俺の胸倉を掴んで、目を見開いた。サングラス越しでも背筋が凍るような、それは鋭い眼光だった。
「…馬鹿なところも変わってねえしな?こんな分かりやすいトラップにかかりやがって。テメエはそれでも元マフィアか?」
「…」
ぐうの音も出ない。何も言い返せなくて俺は歯を食いしばった。そこだけは突かないでほしい。
「今ここでテメエの頭をぶち抜くのは簡単だ。だが俺は慈悲深いからな、生かしておいてやる。俺がくれてやった残りの人生全部使って今まで出した損害分、テメエらきっちり清算しろ」
「…は?」
ボスはそこまで一気に言うと、今度はコートの内側から小さな計算機を取り出した。何でそんなもんがマフィアのコートの内側から出てくるのか。俺の疑問をよそにしてボスは異様なまでに素早い手つきで計算機をバシバシと弾いた。
「サツにくれてやった口止め料が総額○○ドル、金輪際こんなことがねえようにと逆スパイを雇ったんだがその人件費が○○ドル、お前らが途中で放り出した仕事の尻拭いにかかった出費が○○ドル、あと俺をコケにしたその慰謝料ってことで○○ドルだろ。合計で××ドルだ。きっちり両耳揃えて返してもらおうか」
計算機にはありえねえ桁の数字が表示されていた。俺は一瞬言葉を失って、それから首を左右に振った。
「馬鹿じゃねえのぼったくりだろうがそんなの
「…馬鹿だぁ?誰に向かって口聞いてんだ、ああ
ボスが咆哮のような怒声を上げ、カーテンの向こうに立っていた人物(恐らくガードマンだろう)がチラリとこちらを覗いた。それに気付くと片手でそれを制止して、ボスは小さくため息を吐いた。
「返せねえっつうんならそれでいい。そしたらテメエが今ここで死ぬだけだ」
「…クソが…払えるわけねえだろ…」
「そうか。だったらテメエら二人とも死んで詫びるしかねえな」
「…」
首を縦に振る訳にはいかない。だってこんな金額、到底払える訳が無い。けれどボスに頭が上がらないのも本当だった。だってこの人は一度、たぶん本気で、俺たちを逃がしてくれた。本気で追えばきっと捕まえられただろう、だけどわざと目を瞑ったのだ。もしかしたら俺が無実だったことも、ランスキーが弟の為にスパイをしていたことも、全てお見通しだったのかもしれない。
 その慈悲を、まあ分かりやすく言えば俺が今日台無しにした。逃がした魚がわざわざ向こうからもう一度目の前に現れたら、さすがにその馬鹿加減に呆れて釣り上げるだろう、誰だって。
「答えろ。借金返すのか今日死ぬのか。何度も言わせんじゃねえ」
断言する。マフィアと関係なんて持つもんじゃねえ。地獄の底までついてきそうな、それは執念深い蛇の目だった。首を締め上げられたような感覚に思わず息が詰まる。逃げることはもう不可能だった。お手上げだ。
「…へい、ボス」

 と、まあそういうわけでだ。支払いは月々決まった額を返済することに決まった。返済は何十年と続く計算だ。考えただけで気絶しそうだった。最後に書かされた念書には「返済が滞った場合、連絡がつかなくなった場合は契約違反とみなし即刻それ相応の措置を取る」という旨が書かれてあった。要は「返済できなきゃ殺す、トンズラこいたら殺す」ということである。
 そして俺は配りきれなかったビラと共にボスから貰った念書の控えと内訳表を持って、フラフラとボロ事務所へ戻った。意気消沈で帰った俺がランスキーに浴びせられた言葉はもちろん「馬鹿が」「脳なし下半身野郎」もう一つおまけに「この馬鹿が」だった。そのやり取りを横で見ていたベンジャミンすら、弁解の余地なしといった具合で俺を憐れんだ目で見ていやがるもんだから、もうこれ以上ないほど俺の精神はズタボロになった。

 以降、俺の主な仕事は電話番とカポネファミリーへの月々の返済処理、それから色気の欠片もねえばあさんの話し相手だとかじいさんのチェスの相手だとかそんなふざけた依頼ばかりになってしまった。この苦行か何かのような日々は恐らくランスキーの怒りが収まるまでしばらく続く。あいつは根に持つタイプだ、もしかしたら数年単位でこれが続くのかもしれない。…ノイローゼになりそうだぜ。
「しっかり電話番してないと、また兄ちゃんに言われるよ」
買ったものを所定の場所へしまい終えたベンジャミンがため息混じりに言ったが、やけに遠くに聞こえた。既にウトウトと、俺は船を漕ぎ始めていたのだ。
「聞いてる?ルチアーノさん」
「んあ〜…」
欠伸を一つ、それと一緒にソファの上で組んでいた足を組み替えたその時だった。二十四時間いつでも稼動中の電話が、ようやく本日初めてベルの音を鳴らした。
「…」
「ルチアーノさん、鳴ってるよ」
「…」
「ルチアーノさん!」
「うっせえ…お前の方が電話に近いとこにいんだから取れよ…」
漕ぎ出した船を止めることはもうできなかった。これ以上は会話する気がないという意思表示のため顔の上にハットを被せて、いよいよ俺は本格的に目を瞑る。ベンジャミンが何かブツブツと小言をこぼしているのが聞こえた気がしたが、もうそれさえ入眠するためのBGMにしかならない。
「…ほんっとさぁ…。はい、こちら町の便利屋○○事務所…」
うつらうつらとしながら、ベンジャミンの声をぼんやりと聞く。電話先の相手が知り合いだったのか、ベンジャミンが驚いたような声を上げて相手の名前を呼んだ気がした。…いやどうだったかな、よく分からない。それは俺が見た夢だったかもしれない。
「う、うん!…今からわ、わかったすぐ出ます!大丈夫ルチアーノさんなら寝てるよ!」

 そうしてベンジャミンが血相を変えて部屋を飛び出る頃、俺はもう完璧に眠りこけていた。後からこのことについてランスキーにしこたま怒鳴られるんだが、この時の俺はまだそれを知らない。





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フルブル11にて頒布予定の「箱庭の空」のサンプルです。
以前書いた「箱庭の空」と、書き下ろしとして書いた続編を一冊にまとめてあります。
続編はルチアーノ、ランスキー、ベンジャミン、デューイの一人称視点が切り替わっていく構成です。
手にとってもらえたら凄く凄くうれしいです!^^*



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