あいたたたた…っ。 あーあ、銃弾とかないわ。本当、痛いんですけど。血ィ出てんだけどこれ。腹痛いわ。
副長だ。副長がなんか言ってる。視界が霞んでよく見えないや…。煙草?ちゃんと買ってきましたよ。アンタの消費量がおかしいんでしょ。マヨも買ってありますから。いつものとこ。ちゃんと、賞味期限順ですし。まあ、アンタには関係ないけど。一日で無くなるけど。
くっそ、全然何言ってるか聞こえないや。笑っちゃうね。感覚がにぶいし。それに、眠いよ…。
……ねえ、副長?アンタ、ちゃんと覚えてますか?俺との約束。針千本ですよ、針千本。 ねえ、泣いてないで、思い出してくださいよ。死んでも死にきれないじゃないですか。ねえ…。
「と………しろ………さ………」
『約束』
山崎が死んでから、一月が経とうとしている。 真選組結成以来の酷い戦は、いつも以上の事後処理を要した。 死傷者も多数出て、組内は未だに混乱状態だ。それがなんとか回っているのは、忙しさの方が勝っているからだろう。 かくゆう自分も、とりあえず仕事をしているようなものだ。
それも、そろそろ終わってしまうが。 件の処理の、最後の一枚となる書類に署名をした。そうして、ようやく一息つく。やっと終わった達成感と、それ以上に襲われる虚無感。 ドサリと後ろに倒れて天井を見上げる。松平のとっつぁんに報告に行かねばならない。幕府に申請しなければならないこともある。とりあえずは、山崎に書類を取りに来させて…
「いや、だからいねえんだっつーの」
自分の思考に突っ込みをいれる。
「山崎は、死んだ」
声に出さねば、未だに受け入れられぬことだった。 あの地味な男のことだから、ひょっこりまた出てくるのではないか。そんな淡い期待を抱いたって、ありえないことは分かっているのに。
実は、山崎が死んだときのことはあまり覚えていなかった。 怒号が怒号を呼ぶ戦場。誰が死んで、誰が戦えるか。自らも刀を握りながら、インカムに向けて怒鳴り付けてばかりいた記憶は、ある。 副長、山崎さんが。誰かの叫び声を気にする余裕もなかった。てめえが生き残れ。そう返した気がする。 そうして、それが収束を見せたあたりで、初めて山崎に駆け寄ったのだ。
血に濡れた山崎を膝に抱き、必死に呼び掛けた。初めて、いやだと思った。死なせたくないと強く思った。誰よりも強く。 それなのに、思い出せない。アイツが言っていたこと。最期に伝えようとしていたこと。
軽い頭痛を感じて、額に手を当てる。薬を飲んだ方がいいかもしれない。体を起こし、薬棚の方を見やって――視界に入ったそれに、悲鳴をあげそうになった。
「山崎…!?」
そう、そこに立っていたのは、紛れもなく、山崎だった。ただし、白装束をまとい体は半透明だが。
「おおおおお前!!きょっきょっ局中法度忘れたのか!?せっ、切腹させるぞごらぁっ!!」
すっかり腰が抜けてしまったまま、山崎を指差して叫んでみる。しかし、彼は悲しそうな顔のまま、こちらをじっと見つめてくるだけだった。 逃げることはできないし、かと言って追い払う気力もない。暫し、膠着状態が続き…やがて、泣きそうな表情をして消えてしまった。
「あ?」
なんだったんだ。今のは、なんだったんだ。 再びドサリと畳の上に横になる。冷や汗が、額から重力に従って流れ落ちた。動悸がする。 あれは、幻ではあるまい。幻にしては、ヤケに幽霊ぽかった。あまり見える方ではないが、死に近い職業のせいか、怨霊のようなものに憑かれかけたこともある。だから、多分、感は当たるのだ。
何をしに来たんだろう。冷静になってみると、恐怖より疑問の方が強く残った。武士たるもの、化けて出るべからず。局中法度で定めた規律をわざわざ破ってまで出てきた訳。ただ単に会いに来たわけでもあるまい。それにしては…随分暗い顔をしていた。
出てきた理由はいっこうに分からず―――それから、毎日山崎と顔を合わせることになった。
***
それ以来、山崎は頻繁に姿を見せるようになった。 たいていは、仕事以外の時間に見かける。寝る前が、一等多い。 山崎の幽霊は、相変わらず何もしゃべらない。土方の方も何を喋ればいいのか分からず、ただ見つめあうだけのことが多かった。そうして、何もしないうちに姿が薄くなり、見えなくなる。
なんで出てくるのか。彼との生前を思い返しても、首を捻るしかなかった。 山崎とは、恋仲にあった。お互い命がいつ無くなるか分からないので、あまり未練がないように過ごしていた。
好きだと囁き、じゃれあうようにキスをして、裸で愛を確かめあって、抱き合ったまま眠る。 恥じらいも多少はあったが、望めば実行したし、望まれれば叶えた。 そういう、関係だった。
「なあ、山崎。なんか、やり残したことがあんのか?」
縁側で、酒を傾けながら話しかける。自分の横には、アイツの写真。笑ってはいないが、見慣れた表情をしていた。 夜空には、星がいくつか浮かび、満月があたりを仄かに照らし出していた。
「……山崎」 『副長、』
自分を呼ぶ声がして、周りを見渡す。しかし、そこに人影はない。 不思議と、薄気味悪さは感じなかった。ただ、なんとなく、アイツが傍にいるような気がして、心が緩んだ。 そういえば、よくこうして、夜の縁側で二人で呑んだものだった。 山崎が、くだらない話ばかりをして、俺は相槌をうつだけ。その何が楽しいのか、山崎はニコニコニコニコ笑っているのだ。
『副長、思い出して』 「思い出す?」 『俺たちの約束。俺は、ちゃんと守りましたよ』 「やくそく…」
山崎の写真を手に取り、指で輪郭をなぞる。やくそく、やくそく。その単語が頭の中をグルグル回っていた。
約束、しましょうよ。俺、このまんま死んじゃうの淋しいですし。だから、ね。副長が約束守ってくれたら、絶対地獄でも頑張りますから。 どっちかが、死んだときに――しましょうね。
「さがる」 『はい』 「さがる……さがる」 『思い出しましたか』 「ああ」
ポタリと、雫が写真の上に落っこちた。一度落ちてしまえば、もうダメだった。雨のように、止めどなく流れていく。
ああ、思い出した。全部分かった。 お前は最期に、俺の名前を呼んでくれたのか。約束だからと律儀に守ってくれたのか。
「退」 『十四郎さん』 「お前が好きだ。お前を好きでいれて良かった。……先にそっちで待ってろ」 『はいよ。俺も……アンタと恋人でいられて良かった』
どうか、お達者で。 いつもと何一つ変わらぬ声でそう言うと、声はもう二度としなかった。 情けない男の泣き声が、闇夜に紛れて響いているだけだった。
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