一番幸せだった頃の話をしようか。

二年後設定で本当に二年が経過しているってお話です。
山崎がひどいのでそれでも良い方はどうぞ。


冷たい夜の雨が降っていた。
雨と共に流れていく血をボンヤリ眺めては、なんだか虚しい気持ちになった。

フラりと、その場から逃げ出すように歩き出す。
そばに、手近な小屋のバス停を見つけて、そこに入った。
小さくて、電気もないが、なかなか綺麗なところだ。
壁に沿うようにして設置されていたベンチに座り、多少湿気っていたタバコに火をつける。
今の雨で、だいぶ返り血は流れ落ちたようだし、さっき電話したから、すぐに回収がくるだろうと。そんなことを思いながら、紫煙を吐き出した。
目を閉じて、ジッと雨の音に耳をすませる。コンクリの壁一枚挟むだけで、だいぶ静かではあるが、勢いがおさまる気配はない。こりゃ朝まで降り続けるなと一人ごちた。

「こんなところに居たのか」

静かな声がして、ゆっくりと目を開ける。目の前には、自分の直属の上司が立っていて。ああ、もう見つかったのかと少し愉快になった。
彼は昔から、誰よりも最初に、俺を見つけてくれる。

「よく見つけたっすね、カイザー」
「まあな。お前が行きそうなところは、だいたい分かる」

趣味の悪いマントを脱いで、彼は俺に差し出した。ちょうど寒くなってきたところなので、ありがたく拝借することにする。今まで彼が羽織っていたそれは、仄かな温もりを持っていた。
カイザーがベンチの反対側に座る。夜もだいぶ更けているからか、彼は眠そうに目をこすった。そんなところを見ていると、あのときから何も変わっていないような気がする。マントを羽織っていないから、尚更に。

「現場は、他の奴らに任せてる。あとで、パトカー運転しろ」
「アイアイサー」

思い出したように言われたことに、了承の返事をする。そして、どうやら本当に探しに来ただけらしいことを知って、苦笑した。
まだ、俺が監察だったときも、よくこうやって迎えにきてくれた。なんの意味もなく、ただ、こうやって隣にいるのだ。
怪我なんかした日には、詰られた。馬鹿じゃねェの。そこまでしてなんになるんでィ。そう言いながら、その声が震えていたのを知っている。けれども、自分は謝るしかできなくて。
あの頃は、監察として、最大限の情報をとることが、組の為になったから。そのために、自分が傷ついても、まあいいかなんて。

「…山崎、昔の腑抜けた面をしてるぞ」
「まあ、昔を思い出してましたからね」
「ふん。髪が降りてて、ますます腑抜けに見える」

拗ねたように言われて、初めて髪が外ハネに戻っていることに気づいた。雨でワックスが落ちてしまったのだろう。湿気でくせっ毛が全開になってしまったのも、原因の一つかもしれない。
これじゃ、本当に昔に戻ったみたいだ。一番隊の隊長と筆頭監察だった頃に。

「…戻りてェかィ?ザキ」
「え?」
「一番幸せだった頃に」

まっすぐと正面に顔を向け、視線の合わないまま問われる。その横顔は、昔よりずっと大人になっていて。

「今も、そこそこ幸せですよ、俺」
「そこそこかィ」
「まあ、そりゃ、今より色々子どもでしたからね。なんも考えないで無茶できた分、楽しかったですし」

素直に感想を述べると、沖田さんの顔が少しだけ歪む。それは、長年見ていた人だけが分かるような細やかなもので。

「それでも、戻らない」

けれども、次の瞬間、強い意思を孕んだ声で、キッパリと彼は言い放った。
その瞳に宿った炎に、口角がつり上がりそうになり、慌てて押さえ込んだ。
ああ、自分は、この彼に惚れ込んだ。

「あの男に、お前を返す気はない。真選組も」

背中をぞくりと駆け上がるものを感じた。どくどくと心臓が脈を打つ。それはまるで、昔の土方さんのようで。

『俺の傍に来い、ザキ』
『行くな、山崎』

二年前のあの日の声が聞こえたような気がして、微笑む。土方さんのすがる声、沖田さんの自信に満ち溢れた表情。そのあとに、二人とも、ふいに泣き出しそうな顔をして。
もしかしたら、あのときが一番幸せだったかもしれない、と気づいて。
―――ああ、だから、やめられない。

「帰るぞ、山崎。車を出せ」
「はい、カイザー」

髪をかきあげ、立ち上がる。もう後戻りなど出来るはずもない。
雨は、まだ上がりそうになかった。